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2013年4月16日 (火)

日蓮上人(11 )

    8.性格の評価

 

  日蓮は、わが国の歴史を通じ、最も不可解な人物である。彼は、敵に

とっては冒涜者であり、偽善者であり、貪欲漢であり、いかさま師の親分

のたぐいであった。 

  彼のいかさまぶりを証拠立てるために、多くの本が書かれたが、その中

には全く、まことしやかなものもある。

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 日蓮は、敵が仏教をあざける時の絶好の対象であるのみか、彼の兄弟

であるはずの他派の仏教徒までが、仏教の受ける非難のすべてを彼一人

に押しつけようとするのである。彼ほど中傷の的となった日本人は他に居

ない。 

  そして、わが国にキリスト教がはいって来たとき、キリスト教もまた、日蓮

攻撃に参加し、この方面からも、彼に対して、さらに多くの石を投げた。

 

  ある著名なキリスト教の牧師が、ひととき、日蓮攻撃に全力を集中して

いたことを、私は知っている。 

  まことに、日本のクリスチャンとして、日蓮に賛辞を呈することは、イスカ

リオテのユダをほめるぐらい、けしからんことなのである。 

  (要するに、誰かが異教徒をほめる場合でも、最後まで取り残されるの

は日蓮というわけだ。)

 

  しかし、私のみは、必要とあらば、日蓮のために、わが名誉を賭けようと

思う。 

 彼の教義の多くは、現代の批判に堪え得ぬということを、私は認めるし、

彼の論争は粗野で、また狂気じみている。彼は確かに均衡のとれない

性格で、ただ一方に偏していた。

 

 しかし、彼に付随している知識上の誤りや、生来の気性や、時代や環境の

影響等取り去った彼自身は心の底まで高貴な魂、最も正直な人、最も

勇敢な日本人である。 

  二十五年以上も偽善を続けられる偽善者など居るものではなく、また

偽善者は、彼のために命を投げ出そうとする何千人もの崇拝者を集める

ことなどはできない。

 

  「不誠実な人間に宗教が創(はじ)められようか? 不誠実な人間は、煉瓦

の家すら建てることができない」と、カーライルは叫んだ。

  日蓮の死後七百年の今日、日本全国には五千の法華寺院があって、

四千人の僧と八千人の教師が配置され、百五十万から二百万の信徒が、

日蓮の定めた方式に従って礼拝している。

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  それでもなお、これは恥知らずの、いかさま師の仕事であると言うのか?
 

人間性に深い信頼を寄せる私は、そんなことを信じない。 

  この地上において、虚偽がそれほども長く続くものだとしたら、われわれ

は、どのようにして、虚偽と真実とを区別したらよいのか?



  最も恐れを知らぬ人間は、日蓮の勇気は、自分は仏陀が地上につかわ

したもうた使者であという確信に基づくものであった。 

  彼自身は、言うに足りない者である―「海辺の旃陀羅の子」にすぎない―。 

しかし、法華経の伝道者としての日蓮は、天地にも等しい重要性

を持つ者ある。   【つづく】

 

 

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