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2013年3月21日 (木)

中江藤樹(3 )

    2.初期の時代と、自覚の発生 

 

  西暦一六○八年といえば、関ヶ原の合戦(*下の絵)からわずか八年の

後、大阪城落城に先んずる七年という戦国の世であって、男の主な仕事は

戦うことであり、女のそれは、泣くことであり、文学や学問は、学ぶ価値のな

いものだという考えが、まだ世間の実際家の間に行なわれていた頃である。


             Photo_5


  この年に、日本の生んだ最も徳の高い、最も進歩的な思想家の一人が、

近江の国に生まれた。そこは琵琶湖(*下の写真)の西岸で、近くにそび

える比良の峰が、その円い頂きを、鏡のような眼下の湖に映す所である。

          Photo

  しかし、彼は幼いころ、近江の父の家から遠く四国の祖父母のもとに送ら

れ、主として彼らに育てられた。

                     Photo_2

  彼は幼いころから、その年に似ぬ、また武芸を仕込まれる武士の子にし

ては珍しい敏感さを示した。 

  すでに十一歳のとき、孔子の『大学』の一部を読んで、その後の全生涯を

決定する大望を抱いたほどである。その中には、次のように書かれてあっ

た。

 

  ”天子をはじめ、庶民に至るまで、人間の主たる目的は、その生活を正し

く整えることにある。”  

    このような本が、ここにあるとは!   ああ天に感謝します、 

と言い、さらに次のように叫んだ。 

    私自身とても、怠らず務めたならば、聖人になれないことがあろうか! 

  彼は泣いた。このときの感動は 、一 生涯、彼の心から消えなかった。 

「聖人になる」 ― これはまた何という大望であろう!



  この少年はしかし、祈りや内省にのみ明け暮れる、甘受性過多の柔弱者

ではなかった。 

  あるとき、暴徒の群れが祖父の家を襲ったが、そのとき、彼は、刀をふる

って真っ先に賊の真ん中へ飛び込み、見事に賊を退散させた。しかも、

その後は、「平然として以前の通り」であったという。わずかに十三歳の時

のことであった。

  同じころ、彼は、天粱(てんりょう)という、学識ゆたかな仏教の僧侶のも

とへ 、作詩と習字とを学ぶために通わせられた。

 

  この早熟な少年は、その師に向かって多くの質問を発したが、次の質問は、

特に彼の人と成りをよく表わしている。 

  先生のお言葉によれば―仏陀は生まれたとき、片方の手で天を指さし、

もう一方の手で地を指さして、「天上天下唯我独尊(*下の写真)と言わ

れたということですが、仏陀は、天が下で最も高慢な人間ではありませんか。 

  それにもかかわらず、尊敬する先生が佛陀を理想としておられるのは、

そもそもどういうわけでございますか?

                    Photo

   そして少年は、その後も決して仏教を好きになれなかった。少年の理想

は、完全な謙遜であったのに対し、仏陀は、そういう人ではなかったからで

ある。 

  十七歳のとき、彼は孔子の『四書』下の写真)の完全な一揃いを手に

入れることができた。(このことは、当時の書籍の欠乏のさまを示すもので

ある)。

           Photo_3


  これ以来、彼の勉学欲はさらに高まり、今は自分のものとなったこの貴重

な書庫から、知識を吸収するために、余暇のすべてを捧げたのであった。 

  しかしながら、武士の主な仕事は戦うことであり、読書などは、僧侶か世捨

て人にのみ、ふさわしい仕事として、さげすまれていた当時のことであるか

ら、若き藤樹の勉学も、隠れて行なうほかはなかった。 

  それゆえ、昼間の時間はすべて武芸のために費やし、夜だけ読書に没頭

したのである。しかし、秘密がいつまでも現われずにいるわけはない。

 

  あるとき、同僚の一人が、彼を「孔子さん」と呼んだ。これは、彼が夜ごとに

読書に没頭することと、当時の粗野で好戦的な若者とは違う、彼の温和な

性質とを、嘲ったものであることは確かだ。

 

  「君は、なんと無学な人なのか!」 

  さすが温厚な若者も、怒りに声を荒ららげた。 

  「孔子は二千年も前に亡くなられたお方だ。その聖人のお名前を、あだ名

扱いする君は、聖人を冒涜するのか! 

  それとも、私が学問を好むのを、あざ笑うのか? あわれなやつ! 

戦争ばかりが武士の勤めではないぞ。 

  平和の時の仕事もまた、武士の励むべきものだ。無学の武士は人間では

ない。物質だ。奴隷だ。君は、奴隷であることに甘んじるのか?」

           Photo_4
 

  藤樹の一喝は効き目があった。その同僚は自分の無学を認め、その後

全く、おとなしくなったのである。

  彼、今や二十二歳となって、彼を、はぐくんでくれた祖父母はすでに世を

去り、近ごろ、父をも失った。父と共に暮らした月日は、ほんのわずかなも

のだった。

  残るは母一人。重なる不幸に、彼は、一層、感じやすく、涙もろく、情ぶか

い人となり、彼の思いは今はひとすじに、近江に残した母親に向けられる。

  当時の彼は、その学識と、その潔白な人格とのゆえに、日々、名声を高め

つつあり、前途には栄誉と高給とが待ち受けていたが、彼にとっては、全世

界よりも、ただ一人の女性―彼の母の方が大切であった。この時以来、母は、

息子の心尽くしを一身に集めるようになるのである。  【つづく】

 

 

 

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