フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 中江藤樹(7 ) | トップページ | 皆さんへ »

2013年3月28日 (木)

中江藤樹(完 )

  しかし、この恐れを知らぬ精神、この独立の精神を持つ彼が、その倫理

大系の中で、謙遜の徳に最上位を与えたことは、実に画期的なことである。 

  彼によれば、謙遜は、他のすべての徳の源となる根本の徳であり、謙遜

の徳を欠く人間は、何ものをも持たぬにひとしい。


  学者とは、まず自尊心を捨て、謙遜の徳を求める者だ。この徳を欠く者は、
 

いかに学識と豊かな天分に恵まれていようとも、凡俗を超越した地位につ  

く資格はない。  

  満ち足りることは、損失のもととなる。謙遜は、天の法である。謙遜とは、 

おのれを空虚にすることだ。心が虚となれば、善悪の判断は、おのずから 

生じよう。

 

  ”虚”という言葉の意味を説明して、彼は次のように言う、 

   昔から、道を追求する者は、この言葉につまずく。霊的であるがゆえに

であり、虚であるがゆえに霊的なのだ。このことをよく考えよ。
 
  この徳の高さに達するために、彼が執った方法は、きわめて単純なもの

であった。 

   彼は言う、 

  もし有徳の人となるのが目的ならば、われわれは日ごとに善をなさねば

ならぬ。 

  一つの善を行なえば、一つの悪が消滅する。日ごとに善を行なえば、

日ごとに悪が消滅する。 

  日が長くなれば夜が短くなるように、つとめて善を行なえば、悪は残りな

く消え去ってしまう。

 

  そして、自分の心中が、この「虚」であることに、無上の満足を感じる藤樹

は、まだ心中の利己心に縛られている人々をあわれんで、次のような言葉

を綴った。

 

   牢獄のほかに牢獄があり 

      その大きさは世界を包む 

  その四方の壁を作るのは、名誉欲と 

  利欲と、高慢と、情欲― 

  ああ、いかに多くの人々が 

  そこにつながれて、永久に悩むことか
              Photo_7


 
藤樹は、どのような形を探るものであろうとも、「願望」、欲望の類を軽

蔑した。 

  仏教に、こういう要素が濃いところから、彼は、これを嫌って、全く仏教を

離れたのである。

 

  報いを目的として善行をするということは、その報いが、たとえ来世で与

えられるものであっても、彼の心にかなわぬことであった。 

  正義を行なうのに、正義以外の動機は要らぬと、彼は考えていた。

 

  たとえ、彼が来世の存在を信じ、来世に生きることを期待していたとして

も、そのことは、彼の正義を愛する心と、「天の道」を実践する喜びとに、

いささかの影響をも与えなかった。

 

  次に引用する彼の手紙は、息子が仏教の信仰を捨てて孔子の弟子とな

ったことを悲しむ、ある母親に宛てたものである。 

  来世に、それほどまでに重きを置かれるあなたのお気持ちは、私にもよ

く分かります。 

 しかし、来世がそれほど大切なら、現世は、それ以上に大切だということ

に気付いていただきたい。 

  なぜならば、この世で道に迷った者は、来たるべき世においても、永遠

に迷い続けるにちがいないからです。・・・・ 

 
  明日のこともわからぬ、定めなきこの世では、心の中で、たえず仏を崇

めまつることこそ、最も肝要です。・・・・


  藤樹が無神論者でなかったことは、この国の神々に、彼が深い敬意を

ささげたことに、よく現われている。しかし彼の信仰は、ひたすらに正しく

ありたいという一つの願望のほか、あらゆる種類の「願望」を拒否すると

いう、驚くべきものであったのだ。



  それでいながら、彼は、人生を十分に楽しんだ人のように思われる。
 

彼の書いたものを読んでも、失望の一ふしすら見つけることはできない。 

  孔子の流れをくむ王陽明派の学者であるこの人が、どうして、かほどま

でに幸福であり得たかということは、神と宇宙とに関するわれわれの考え

方からは、想像することもできない。〔ある月夜の夜、湖上に浮かぶ小舟

の中で、彼は、次のような漢詩の一節を得た。

 

  念慮一毫の差も 

応酬千里訛(あやま)る 

 人心よろしく静を主とすべし 

名月、波に沈まず〕 


                            Photo_4



  彼の心が、つねに変わらぬ喜びで満たされていたればこそ、「冬の日に」

と題する、次のような和歌も生まれたのであろう。

 

  世の中の桜をたえて思わねば  

      春の心はのどかなりけり

                  
                      Photo_5


  次も、同じような調子である。
 

  思いきやつらく憂(う)かりし世の中を 

      学びて安く楽しまんとは



  しかし、彼は、長寿を楽しむことができなかった。妻に先立たれて二年後

の、一六四八年の秋、四十歳で、その生涯にふさわしい死を遂げたので

ある。 

  いよいよ最期が来たことを悟った彼は、弟子たちを呼び集め、平常通りの

正しい姿勢をとって言った。 

  私は、逝く。この国で、私の道が失われぬように、心掛けてくれよ
 

  そして、彼の生命は絶えた。近隣の人々はすべて喪に服し、大名たちは、

その師に敬意を表するために、特使を送った。 

  彼の葬儀は、国家的な行事として行なわれ、徳と正義とを愛するすべて

の人々は、国家の大きな損失として、彼の死を悲しんだのである。

 

  彼が生前住んでいた家は、後年、村人の手で修理され、今日に至るま

で保存されている。  
                  

  村人はまた藤樹を神として祭り、年に二回、彼を記念する祭典を催す。

彼の墓をたずねて行けば、簡素な礼服をまとった村人が案内役をつとめ

てくれるであろう(*下は、中江藤樹神社と彼のお墓)

                  Photo_2
      
           Photo_3



  その人に向かって、三百年も昔の人物が、なぜ、今もこのように敬われ

るのかと聞けば、次のように答えるであろう。

  この村や近在では、父は子にやさしく、子は父に孝をつくし、兄弟は互い

に睦み合っています。

  どの家からも怒り声は立たず、一同の顔に平和があふれているというの

も、ひとえに藤樹先生のお教えと、後に残る感化の賜物です。 

  それゆえ、私どもは一人残らず、感謝をもって先生のお名前を崇めてお

ります。

                     Photo


  そして、現代に生きるわれわれが、太鼓のとどろき、ラッパの響き、新聞

広告等によって、「感化」を他に及ぼそうとするならば、感化の真の秘訣は

何であるかを、藤樹先生に教わるがよい。

 

  バラが、おのれの香りに気づかぬように、おのが感化力に気づかなかっ

た人、藤樹のような、静かな生涯を送ることができないならば、一生の間、

いかに書き、説教し、怒号し、身ぶり手ぶりで訴えようとも、われらの死後

には、「“畳”一枚ほどの土の塚」より他は残らぬであろう。藤樹は、かつて

言った、

                          Photo_6

  聖人は、この国の至る所に散在している。谷の合い間、山の蔭に住む、 

これらの方々に、われわれが気づかないのは、この方々が、自分を世に 

現わそうとなさらないからだ。 

  これらの方々こそ、真の聖人であって、この世にとどろいている人などは、 

実は数うるに足りないのである。

 

  幸か不幸か、藤樹の名は、「世にとどろいた」。(これが、まったく彼の

意志に反したものであることは、われわれが知っている。) 

  これは、気高い目的を抱いて送る静かな生涯が、いかに力あるもので

あるかを、われわれ一同が、この人によって学ぶためである。

 

  「谷合い」の住み家を学校として、あらゆる種類の卑しさに染まらぬよう、

旧日本を守ったのは、これらの聖人たちであった。 

  そして、現代の学校制度が、徳をたたき込み、天才を仕立てることに、

いかに懸命になろうとも、われわれの周囲に、かほどにまで充満する

卑しさを、おさえることができるかどうか、われわれは疑わざるを得ない。

 

  「血は、みんな頭にあがってしまった。手足は、空っぽだ。われわれは間

もなく卒中で死ぬだろう」と現代人は叫ぶ。 

  ”もし、この国に多くの藤樹が現われないならば”、この叫びは、やがて

現実のものとなるであろう。  【了】

 

 

« 中江藤樹(7 ) | トップページ | 皆さんへ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links