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2013年3月 2日 (土)

二宮尊徳(4 )

  大胆ではあるが、合理的で、しかも安価な計画ではないか?  このよ

うな計画に同意しない者があろうか?  主として“道徳の力”に頼って、

経済方面の改革をしようというのである。

  こんな農村の復興計画を聞いたためしはない。信仰を経済問題に応用 

しようとしたものである。

  尊徳の内には、ピューリタンの血が通っているように見えた。いや、

むしろ彼は、西洋伝来の「幸福至上主義」に汚されぬ真正の日本人であっ

たと言うべきであろう。

 

  そして当時は、彼の言葉に耳を傾ける人も、またあったのである。彼の

主君は、その最初の人であった。その後の百年の間に、われわれは、

「西洋文明(*下の写真)によって、どれほど変化させられたことであろう!

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  尊徳の提出した復興計画は採用され、われらが農民道徳家は、向こう

十年、この三村の実際上の指導者となることになった。

 

  その結果として、祖先伝来の資産を回復する仕事を放棄せねばなら

ぬのは、つらいことだったが、しかし彼のような熱誠の人は、どんな仕事

に対しても、全心全霊をもって当たらぬことを罪と感じるのである。 

  ましてや三村の復興という公共の事業を引き受けた今、個人の利益を

顧みるべきではない。

 

  「数千の家を救おうと思えば、わが家を犠牲にするほかはない」と、彼は

自分に言い聞かせた。そして、自分たちの宿望を犠牲にすることについて、

妻にも同意してもらい、「祖先の墓の前に、もの言うようにして」彼の決心

を告げ、家をたたむと、さながら別の世界へ赴く人のように、帰るべき舟を

焼くほどの決意をもって、故郷の村を後にした。

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  そして、主君と同胞人とに、あれほど大胆に請け合った仕事に入って

行ったのである。

  任地での彼は、土地の荒廃と戦うとともに、人心の荒廃とも戦わねば

ならなかった。その詳細については、ここでは語るまい。

 

  彼は、策略や政略は一つも使わなかった。彼の信念は、ただこれで

あった、すなわち“一人の人間の誠意は、大地をも動かすに足る”

ある。彼は、一切の美食を斥け、木綿の衣服のほかは着けず、村人の家

で飲食をせず、一日にわずか二時間、眠るのみで、朝は誰よりも早く野良

に出で、夕方は、皆が帰ったあとまで残るというような生活を続けた。

 

  このようにして、彼は、あわれな村人の身にふりかかったきびしい運命

を、わがものとして堪えたのである。彼は、自分自身を審(さば)くと同じ

標準で、民を審いた。 

その標準とは、動機が誠実であるということである。

彼の考えによれば、最良の労働者とは、最も多くの仕事をする者では

なくて、最も気高い動機によって働く者である。

 

  あるとき、彼のもとに、村一番の働き者という一人の男が推挙されて

来た。この男は、三人前の仕事をするのみか、至って気立てもよいという。 

  尊徳は、長い間、その推挙に耳を傾けなかったが、この「気立のよい

男」に、相当の賞与を与えなくてはならぬと、同僚の人々が言い張るので、

ついに、その男を呼び寄せ、他の役人の前で行なったのと同じ方法で、

一日の労働を、自分の面前でするようにと命じた。

 

  男は、とてもそれはできませんと言ったのち、賞与がもらいたいばかり

に、身廻りの役人たちの面前で、むりに三人前の仕事をして見せたこと

を白状した。

  自分の経験から、人間の能力の限界を知っていた尊徳は、このような

報告によって、決して欺かれなかったのである。 

  彼は、この男を罰し、その偽善を充分戒めて、野良にかえした。



  もう一つの例を挙げよう。それは、老いて一人前の仕事が難しくなった、

ある農夫の場合である。 

  この老人は、いつも、木の根っ子掘り(*下の写真)という―骨が折れ

て、しかも目立たぬ仕事に精出していた。他の者が休んでいるときでも、

自分が選んだこの仕事をするのが、楽しくてならぬ様子で働いていたの

である。 

  彼は「根っ子掘り」と呼ばれて、村人の注意を引くこともなかったが、

長官である尊徳のみは、彼に目を付けていた。

                              
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  そして、ある給料日、例によって、農民一人一人の仕事ぶりや受け持ち

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に感じて、長官の裁断が下される日に、最高の栄誉と賞与を受ける者と

して呼び出されたのは、ほかならぬ、この「根っ子掘り」だった。 

  皆の驚きもさることながら、誰よりも驚いたのは、当の本人である。

彼は、定まった給料以外に、金十五両を授けられることになった。

 

  農民の一日分の給料が、わずか二十銭であった当時としては、ほとん

ど考えられもせぬ大金である。老人は叫んで言った。 

  「旦那様、私は年寄りで、一人前のお給料さえ、もったいないほどの者

でございます。私の仕上げた仕事は、人様に及びもつきません。 

  旦那様は、おまちがえになっていらっしゃるのです。私は気がとがめて、

とてもこのお金をいただくことはできません。」 

  「いや、そうではない」 

と、長官は、おごそかに答えた。

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  「おまえは、他の人が働きたがらない所で働いた。人が見ていようと、

見ていまいと、ただ村のためになることだけを考えて、働いたのだ。 

  おまえが根っ子を掘り出してくれたおかげで、邪魔物はなくなり、われ

われの仕事は、大いに助かった。 

  おまえのような者に褒美をやらないで、これからさきの仕事を、どうし

て続けることができようか。 

  この褒美は、おまえの正直の報いとして、天から授かったものだ。

ありがたくお受けして、老いの身を養うために用いるがよい。 

  おまえのような正直者に褒美をやることができて、私はこんな嬉しいこ

とはない。」

 

  老人は子供のように泣き、「その袖は、涙にぬれて、絞るほどであった」。 

三つの村々は、深く感動した。 

  ここに、神のような者、すなわち、ひそかになされた善行を、明らかに

報いる者が、彼らの間に現われたのである。  【つづく】


 

 

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