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2013年3月19日 (火)

中江藤樹(2 )

  このような次第ですから、教師と生徒との間柄も、この上なく密接でした。 

われわれは、教師を、あの近づきがたい教授という名では決して呼ばず、

“先生”呼びました。

 

  先生とは、「先に生まれた人」という意味ですが、それは必ずしも、この

世に現われた時期が早かったというばかりでなく、(教師が年下の場合も

ありますから)、真理を悟るに至った時期も、生徒たちより早かったことを

意味するのです。

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  こうしたわけですから、われわれは、先生に対して、両親や藩主に対す

ると同様の、最高の尊敬を捧げねばなりませんでした。 

  まことに“先生”と、両親と、“君“(藩主)こそは、われわれが敬虔の念を

もって仰ぐ三位一体であったのです。

 

  そして、この三者が同時に水におぼれようとしており、しかも自分には

ただ一人を救う力しかないときに、三者のうちの誰を救ったらよいかとい

ことは、日本の青年を最も悩ませた問題でありました。 

  それゆえ“先生”のために命を捨てることは、“弟子”たる者の最高の

と考えられていたのです。 

  近代教育“制度”のもとでは、教授のために死んだ学生の話など、聞い

たこともありません。



  先生と弟子との間柄に関し、このような考え方をしていたればこそ、

キリスト教の聖書の中に、主とその弟子たちとの密接な関係を読んで、

直ちにそれを理解し得た者が、われわれの中にいたのです。

 

   弟子は師にまさらず、しもべは主にまさらぬこと、良き羊飼い(*下の

絵)は、羊のために命をも惜しまぬこと、その他、これに類した言葉を聖

書の中に見出したとき、われわれは、それを、自分たちが、ずっと昔から

知っていた真理として、すんなりと受け入れました。

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  これに対して、師を教授、弟子を学生としか考えぬ西洋のクリスチャン

は、われわれに伝道するために持参した聖書の中の、このような教訓を、

そもそも、いかにして理解することができたのかと、いぶかったものです。

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〔それですから、旧日本の教育制度は、少なくともこの点において、 

キリスト教的なものであったと信ぜざるを得ません。  

  それに反し、近代の教育制度は、その悪魔学や批評哲学等の講義と 

いい、その日曜学校といい、強制的な教会通いといい、総じて、“非”キ

スト教的な、時には“反”キリスト教的な要素を”備えた”ものだと断じ

ます。  

  このように、物事の真相を突き詰めて行くと、後のものが先になること

あれば、また”その反対”の場合もあるのです。〕



  もちろん、われわれは、すべての点において、古いものが新しいもの

勝っていたと主張するのではありません。

 

〔先にも述べたように、古い教育には、現在のような、悪魔学や、かぶと 

むし学の講義はありませんでした。 

  しかし、人類と自然とに関係のあるものは、すべて知る価値があります。  

そして、博士の学位を望む者があふれている一方、教授の俸給が非常 

に高くなっている現在では、残された道は一つしかありません。  

  すなわち、オーストラリアの牧羊制度を採用して、学生をクラス別に分 

け、“集団的”授業を行なうことです。 

  われわれは、必要に迫られて、この手段を執ったのであり、これ以外に 

執るべき道はありません。〕


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  しかしながら、古いもののすべてが悪いのではなく、また新しいもの

すべてが良くて完全ではないと、われわれは言いたいのです。 

  新しいものにも、なお大いに改善の余地があり、古いものもまた復活

すべきです。

 

   今のところはまだ、古いものはことごとく捨て去り、新しいものにはす

て心服せよと、勧める時期ではありますまい。 

  以上のように、われわれは自分の所信を表明し、今もなお、それを続

ている。だが、それに対して、西洋人の盛んな拍手は得られなかった。

 

  日本人は、自分たちが思ったほど、御しやすい従順な民ではないよう

だと、西洋人は気づいたのである。 

  私はここに、われわれの「強情」と、「受容性のなさ」と、「排外主義」と

を、さらに維持するために、われらの理想の学校教師(先生)の一人の

生涯を記そうと思う。 

  これによって、日本の青年の教育に心からの関心を寄せている西欧

良き友人たちに、一、二の手掛かりを与えようと思うからである。

  【つづく】                            
                        

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