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2013年4月 6日 (土)

日蓮上人(5 )

  3.暗黒の中と外にて

 

 解決せねばならぬ幾つかの疑問を、心中に抱いていた彼は、ついに、

仏教の根本義は何かという問題に直面するに至ったが、そのうち最も差し

迫った問題は、”仏教に多くの宗派が存在するのはなぜか?”という点であ

る。彼は、自分自身に問うてみた。 

   一人の人の生涯と教えとに始まった仏教が、かくも多くの宗派と分派と

に分かれているのはなぜであろうか? 

  仏教は、一つより多いものであろうか?  私の周囲に見られること、

つまり、一つの宗派は、他のすべてを悪く言い、どれもが、“自分たちこそ” 

仏陀の真の心を持つものであると主張しているのは、どういうことなので

あろうか? 

  海水は、おしなべて同じ味であり、仏陀の教えに二種あるはずはない。 

ああ、この宗派分離の説明は、どこにあるのであろうか? 

  そして、これらの宗派の内、どれが仏陀の道で、ひいては私の歩むべき

なのであろうか?

                         Photo
 
  これが、彼の、最初でまた最大の質問であった。極めて当然の疑問で

あると、私も思う。 

  われわれも、仏教につき、また他の宗教について、同じ疑問を抱く者で

あるから、われらの主人公の苦悩に対して、心からの同情を寄せることが

できる。 

  しかし、彼を、この懐疑から救い出してくれる者は、彼の周囲に一人とし

てなく、彼の師もまた、この疑問を解いてはくれなかったので、彼は勢い、

祈りにのみ頼るようになった。

 

  こうしたある日のことである。日頃から深く帰依する菩薩の堂に熱い祈り

を籠めて帰る際、彼は、非常なる重荷に圧せられ、口から多量の血を吐い

て、土の上に倒れた。 

  同僚たちに助け起こされた彼が、意識を回復したのは、それからしばし

後のことであった。

 

  この出来事のあった地点は、今も正確に指示されており、そのかたわら

にある小藪の竹の葉の、やや赤みを帯びた色は、そのとき飛び散った血

に染められたものと伝えられている。

                  Photo_2

  ところが、ある夕暮れ、涅槃経(仏陀が、涅槃という恵まれた状態に入る

前に述べたものと言われる)に読みふけっていた彼の眼は≪依法不依

人≫”人に頼まず、法に頼め”という一句に引き付けられた。 

  そして、この句は、この悩める青年の心に、名状しがたい救いをもたらす

ものとなったのである(*下は、涅槃図)


         Photo_3
 

  すなわち、彼はこれより後、人の意見に依ることなく(それが、いかにまこ

としやかに、また立派に見えるものであっても)、偉大な教師、仏陀の残さ

れた経典に頼り、すべての疑問も、ただ経典によってのみ解決しようと、

心に決めたのである。 

  彼の心は、今や安らかになった。流砂の上に立つようであったこれまで

とは打って変わって、しっかりとした足場を、彼は見出したからである。

 

  ところで、この日本僧侶の話を読んで、四百年前のエルフルト修道院に

おける、ドイツの若き僧(=マルティン・ルター:下の肖像画の、同じよう

な場合を思い起こさぬ人はないであろう。

           Photo_5

       

  彼もまた、多くの疑問に苦しみ、「意識を失う」ほどの煩悶の後、古いラテ

ン語の聖書の中の一句に、ふと目を奪われ、ここに心の安らぎを見出した。 

  そして、その時以後、彼の信仰と人生との拠りどころとして、ひたすら聖

書にのみ、依りすがったのである。

 

  しかし、仏教の僧である蓮長の場合、権威ある経典は何かという問題

は、キリスト教徒であるルターの場合のように簡単ではなかった。 

  ルターが、ただ一冊の聖書に頼ればよかったのに反し、連長は、相互に

矛盾することの多い幾十という経典の中から、最高の権威あるものを選び

出さねばならなかったからだ。

 

 
  とは言っても、いわゆる「高等批評」などというものが全く存在せず、

人々は古人の記述に単純に信頼し、「何故?」とか、「どんな理由で?」と

かいう疑問を発しなかった当時にあっては、それも比較的やさしい仕事で

あった。

 

  ある経典の中に、大乗小乗にわたるすべての大経典が、年代順に示さ

れているのを見出した時、われらの主人公は満足したのである。 

  そこに示された順序は、次のようなものであった。
 

 すなわち、仏陀の最初の公的説教を含んでいると思われる華厳経を筆頭

に、その伝道の最初の十二年間の教えを載せた阿含経、伝道の第二期た

る、次の十六年間の教えを収めた方等経、第三期の十四年間の説教集で

ある般若経、仏陀の生涯の最後の八年間の教えを載せた妙法蓮華経、

またの名、法華経である(*下の写真は、「中阿含経」・・・国立奈良

博物館所蔵より)
                    Photo_6
  この順序から推論すれば、最後の法華経こそ、仏陀の生涯にわたる教

精髄を含むものだということになる。 

  また、日蓮自身の言葉によれば「万物の原理と、永遠の真理と、仏陀

本然の姿と、その教化の徳との重大な秘義」が、この経の中に記されて

いるという。 

  それゆえに、この経典には「妙法蓮華経」という美しい名が与えられた

のである。
                  Photo_7
                            Photo_8

  しかし、仏教の経典の正確な序列につき、また一つの経典が他にすぐれ

て価値あることにつき、批判的に検討することが、今のわれわれの目的で

はない。 

  日蓮があれほどまでに重要視した法華経は、仏陀の死後およそ五百年

という後代に書かれたものであり、また、日蓮がそれに依って、種々の経

典の序列を知った無量義経なるものは、この新著の法華経に、確実性と

最高権威とを与えることを、特別の目的として書かれたものだということが、

今では定説となっているようだ。
 

  しかし、これら経典の本体が何であるにもせよ、われらの主人公が、

そこに書かれた経典の序列をそのままに受け入れ、法華経の中に、仏教

信仰の基準を見出し、法華経をもってすれば、仏教内に、かくも多く存在

する異説も、単純、明快に解明し尽くすことができると悟ったと知るだけで、

われわれは十分なのである。

 

  この結論に達した時、彼の胸中の歓喜と感謝とは、あふれる涙となって、

ほとばしった。彼は、ついに心中で次のように言った「私は、父母を捨て

て、この至高の教えへの奉仕に身を委ねた者だ―その私が、凡僧どもに 

よって因襲的に伝えられる教えにのみ依りすがり、仏陀自身の金言を尋

ね求めなくてよいのか?」

  この聖い野心が心中に燃え上がった時、彼は二十歳であった。
                  Photo_9 

 この上は、もはや田舎の僧庵に隠遁していることはできない。そこで、

彼は、老師と僧らとに別れを告げ、遠く、また広く、真理を探り求めるため、

大胆に世の中へ乗り出したのである。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

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