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2013年3月26日 (火)

中江藤樹(7 )

     5.心の人

   
  その外面の貧しさと単純さとはうらはらに、藤樹の内面は豊かで、また

変化に富んでいた。

  彼の内には大きな王国があり、彼は、その王国の完全な支配者であっ

た。彼の外面の静けさは、内面の満足から自然に生ずるものにほかなら

ない。

 

  まことに彼こそは、天使のような人について、よく言われる「九分が霊

魂で、一分のみが肉体」という言葉で評すべき人であろう。 

  進歩した「救拯論(きゅうしょうろん)」や「来世論」を抱いているわれわれ

にしたところで、この人の半分も幸福であるかどうか疑わしい。



  藤樹の著作が、幾代か後の弟子二人によって、注意深く編集され、一つ

にまとめられたのは、つい最近のことであって、現代のわれわれは、かな

り大きな和風十巻の本に収められた彼の著作に接することができる。

 

  その全巻を通して、われわれの眼前に繰り広げられるのは、わが国に

系統的思考が存在したことさえ疑われる時代にあって、まさしくわれわれ

の間に実在した人物の全貌である。

 

  その中には、彼の短い伝記、彼についての村民の回想、彼の、シナ古

典の注釈、講話、随筆、問答、手紙、思索の断片、座談、和歌、漢詩が収

められている。 (*下は、彼の著作『翁問答』)

  私にできることは、ただ読者を、この人の内なる世界へ案内することだ

けだ。 

                      Photo_9
 

  知的方面の彼の生涯には、二つの、はっきりした段階がある。その第一

は、当時の日本人がみな、そうであったように、保守的な朱子学によって

育てられた時期である(*下は、朱子:1130~1200  の肖像画) 

  この朱子学は、何ものにもまして、不断の自己批判を重んじるものであ

った。

           Photo_10

 

 感受性の強い藤樹が、自己の内なる欠点と弱点とを絶えず内省する結

果、いよいよ敏感な青年となったことは想像に難くない。過度の自己批判

の影響は、彼の青年期の行動や著作に、はっきりと現われている。

 

  彼の二十一歳の時の著作である『大学啓蒙』は、このような気分の中で

書かれたものである。 

  もし彼が、シナの進歩的学者である王陽明(*下の人物:1472~1529)

の著作によって、新たな希望に接しなかったならば、ただでさえ内省的な

彼は、悲観的哲学に圧倒されて、彼のような性質の多くの人々同様、病的

な隠遁者となり終わったかもしれない。

                          Photo_11

  この傑出した哲学者、王陽明については、すでに大西郷の章で少し触れ

たが、陽明学という形に現われたシナ文化は、われわれを、小心で、臆病

で、保守的で、反進歩的な人間とするものではなかった。 

  私のこの見解は、日本歴史の上で明らかに実証された事実であると思う。

 

 今では、思慮深い孔子評論家のすべてが、この聖人自身、非常に進歩的

な人であったことに同意するであろうと私は信ずる。 

  孔子の同胞である反進歩的なシナ人が、自己流に彼を解釈して、世界の

人々の心の中に、反進歩的な聖人という印象を刻み付けたのである。 

  しかし王陽明は、孔子の中にあった進歩性を表に引き出し、古い流儀で

孔子を解釈しがちであった人々の心に希望を吹き入れた。


          Photo_12

 

  われらの藤樹先生もまた、この人の助けにより、孔子に対して新しい

見解を抱くに至ったのである。 

  近江聖人は今や実践の人となった。彼の陽明主義を示す断片を、ここに

揚げよう。

 

   暗くともただ一向に進み行け  

    心の中のはれやせんもし 

 

 志つよく引き立て向こうべし  

      石に立つ矢の聞くにも 

 

   うえもなくまた外もなき道のために 

    身を捨つるこそ身を思うなれ 

 

 

  これらの和歌から、もの静かな村の教師の像を描き出せる人が、はたし

ているであろうか?

   藤樹が、シナの古典について多くの注釈書を書いたことは、さきに述べ

た。 

 まことに、これらの注釈書は、彼の全著作中でも、すぐれて重要な部分を

占めている。

 

  しかしながら、彼が、ありふれた意味での”注釈者”であったと考えてもら

いたくはない。 彼は、非常に独創的な人であった。 

  注釈という、文学の一形式を、自己表現の手段としたのは、ひとえに彼の

生来の謙虚さのゆえである。

 

  古典の解釈にあたり、彼が、何ものにもとらわれぬ自由な態度を執った

ことは、生徒に対し繰り返し語った言葉に明らかである。 

  昔の聖人たちの“講話”の中には、今日の社会の事情に当てはめること

のできぬものが多い、 

という意見を持っていた彼は、古典の中から不必要なものを抜き去った改

訂版を作り、それを自分の学校で用いた。

                          Photo_13

  彼が、もし今日、生きていたならば、異端裁判の立派な対象となったこと

であろう!

 

  藤樹が、人の作った法律(≪法≫ノモス)と、永遠に存在する真理

(≪道≫ロゴス)とを、はっきり区別したことは、次に掲げる卓論の中に示

されている。

 

  道と法とは別個のものである。両者を混同して考える者が多いが、

これは、非常な誤りだ。法は、時代と共に変わる。  

  たとえ、シナの聖人でも、これをいかんともすることができないのだから、 

ましてや、それがわが国に移し植えられた場合、変わるのは当然のこと 

である。 

 

  これに反し、道は、永遠に変わらない。徳という名の、まだ無かった時 

から、道は立派に存在し、人類がまだ現われぬ前に、道はすでに行なわ 

れていた。  

  そして人類が消滅し、天地が無に帰した後も、道は存在し続けるであろ 

う。しかし、法は、時代の必要に応じて作られたものである。  

  たとえ聖人の定められた法であろうとも、時代と場所とが変わった場合、

これを強制することは、道のために害をなす。


                                Photo_14


  そして、この考えは、いわゆる典籍“経書”が完全無欠の書と考えられて

いた時代に述べられたことである。 

  それは、今日の極端な霊感論者が、聖書を無謬と考えるのと同じような

具合であった。 

 このような時代に、このような精神で書かれた注釈書が、大胆で、驚異

で、新鮮なものでなかろうはずはない。  【つづく】

 

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