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2013年2月 2日 (土)

西郷隆盛(1)

     西郷隆盛―  新日本の建設者


  1.1868年の日本革命(=明治維新)

 

  天の命によって、日本が初めて青海原の中から現われたとき、この国に

与えられた命令は、これであった。

 

  日本よ、なんじの門の中にとどまれ。われが、なんじを呼び出すまで、

世界と交わることなかれ。

                 17

  それゆえ、日本は二千余年もの間、国内に閉じこもっていた。そして、

この間、他国の艦隊が四方の海を騒がせることも、その沿岸を犯すことも

なかったのである。 

  日本が、かくも長い間、世界から離れていたことを非難するのは、最も

反哲理的な批判である。

 

  これは、すべての知恵にまさって高い知恵が命じたことであって、日本

がその命令どおり、ひとりを守ったことは、日本のためはもとより、世界の

ためにも善いことであったし、今なお善いことである。

 

  世界の仲間入りをせぬことが、国民にとり不幸とは限らない。あわれみ

深い父親なら、まだ十分に成長せぬ子供を、世の中に放り出して、いわゆ

る「文明開化の風」に染ませるようなことはしないであろう。 

  インドは比較的に世界に接近しやすかったために、たやすくヨーロッパの

利己心の餌食となってしまった。

 

  インカ帝国(*南米におけるインカ族の建設せる広大な帝国。1240年頃

統一。優秀なるインカ文化を有し、平和なる生活を営む。1533年、ピサロの

率いるスペイン植民隊によりて滅ぼさる。・・・・この註は、鈴木俊郎訳の

文庫本より引用、この他も同様)や、モンテンズマの平和の国(*アズテカ

王家の下のメキシコ。モンテズマ2世、スペインのコルテスに殺され、メキシ

コはスペインの植民地となる。)は、世界によって、どんな会わされたか?

(*下方、上がピサロ、下がコルテス)

             Photo

 

 Photo_3

  世界は、日本の鎖国をとがめる。よろしい、門をあけよう。すると、クライブ

(1725~1774.英領インド帝国を築いた政治家にして将軍:下の肖像画)や

コルテス(1485~1547.スペインの将軍、メキシコの征服者)の輩が、そこ

から侵入して来ることは必至だ。それは、ちょうど、厳重に戸締りをした家に

押し入る強盗のやることと同じではないか?

                            Photo_5

  それゆえ、恵み深い摂理は、海と大陸とで、日本のまわりを取り囲んで、

それを世界の目から隠したのである。 

  定められた時の来る前に、一度ならずこの国への侵入を計った貪欲な輩

もあったが、国民は、その純粋な自己防衛の本能に従い、決して門を開こう

とはしなかった。

 

  世界に接触するとともに、たちまち、その中に呑み込まれて、独自の性格

を失うようなことがないためにも、国民的性格をしっかり形づくっておく必要

があったのである。 

  それと同じく、世界の側もまた、日本をその一員として迎える前に、改善を

要する点が多々あったことを悟らなければならない。 

  〔たとえば、スペインの宗教裁判、フランス革命の生き地獄、アングロサ

クソンの奴隷所有等々の、悪魔的行為や習慣を廃止せねばならなかった

のである。〕



  1868年の日本の革命は、世界史に一点を画したものと私は思う。なぜ

ならば、これを機として、はっきりと質の違った二つの文明を代表する二つ

の民族が、互いを“尊敬”し合う交際に入ったのであり、その結果、前進的

な西洋は、無秩序な前進を食い止められ、回顧的な東洋は、よどんだ眠り

から覚まされたからである。 

  この時以来、西洋と東洋、クリスチャンと異教徒の隔ては消えて、人道

と正義の下に、全世界は一体となることとなる。 

  日本が目覚めるまでは、世界の一方は、他方に背を向けていたが、日本

により、また日本を通して、両者は、顔と顔とを合わせるようになったので

ある。

 

  ヨーロッパとアジアとを“正しい関係”に置くという問題を解決すべき使命

は、日本の上に下った。日本は、現にそれを解決しつつある。

  こうして、日本の長い鎖国は終わるのであるが、この大事を成就するには、

それにふさわしい人物と機会とが必要である。

  その機会は、太平洋の両岸にあるシナとカリフォルニアとが、ほとんど

同時に開かれた時に到来した。  世界の両端にある、この二つの地方を

結ぶには、日本を開くことが、どうしても必要だったのだ。

  しかし、これは、外部から見た開国の機会である。内部の事情はどうで

あったかというと、このとき、日本は、長い封建制の最後でまた最大の政権

が、その統制力を失い、国民は、国内の分割と相互の反目に飽きて、国内

統一の重要さと望ましさに気づくという、日本史上最初の機会を迎えつつ

あった。 人は、機会を作り、また、それを利用する。

  アメリカ合衆国の提督マシュー・カルブレイス・ペリー(*下の写真)は、

世界がかつて目撃した、最も偉大な人道の恩人の一人であったと、私は

考える。

                               Photo_4

  彼の日記を読むと、彼は、日本の海岸を砲撃するのに、大砲をもってせ

ず、讃美歌をもってしたという(*米提督ペリー著『アメリカ艦隊のシナ 

海域およ日本への遠征記』参照)

  彼の使命は微妙であった。国としての尊厳を傷つけず、しかも、その素朴

な一人よがりをおさえて、日本を鎖国の夢から覚まさなければならないの

である。

  これは、真の伝道者の仕事であった。そして、彼がこれをやり遂げること

ができたというのも、世界を統べたもう神への熱い祈りが聞き入れられて、

恵み深い神の御手が、さし伸べられたればこそである。

  その国を世界に向けて開くにあたり、クリスチャン提督をつかわされた国

は、幸いなるかな。― 

  そして、クリスチャン提督が、外から戸を叩いたのに対し、内から答えた

のは、勇敢にして高潔な敬天愛人の一将軍であった。

  この二人は、生涯ついに相まみえることがなかったし、また、その一方が

他方を誉めたたえたという話も聞かない。

  だが、その外見こそ著しく異なったが、両者の内にひそむ精神は同一のも

のであったことを、われわれ、両人を研究する者は、はっきりと知る。

  互いに、それと知ることなしに、二人は協力して働いた。一方が着手した

を、他方が完成したのである。このようにして、世界の霊は、運命という、

おのが衣を織っていく。愚かな目には映らないが、思慮深い歴史家は、

これを見て、驚嘆せずにはいられない。

  こうしたわけで、1868年の日本の革命は、健全で永久的なすべての革命

の例に洩れず、公正な動機と、神の作りたもうた必然的な原因とから生じた

ものであった。

  貪欲に対して頑強に門を閉じていた国が、正義と平等とに向かって、

自由に戸を開いたのである。

  魂の奥底の深みから沸く声に根ざす、たぐいまれな自己犠牲の精神が、

その戸を開いたのである。

  それゆえ、この日本国で自己の勢力を張ろうとする外来者は、天意にそ

むくものであり、また、この国の天職を誤解して、この世の財神(マモン)の

踏み荒らすにまかせる者も、同じく天に対して罪を得るのである。 【つづく】

 

 

 

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