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2013年4月18日 (木)

日蓮上人(完)

  かつて、ある権力者に向かって、彼は、次のように言った。

  私は、つまらない、平凡な僧侶にすぎません。しかし、法華経の伝道者と

しての私は、釈迦が特につかわされた御使いであります。 

 それゆえ、梵天は右に、帝釈は左にあって、私に仕え、太陽は私の先導

し、月は私に従い、わが国の神々はすべて頭を垂れて私を敬うのであり

ます。                         Photo_5

   彼自身の生命は、彼にとり全く価値のないものであったが、このような法

の担い手である彼を国民が迫害するということは、彼にとって、言い尽せ

ほど歎かわしいことであった。 

   彼が狂気であったとしても、それは尊い狂気である。すなわち、自己に課

せられた使命に価値あるがゆえに自己を尊しとする、かの最高の自尊心と、

区別しがたい狂気であった。

   そして、自分自身を、このような眼で評価した者は、歴史上、日蓮一人で

はなかったはずである。



    それゆえ、激しい迫害の月日の間にも、聖教のかずかず、ことに彼自身

の法華経は、つねに彼の慰めの源であった。 

   かつて日蓮を乗せた船が、流刑地へ向かって船出しようとしたとき、

愛弟子の日朗は、船に追いすがろうとして、怒った船頭の櫂(かい)の

一撃に、腕を折られたが、そのいたましい姿に向かって、日蓮は次のよう

な慰めの言葉を述べた。

 

  末世に法華経をひろめる者は、杖で打たれ、流刑に処せられると、二千

年前の法華経の『勧告』の章に書かれたことが、今、君と私との上に起こ

ったのだ。 

   それゆえに、喜びなさい、法華経の勝利の時は間近いぞ。



   流刑地から弟子たちに宛てて書いた彼の書簡は、経典からの引用句に

満ちている。その中の一つに、彼は、こう書いた。 

  涅槃経に、「重きを軽きに変える法」という教義があります。私どもは、この

世で、このような重い苦しみを受けましたがゆえに、来世の苦しみの軽いこ

とが保証されているのであります。・・・・

   提婆菩薩は異教徒に殺され、師士尊者は首をはねられ、龍樹菩薩は、

多くの試練に会われました。

   しかるに、この方々は、正法の世、仏陀の生まれたもうた国において、

この災難に会われたのであることを思えば、この辺境の地、しかも末法の 

世の始めに住むわれわれが、この災難に会うのは実に当然のことであり 

ます。・・・

 

   法華経が、日蓮にとり、尊かったことは、聖書がルターにとって尊かった

のにも劣らなかった。 

   もし法華経のために死ぬことができたら、わが生命は、

少しも惜しくない、 

というのは、幾度かの危機に際して、日蓮が発した言葉である。

                       Photo_6

   ある意味で、われらのルターが聖書崇拝者であったように、日蓮もまた

経典崇拝者であったかもしれない。

   しかし経典は、あらゆる偶像や権力よりも尊い崇拝の対象物である。

そして、経典のために死ぬことのできた人は、英雄の名をもって呼ばれる

多くの人たちよりも高貴な英雄である。

   日蓮を悪しざまに言う現代のクリスチャンは、“自分の”聖書が、ほこりに

まみれていはしないかを顧みるがよい。 

   また、たとえ彼が聖書を日々、口に唱え、聖書から得た霊感に燃えてい

たとしても、彼は、はたして聖書の宣伝者としての使命のために、十五年

にわたる剣難と流刑とに堪え、その生命と霊魂とを危険にさらすことがで

きるであろうか。 

   すべての書にまさって人類の諸問題を善導して来た聖書の所持者であ

るクリスチャンが、日蓮を非難することは、見当違いもはなはだしい。

 

   日蓮の私生活は、簡素を極めたものであった。鎌倉に草庵を構えてか

ら三十年の月日が経ち、その間には、富んだ俗人の幾人かも彼の弟子

に加わって、安楽な生活は望むがままであったにも拘わらず、彼は身延

におけると同様の草庵生活を変えなかった。

 

   そして「仏敵」と彼が名付けた者に対しては、厳しさを極めた日蓮も、

貧しい者、悩める者に向かっては、この上なく優しかった。 

   弟子に対する彼の手紙は、おだやかな調べに満ち、それは、あの有名

な『立正安国論』の激しさとは、きわ立った対照を示している。弟子たちが

日蓮を慕ってやまなかったのも無理のないところだ。

   日蓮の生涯を見る時、われわれは、“多妻主義を除いた”マホメットの

生涯を思い出さずにはいられない。

 

   両者とともに、同じ熱烈さと、同じ病的熱狂とを示し、また目的の純粋

なこと、内心にあるあわれみと柔和さとの豊かなことにおいて、この二人

はよく似ていた。 

   しかし私は、日蓮の法華経に寄せる信頼が、マホメットのコーランに対

する信頼よりも強かったところから、日蓮の方が偉大だったと信ずるもの

である。

 

   心から信頼できる経典を有していた日蓮は、現世的な力を必要と

なかった。” 

  法華経は、それ自体、大きな勢力であるから、その価値を確立するために、

いかなる力をも必要としないのである。 

  マホメットから偽善者の汚名を拭い去った「歴史」は、日蓮に対しても、

より正当な評価を与えるべきではなかろうか。


                            Photo_8

   日蓮から、十三世紀の衣と、批評的知識の錯誤と、彼に存在したかも

しれない、わずかな精神異常(これは、すべての偉人にあることだと思う)

とを取り去ると、われわれの眼前に現われるのは、一個の著しい偉人像で

あって、これは、世界史に現われる同種の人物の中でも最も偉大な一人で

ある。               

 

   われらの国人中、日蓮よりも独立の人を考えることはできない。まこと

に彼は、その独創性と独立心により、仏教を日本人の宗教とした者である。

    他派の仏教の始祖がすべて、インド人、シナ人、朝鮮人であるのに対し、

彼の宗派のみは、純粋に日本生まれである。

    彼はまた、当時の世界を呑むほどの大志をいだいていた。すなわち、

彼が出るまでは、仏教はインドから日本へ”東”進して来たが、今後は、

より“改善された形”で、日本からインドへ“西“進するのだと、彼は、常々

語っていたのである。



    従って彼は、消極的、受動的な日本人の中で、全く型破りな人物であった。

自分自身の意志を有していたがゆえに、確かに扱いにくい人物ではあった

ろうが、しかし、このような人物のみが国民の中軸となるのである。

    愛嬌、卑下、ほしがり屋、物乞い性というような名で呼ばれるものは、

国家の恥辱にほかならず、それはただ、改宗勧誘者たちが本国へ報告

する「回心者」の数をふやすのに都合のよいものであるに過ぎない。

  “闘争性を取り去った日蓮”こそは、われらの理想の宗教家である。

    【了】                         (内村美代子・新木〔内村〕桂子訳)

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