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2013年3月15日 (金)

二宮尊徳(完)

  かの偉大なるフランスの技術者レセップス(*下の肖像画)に、日本の

農聖人の道徳的先見の何分の一でもあったならば、その結果はどうで

あったろう。

                     Photo


  そして、事業そのものに六億ドルもの大金を、つぎ込む代わりに、その

一部を人間の霊魂に投資して「仁術」を施す資としたならば、どうであっ

たろう。

 

  もし、この事が行なわれていたら、レセップスは、その白髪の上に、

まさしく“二つ”の運河(*スエズ、パナマ両運河の建設に関わった)

王冠を戴いたことであろう。 

  そして、一方の恥ずべき失敗によって、他方の輝かしい成功までが光

を失うようなことはなかったであろう。 

  金銭は多くのことをなすことができるが、徳は、それ以上だ。運河の工

事計画を建てるにあたり“道徳的要素”を考えに入れる人は、究極に

おいて、最も非現実的な人ではないのである。



  尊徳が、その生涯の中で、実際に完遂した事業は、それほど広い

地域にわたるものではなかった。 

  しかし、当時は階級の差別がきびしく、また彼の社会的地位が低かっ

たことを考えれば、これは実に素晴らしいことである。

 

  彼の業績の中でも、特筆すべきは、現在の磐城地方(*今日のいわき市

周辺か)に当たる相馬藩の復興であった。 

 ここには二百三十の村があって、本来、相当な地方(*「いなか」の意か)

あった。 

  現在では、国中でも、最も富み、また繁栄している地域の一つである。 

事業の規模が大きかろうと、小さかろうと、彼がそれに取り組むときの

やり方は、きわめて簡単であった。

 

  彼はまず、その中から、代表的な村―多くは、その地方で最も貧しい村

―を選び、そこに全精力を集中し、ひたむきな努力をもって、その村を

自分の方針通りに改める。事業の前後を通じて、最も困難なのは、おお

むね、この部分である(*下の写真は、イメージ)

                      Photo_2

                     Photo_3


  彼は、こうして最初に救われた村を基地として、この地方全体の改革

に取り掛かるのであった。

  すなわち、彼によって救われた農民の間に、彼は一種の伝道精神とも

言うべきものを吹き込み、彼ら自身が尊徳によって救われたように、彼ら

もまた、近隣の村々を助けるよう、要請したのである。

  現に目の前に、驚くべき実例を示され、新しい感化のもとに動く人々の

惜しみない助力を得て、その地方全体がまた、同じ方法で救われようと

志すに至る―このように簡単な伝播の方式によって、改革は完成したの

である。

                Photo_4

  教えを求めて来る人々に向かって、彼はつねに、こう言っていた。

  一村を救い得る方法は、同時に、全国を救い得る方法です。原則は全

く同じです、と。

また、日光地方の荒廃した数村の復興案を作っていたとき、弟子たちに

言った言葉は、

  一同で、真心をこめて、この仕事の一部を受け持とうではないか。われ

われのした事を手本として、いつの日か、この日本国全体が救われる

かも知れないのだから、

というものであった。

  この人は、宇宙を貫く永遠の法則を体得しているという自覚を持っていた。

そして彼は、どんなむずかしい仕事をも、むずかしいと感じない一方で、

どんなにやさしい仕事にも、全心全霊を打ち込んで、献身的に当たったの

である。

  当然のことながら、彼は死の間際まで、たゆまず働いた。

〔彼は、安政三年(一八五六年)十月十日に死んだ。〕(*下の写真は、

彼のお墓)

           Photo_5

  その生涯の間、遠い将来をも見越して計画し、また働いた彼の事業と

感化とは、今なお、われらの間に生きている。

  彼自身の手によって復興した村々の繁栄のさまは、彼の知恵と、彼の

計画の永久性とを証明するものにほかならない。

  また、彼の名と教えとによって結ばれた農民の団体は、今なお日本帝

国の各所に散在して、失意の勤労者たちの心に彼が吹き入れた精神の

火を、永久に伝えている。

  〔そして、これらの農民より、いくらか知識程度の高い(?)階級に属する 

われわれにとっても、尊徳の教えは、同じ福音ではあるまいか?

  彼は、自分自身の行為を通して、次のようなことを、われわれに教えた。 

すなわち「自然」は人類の最上の友であること、人類が誠意を持って当 

たれば、「宇宙」さえ、彼の味方となって、彼を助けること、鋤一本によって、

彼は地上の王ともなり“得る”こと「徳」は「富」よりも大きな力を持つこと

「仁術」によってのみ、大偉業は遂行され得ることである。



  彼こそは、まさに「人類の教師」の名に値する人ではあるまいか?

このような教えが守られ、実行されるかぎり、日本の農業は安泰であり、

ひいては日本国全体も安泰である。

  日本国に、かつてこのような教訓が与えられて今に至っていることを、 

「天」に感謝しよう。 

  「無数の家庭を救おうと思う者は、まず自分自身の家庭を犠牲にせねば 

ならぬ」という。「他人を救ったが、自分自身を救うことができな」かった 

「彼(=十字架上のイエス・キリスト)」の精神と、尊徳の精神とは、等しい 

ものではあるまいか。〕  【了】

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