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2013年3月30日 (土)

日蓮上人(1 )

    日蓮上人―仏教の僧


  1.日本における仏教


  宗教は、人間の最大の関心事である。本来の意味において、宗教を

持たない人間がいることは考えられない。 

  われらの欲望は、はるかにわれらの能力を超え、われらの願望は、

世界の総力をもってしても満たし得ないという、この不思議な世において

は、この不釣り合いを除くために、何かをなさなくてはならぬ。

 

  行動で、それをすることは不可能であるとしても、少なくとも、思考の中

では、何かをなさなくてはならぬ。 

  「自分は、無宗教の者だ」と自称する人が多くいることは事実だが、

それは、彼らがただ、特殊な教義に署名せず、聖職者の命令を世渡りの

しるべとせず、また木や、金属や、心霊の像を、神として崇拝しないという

ことにすぎない。

 

  だが、それにもかかわらず、彼らは、宗教を持っている。彼らの内にある

測り知れぬ欲望は、黄金崇拝やウィスキー礼讃をはじめ、それぞれ好む

ところの催眠的また鎮静的方法によって、抑えつけられているのである。 

  ある人の宗教とは、人生に対する、その人自身の解釈だ。そして、それ

らの解釈の中には、この戦闘の世にあって、安心立命を得るために欠くこ

とのできぬ”もの”があるのである。

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  次には、最大問題なる死の問題がある。貧しき者には望みであり、富め

る者には恐れである“死”こそは、人生最大の問題である。

  “死のあるところには、必ず宗教がなければならぬ”。これは、人間の弱

さの証拠であるかもしれないが、それと同時に、これは、われわれが高貴

な生まれであること、また、われわれの内に不死の生命があることの証明

である。

 

  “死んで死なないこと”―これこそは、すべてアダムの末裔が望んでやま

ぬことであり、その点にかけては、日本人も、宗教心に厚いと聞くヘブライ

人やヒンズー人に劣るところはない。

 

  日本人は、「復活」の教えに接する以前の二十五世紀間、何らかの形で、

死に対処して来た。 

  われらの先人の中には、実に立派な死を遂げた人もあるが、これは

とえに、われわれが抱いていた良き宗教のお蔭である。

 

  桜に飾られる楽しい春、もみじに染められる澄んだ秋、かくも美しい国土

に生を享けて、楽しい平和な家庭を営むわれわれが、人生を重荷と感じる

ことは稀であっただけ、死は、われわれにとって大きな悲しみであった。

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  「千代に八千代に」生きたいと願うわれわれは、死を、二重の苦痛と感 

じた。そして、この苦痛を和らげるものとしては、死後のわれわれを、 

さらに良い国へと導くことのできる信仰だけしか、なかったのである。

  それは、神道でいう、天にある聖人の家でもよかったし、また仏教で教え

る、極楽の蓮の園でもよかった。 

  われわれは、臆病からというよりは、むしろ、この美しい国への愛着の断

ちがたさのゆえに、死を恐れた。

 

  それゆえ、定命(じょうみょう=寿命)が尽きて、または義務に強いられて、

われらの生を享けた、この国を去らねばならぬときに、われわれの身を託

すものとして、われわれは宗教を求めたのである。



  日本人は、独自の宗教を持っている。それは、おそらく、中央アジアの

われわれの発祥地から携えて来たものであろう。

  その宗教が、本来どんな性質のものであったかを正確に語ることは

むずかしい。

 それが、「モーセ(*下の写真)の信仰」に似ていることが、近ごろ指摘

されたし、また、ユダヤ人の記録に残る「失われた十支族」を、日本人の

中に見出そうとする研究がなされたこともある。

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  しかし、われわれの最初の宗教が何であったにせよ、その宗教はやがて、

それよりすぐれて複雑な、また、あえて言うならば、さらに洗練された、

インド生まれの宗教に、その座を譲り、光を失う時が来た。

  このヒンズーの宗教が初めて日本人の中にはいって来たときの効果を、

われわれはたやすく想像することができる。

  その豪華な儀式と、高度の神秘性と、大胆で複雑な理論とによって、

単純な日本人の心は驚かされたにちがいない。

  無学な者は、その儀式を見て満足し、学ある者は知識欲をそそられ、

統治者は、この宗教が自分たちの目的に叶うものであることを認めた。

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  異国の宗教を全面的に受け入れることについて、愛国者の反対があっ

たにもかかわらず、このヒンズーの宗教は、猛烈な勢いで日本に広がり、

少なくとも一時は、古来の宗教が、すっかり蔭に押しやられたかとさえ見

えた。

  そして、新しい宗教は、その後、何百年にもわたって、この国に君臨し

続けたのである。  【つづく】

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