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2013年3月12日 (火)

二宮尊徳(8 )

  5.広範囲な公共事業



 
  尊徳の信念により、下野国の荒廃した三村の復興が実現し、それに

よって彼の名声が確立すると、彼は、日本中の大名に絶えず煩わされ

る身となった。 

  押しかける訪問者を、彼は例のぶっきらぼうな応対法で撃退したが、

しかし、彼の「信念のテスト」に堪えた者も少なくはなく、これらの人々は、

彼の賢明な助言と、実際的な援助との恩恵を、余すところなく受けること

ができた。

 

   荒廃した広い国土の改良のために、彼の助けを求めた大名の数は

十指にも余り、同じ恩恵を受けた村々の数は数えることもできない。 

  晩年近くになると、日本国に対する彼の貢献は計り知れぬほどのもの

となり、彼は幕府にまで登用された。

 

  しかし、彼の使命は、もともと家庭的な性質を帯びた素朴なものだった

から、彼は、要人階級の公約、社会的な慣例から逃れて、自分と同じく

貧しい労働者階級の中に身を置くとき、その最高の能力を発揮すること

ができた。 

  それにつけても驚くべきは、素性も卑しく教養も乏しい一介の農夫、

尊徳が、「高位の人々」の間に交わって、「真の貴族」のようにふるまい

得たことである。

 

  大名たちの中でも、彼の援助を最も多く受けたのが、彼自身の藩主、

小田原公であったことは言うまでもない。 

  小田原城(*下の写真)に属する広い領地は、彼の管理の下に置か

れ、その中にある多くの荒廃地が、彼のたゆまぬ勤勉と、尽きせぬ

「仁術」とによって復興した。

                 Photo


  ことに一八三六年の大飢饉(=天保の大飢饉:下の絵は、その紙芝居)

は、彼が同藩の人のために最も目覚ましい働きをした一つである。 

                       Photo_2
 

  まさに餓死しようとしている数千の民を急ぎ救済することを、小田原

公(当時、江戸在住)から委任された尊徳は、当時、まる二日の道程

であった小田原へ急行して、餓民を急ぎ救うため、城の穀倉を開く鍵を

渡されたいと、その筋の役人に申し出た。

 

  「殿のお許しの書面を見るまでは、なりませぬ」 

と言うのが、役人たちの侮ったような答え。 

「それならば、よろしゅうございます。しかし皆様方、殿様のお許し状が 

届くまでの間には、なお多くの領民が餓死するでありましょう。 

  その民を守る役目にある私どもは、民と同じように食を断ち、御使者が 

帰られるのを、この城内の一室で、断食しながら待つべきであると信じ  

ます。そうすれば、私どもも、民の苦しみの幾分かを察することができま 

しょう」

  四日間の断食とは、考えただけでも恐ろしい。役人たちはすぐさま、

穀倉の鍵を尊徳に渡した。そして、救済は直ちに実施されたのである。

                  Photo_3

  願わくは、いかなる時代の、”いかなる国”の為政者も、ひとたび民が

飢えに瀕した場合には、この道徳家の、この時の申し出を思い起こされ

んことを!

  苦しむ民に救いをもたらす前に、無用の形式を踏まねばならぬが

官僚主義であるにもせよ―。

 

  「飢えた民を救う手段のない時の、救済の方法はいかにすべきや」

題して、尊徳が、有名な講話を行なったのは、この時であった。 

  聴衆の筆頭は、藩主によって領主の執政官に任命されている家老で

ある。 

  この時の講話は、尊徳の特徴をよく現わすものであるから、ここに

その一部を引用してみよう。

                       Photo_4


 国土は飢え、穀倉はむなしく、民の食すべきものは

一物(いちもつ)もない―

 れは、為政者の罪でなくして何でありましょう!

  為政者は、“天民”を 委ねられている者ではありませんか? 
 
  この天民を、悪から遠ざけて、善に導き、彼らに平和を与えるのが、
 

その使命ではありませんか?  

  この役目を遂げるためにこそ、殿から高給を賜って、家族を安穏のうち 

に養うことができるのであります。  

  しかるに今、その民が飢えて死のうという時に、為政者がこれを自分 

の責任と感ないとは―天が下に、これほど歎かわしいことがありまし 

ょうか。 

 

  この時にあたり、救助の道を見出すならば、よし。もし見出せぬときは、 

為政者は、その罪を天の前に告白し、進んで断食して、“死す”べきであ 

ります。  

  それに続いて、郡奉行、続いて代官が、同じく断食して、“死ぬ”べきで 

あります。  

  なぜならば、彼らもまた、その義務を怠り、民を死と苦難とに陥らせた 

からであります。 

 

  こうした犠牲的行為が、飢えに苦しむ民に及ぼす道徳的効果は直ちに 

現われるでありましょう。民らは互いに、次のように話し合うことと思います。

  「御家老様や御奉行様は、御自分たちに何の罪があるでもないのに、
 

飢饉の責任を取って、お果てなられた。

  このような飢饉の苦しみに会うというのも、豊年の年に万が一のことを
 

考えず、贅沢に流れ、無駄遣いをしたためだ。 

 

  お歴々のお役人が悲しい最期をお遂げなされたその責任はわれわれ 

にある。われわれが今、飢えのために死ぬのは当然のことだ」   

と。  

  こうなれば、飢餓の恐れは去り、それとともに死の恐れもまた消えて、 

民の心は平和となります。 

 

  ひとたび恐怖が去れば、食物を得る手だては彼らも手近に見付けられ 

ます。  

 富める人は、貧しい人に、その持つものを分けてやるでありましょうし、 

あるいは山に登って、草木の葉や根を食とすることもできましょう。 

  わずか一年ぐらいの飢饉で、国中の米や雑穀を食べ尽くすということは 

あり得ず、丘や山には緑の食物があります。 


              Photo_5


  人の心が餓死の恐怖でいっぱいになると、食物を探す気力もくじけ、 

ついに死に至るのであります。 

  ”それはちょうど、臆病鳥が空砲の音に驚いて落ちることがあるのと 

同じで、人も、窮乏の年月を送るうちには、飢餓の声を聞いただけで、  

魂消えて死ぬようになるのであります。” 

 

  それゆえ、民の指導者たる者が、まず、まっさきに、自ら進んで断食して 

死ねば、飢餓の恐怖は人々の心から消え去り、すべての者が食を見出  

して、救われるでありましょう。  

  しかし、窮民救済の実を挙げるためには、御奉行や御代官様までが 

死なねばならぬ必要はありますまい。  

  御家老様一人の犠牲で十分だと信じます。飢えに悩む民を救う手段の 

尽きたる時、民を救う道は実にこれ一つであります。

 

  講話は終わった。家老は恥じ入り、また狼狽して、言葉もなかったが、

ようやくにして言った、「言われることは一々もっとも。われらにおいて、

異議の申し立てもない」と。 

  【つづく】

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