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2013年3月23日 (土)

中江藤樹(5 )

  4.近江聖人


  行商の仕事をやめて、村に学校を開いたのは、藤樹が二十八歳の時

ことである。 

  当時は、学校を開くほど簡単なことはなかった。先生の住む家が、同時

に、寄宿舎とも、礼拝堂とも、講義室とも、なったからである。

         Photo_5
 

Photo_3

  室の正面には、孔子(*下の肖像画)の肖像が掲げられ、生徒を従え 

た先生は、その前に進んで、然るべき儀礼のうちに、香をたいて、

敬意を表した。

                   Photo_3      

  科学と数学とは、教科の中に無く、シナの古典、多少の歴史、作詩、

習字が、当時の学科のすべてであった。 

  学校の教師とは、地味で、目立たぬ仕事である。その影響は、実にゆっ

くりとしか現われない。 

  世の派手好きな人には卑しまれようとも、天使に羨まれる事業、それが

教師の仕事である。



  この国の片田舎に根をすえて、彼は、平和にあふれる生涯を、その死

に至るまで、楽しんだ。まもなく、わかることだが、彼の名が世間に知られ

るようになったのは、ほんの偶然のことからである。評判を立てられること

を、彼は何よりも嫌った。

 

  彼にとっては、彼の心こそ彼の王国であり、彼は自分自身の中に、自分

のすべて、否、それ以上を有していたのである。 

  彼が、村の出来事に常に関心を持っていたこと、村の裁判所に訴えられ

た村人のために、とりなしをしたこと、自分をのせた”駕籠”かきにさえ、

「人の道」を教えたことなど、彼にまつわる幾つかの話を、純な村人は語り

伝えているが、これらの話は、藤樹自身の人生観と完全に一致するものだ。

                   Photo_4

  次に引用するのは「徳を積むこと」について、彼の述べたところである。
 

  人はみな、悪い評判を立てられることを嫌い、良い評判が聞こえること 

好む者である。  

  そして、小さな善行は、積り積もらぬかぎり、評判とはならぬから、凡人 

は、これを心に留めないが、”君子”は、日々行なわねばならぬ小さな善 

行を決して、おろそかにしない。  

  君子とても、大きな善行に直面する場合には、これを行なうが、ただ、 

それを探し求めようとしないだけである。  

  大きな善行をする機会は少ないのに反し、小さな善行を積む機会は 

多い。 

  そして、前者は、人の評判となり、後者は“徳”を積むに至る。世の人が 

大きな善行を探し求めるのは、評判を立てられることを好むからだ。  

  しかしながら、評判のためにするのでは、たとえ大きな善行であっても、 

小さなものとなり終わる。  

”君子”とは、小さな善行を積み重ねて徳を建てる人

のことである。まことに徳より、偉大な行為はない。

  徳は、あらゆる大きな善行の源である。


  彼の教え方には、一つの著しい特徴があった。彼は、生徒の徳と人格
 

とに非常に重きを置き、文学と知識の習得とを、極めて軽く見たのである。 

  真の学者とはいかなる者であるかについての彼の考えは、次の通りで 

あった。 

 

  「学者」とは、徳に対して与えられる名であって、学芸に対して与えられ  

る名ではない。 

  文学は学芸であるから、生まれながら文才に恵まれた人が文学者にな  

るのは、難しいことではない。  

  しかしながら、いくら文学に精通していても、徳がない人は、学者ではな  

い。それは、文学を解する凡人である。   

  これに反し、たとえ無学でも、徳のある人は、凡人ではない。それは、  

文学ぬきの学者である。                


  こうして藤樹が、彼の身近な小さな社会以外には名を知られることもな

い静かな生活を数年も送っていた頃、ついに、「摂理」は、彼を引き出して、

無名の彼を世の中へ知らせたのである。 

  ある一人の青年が、岡山を立って旅に出たことから、この物語は始ま

る。

 

 その青年は、彼の“先生”として仰ぐ聖人を、この国の中に探し求めて、

故郷を後にしたのである。 

  しかしながら、単身、探索の旅に出たこの青年が、かつてユダヤ人の

王を求めて旅立った東方の老博士たち以上に明らかな目標を持ってい

たわけではない。

 

  彼は、岡山から東の方、首都を指して道を急いだ。首都には、大名や

名士も住めば聖人も住むと、彼が考えたのは無理もないことである。 

  彼は、ついに近江まで来て、そこの、田舎宿に一泊した。薄い仕切り

壁で隔てられた隣室から、二人の旅人の話声が聞こえる。 

  近づきになったばかりらしいこの二人の交わす会話は、青年の注意

を引いた。 

 二人のうちの一人は武士で、彼は自分の経験を、こんなふうに話して

いた。



  私は、主君のお使いで都に上りましたが、国へ帰るに際し、数百両の

金を持ち帰ることを命じられました。 

  私は、その金を肌身離さず持っていたのですが、どうしたわけか、この

村に着く日に限って、いつもの習慣を違え、その日の午後雇った馬の鞍に、

金のはいった財布を結び付けたのです。

 

  そして宿に着くと、鞍に付けた宝のことをすっかり忘れ、”馬子”と共に

馬を帰してしまい、しばらく経ってから、恐ろしい忘れ物をしたことに気付

きました。 

  その時の私が、どんな絶体絶命の場に立ったかを想像してください。 

“馬子”の名も知らぬ私に、どうして彼を探せましょう。 

  万一、探し出すことができたとしても、彼が金を使ってしまったあとでは

何もなりません。 

  私の失態は、申し開きの余地のないものです。主君に対して、おわび

をする道は、ただ一つしか残されていません(当時は、人の命が、それ

ほど貴重でなかった。)

 

  私は、遺書をしたためました。一通は、御家老に宛て、他は、親戚の

者たちに宛てて書いて、最後の瞬間に処する決心を固めたのです。 

  口に言い表わせぬ苦悩のうちに時は過ぎて、真夜中となった頃、誰か

が宿の表戸をたたく音が聞こえましたが、まもなく宿の人が来て、人夫

の男が私に会いたいと言っている旨を取り次ぎました。

 

  その男に会ってみて、私が仰天したことは、まさしくその男こそ、その日

の午後、私を運んだ馬の“馬子”であったからです。彼は、すぐに話しか

けました。 

  「お武家様、あなたは、馬の鞍に大切な物をお忘れになりましたね。 

  私は、家に帰ってから、それを見付け、あなたにお渡しするために、

引き返してまいりました。それは、ここにございます」。

 

  そう言いながら、彼は、財布を私の前に置きました。それを見て、私は

思わず喜びで有頂天になりましたが、ようやく気持を落ちつけて言いま

した、「君は、私の命の恩人です。どうか、この金の四分の一を受け取っ

てください。それは、私が生きることのできたお礼なのです。君は、私の

第二の父上ですよ」と。


                     Photo_6


  しかし、その人夫は、私の言葉に動かされる様子もなく、「そのような物を、

私がいただくいわれはありません。 

  その財布は、あなたのものですから、あなたが、それをお持ちになる

のは、当然すぎるほど当然なことです」と言いながら、前に置かれた金に

手を触れようともしません。

 

  そこで、私は、では十五両、次には五両、次には二両、おしまいには

一両でもいいから受け取ってくださいと頼みましたが、駄目でした。 

  ついに、彼は、こう言いました、「私は貧乏人ですから、わらじ代として、

四“文”(一銭の百分の四)ください。財布をお返しするために、家から

四里の道を歩き通して来ましたので」。

 

  そして、ようやくのことで彼に押し付けることのできたのは、わずか二

百文(二銭)でした。 

  彼が、いそいそとして立ち去ろうとしたとき、私は、彼を呼び止めて、

尋ねました、 

  「どうか教えてください、君をこんなにも無欲で、正直で、誠実な人間

にしたのは何なのですか。この年になるまで、私はこの世で、こんな正

直な人に会おうとは、夢にも思っていませんでした」。

      Photo

  「私の住む小川村に、中江藤樹 (*上の肖像画という方がおられまし

て」と、その貧しい 男は答えました。 

  「その方が、私ども村の者に、このようなことを教えてくださるのです。 

その方は、金もうけが人間の目的ではない、正直と、正義と、人の道とが

大切なのだ仰います。村の者はみな、この方のお言葉を聞き、その教

えの通りに歩んでいるのです」。  【つづく】

 

 

 

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