フォト
2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 「TPP参加は、国家百年の計」? | トップページ | 中江藤樹(2 ) »

2013年3月18日 (月)

中江藤樹(1 )

  中江藤樹―村の教師



    1.旧日本の教育


 
 われわれ西洋人が、君たちを救いに行く前、日本の学校教育は、どんな 

形のものだったのですか。君たち日本人は、異教徒の中では、最も賢い 

国民であるように思われる。  

  何らかの道徳的、知的な訓練を受けたればこそ、君たちは、過去におい 

て、また現在において、これほどに成り得たのだと、われわれは信じるの 

ですがね。  

  故国を離れて、初めて西洋人の間に立ち交じった日本人に対し、文化的  

な西洋人は、往々、こんな調子の質問を発する。これに対するわれわれの  

答えは、ほぼ次のようなものだ。 

 

   そうです。われわれは学校教育を受けました。それも相当なものです。 

われわれがまだ母のひざの上にいた頃、われわれは少なくとも、十戒の

内の八つまでを、父の口から学んだと信じます。 (*下の写真は、会津藩

の藩校・日新館の正門)

          Photo

  すなわち、力は正義では”ない”こと、宇宙は利己主義の上に立つもので

”ない”こと、いかなる形を取ろうとも、盗みは正しく”ない”こと、生命と

財産とは、われわれ究極の目的とすべきものでは”ない”こと、その他多

くの事どもです(*下は、日新館の「什の掟」)

                     Photo_2

  われわれには学校もあり先生もいましたが、それは、あなた方、偉大な

欧米人の間で見られるもの、また、今やわが国でも、それをまねしている

ものとは全く違うものであります。 

  第一、学校が知的な年季奉公をする所だなどとは、われわれは考えた

こともありません。 

  われわれが学校にやらされたのは、卒業の後に生活費をかせぎ出すと

いうよりは、むしろ”真の人間”われわれの言葉で言えば〝君子”になる

ためでありました。 

  君子とは、英語のジェントルマンに似かよったものです。

 

  また、われわれの学校では、一ダースもの違った学科を、同時に教える

ということもありませんでした。 

  昔も今も、人間の脳髄は、一ダースどころか、わずか二葉しかないと決ま

っていますから、昔の教師は、数年の短期間に、あらゆる種類の知識を詰

め込んではならぬと考えていたのです( 賢い考えだと、われわれは思いま

す)。(*下は、寺子屋)

                 Photo_3

  〔それゆえ、われわれの学校には、悪魔学、天使学、蛙(かえる)学、かぶ

とむし学などを専門にするような教授はいませんでいた。 

                      Photo_4   

            Kabutomusi

  いなごの研究に二十五年間も費やしたと自慢したあとで、しかし、自分は、

いなごについて、実は何も知っていないのだと、人知に限りのあることを、

さも悲しげに告白するような者はいなかったのです。 

  また、生徒にだって、かぶとむしや、かえるや、悪魔学等の専門家に育て

られようと思う者は一人もいませんでした。〕



  これは、旧日本の教育制度のすぐれた特徴であります。われわれは主と

して、歴史、詩歌、作法を学びましたが、しかし、最も力をこめられたのは

道徳であり、それも、実践的な性質のものでありました。 

  純理論的、神知学的、神学的な道徳を、われわれの学校で強いられたこ

とはありません。 

〔例えば、天の中心にあって日輪を支える人や、人語を語る驢馬(ろば)の

ことなどで、われわれは決して頭を悩ましませんでした。〕

 

  わが国の仏教学者が、山中の幽居で、実在しない動物である亀甲の毛

の数その他、取るに足りない事などを論じていたのは事実ですが、しかし、

われわれのように、下界に住んで、人間世界の実際問題に携わらなけれ

ばならぬ者は、このような問題を一々、気にかけなくてもよかったのです。 

  要するに、われわれの学校では、神学を教えませんでした。 

神学を学びたい者は、寺(教会)へ行くことになっていましたから、他の国

々のように、宗教上の論争が学校で行われるなどということはありませ

でした。 これもまた、旧日本の教育のすぐれた面であります。



  次に、われわれは、クラス別に学ぶこともありませんでした。魂を持った

人間を、オーストラリアの農場の羊よろしく、クラス分けにする制度は、旧

日本の学校にはなかったのです。

                Photo_5

  われわれの教師は、人間とは分類できない者であり、誰しもが個人として、

すなわち、顔と顔、魂と魂とをつき合わせるようにして扱われねばならぬ者

あることを、本能的に知っていたと、私は思うのです。

  それゆえ、教師たちは、生徒一人一人を対象に、それぞれの肉体的、

知能的、精神的特性に応じた教え方をしました。

  “教師が、一人一人の生徒の名前を知っていたことはもちろんです。”

こうしたやり方でしたから、驢馬と馬とが一つの馬具に繋がれるようなこと

は決してなく、驢馬は、打ちのめされて、愚か者扱いされ、馬は、卒業生

総代の墓*に追い込まれるような危険は、極めて少なかったのです。

(*大学の卒業生代表として、卒業式で告別演説をする名誉をになった

  優秀な学生が、そのために身を誤ることを指す。)

  適者生存の原理に基づく当世流の教育制度は、人類愛にあふれた、

寛容な君子(紳士)を作るのには不適当なものと考えられていました。

  それゆえ、この点で、旧日本の教育者は、ソクラテスやプラトン(*下の

肖像画:上、ソクラテス、下、プラトン)の教育論と一致した考え方をして

いたわけです。 【つづく 】
              Photo_6

               Photo_7

 

 

« 「TPP参加は、国家百年の計」? | トップページ | 中江藤樹(2 ) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links