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2013年2月 4日 (月)

西郷隆盛(2)

   2.誕生、教育、霊感

  「大西郷」は文政10年(1827年)、鹿児島の町で生まれた。彼は普通

この名で呼ばれるが、それには、二つの理由がある。 

  その一つは、彼の偉大さのゆえであり、他の一つは、彼の弟との区別

をはっきりさせるためである(*下は、平野五岳作の「西郷隆盛」・・・

最も、西郷の実像に近い絵と言われている。)

                 Photo_8

  彼が初めてこの世の光を仰いだ地点には、今は記念の石碑が建てら

れており、そこから、ほど遠からぬ所に、彼より二歳下の高名な共働者、

大久保の生地を記念する標識が立っている(*下の写真は、桜島)

                  Photo_2

  西郷家は、特に誇るべき名家ではなく、薩摩の大藩の中では、中以下

の武士であった。 

  彼は、男四人、女二人の六人兄弟の長子に生まれ、少しも目立たぬ少年

として生い育った。無口な彼は、世間の間では愚か者として通ったほどで

ある。

 

  彼の魂が初めて義務の意識に目覚めたのは、遠縁の者が、彼の目の

前で“切腹”するのを見た時であった。 

  その武士は、まさに腹に短刀を突き立てようとする刹那、この少年に

向かい、武士は、主君と御国とのために命を捧げねばならぬと教えた。

少年は泣いた。 

  そして、この時の印象は、生涯、彼の心から離れなかったのである。



  長ずるに従い、彼は、大きな目と広い肩とが特長的な、太った大男と

なった。大きな目という意味の「うど」という、あだ名が付けられたほどで

ある。 

  筋力すぐれた彼は、相撲を大いに好み、また、ひまさえあれば、山歩き

を楽しんだ。この山歩きは、彼の生涯の最後の時まで続く楽しみであった。

 

  彼は若くして、王陽明の著書に心を引かれた。数あるシナの哲学者の中

でも、王陽明は、良心に関する高遠な学説と、やさしい中にも厳しい天の

法則を説いた点で、同じくアジアに起こった、かの尊厳きわまりないキリスト

教に最も近づいた者である。

 

  その後の西郷の書いたものには、王陽明(*下の肖像画)の影響が、

はっきりと現われている。 

                          Photo_3

 そこに流れるキリスト的情操を見て、われわれは、それが王陽明の偉大

で簡潔な思想から生じたものであり、また、王陽明の思想を、自分の性格

となるまでに消化して、それを実行に移した西郷の偉大さを示すものである

ことを知るのである。  彼はまた、仏教のストイック的形態ともいうべき禅学

を少し学んだ。 

  彼が、後に友人に語ったところによれば、これは、「自分の鋭(するど)過

ぎる感受性を殺す」のが目的であったという。 

  いわゆるヨーロッパ的教養は全く身につけなかった。日本人の中で、最も

幅広く、かつ最も進歩的であった西郷の教養は、純東洋風のものであった。 

  では、彼の生涯を支配した二つの思想、(一)統一帝国〔王政復興〕と(二)

東アジアの征服〔東邦軽略〕という、この二つの思想は、どこから来たのだ

ろうか? 

  王陽明の哲学を論理的に追求すれば、このような思想になることが考え

られる。

 

 王陽明学は、徳川幕府が自己保全のために奨励した朱子学とは異なり、

進歩的、前進的、将来性に満ちたものである。 

  それがキリスト教に似ていることが、一度ならず指摘され、それやこれや

の理由から、わが国では、事実上、禁止同様になっていた。

 

  「キリスト教は、陽明学に似ている。日本帝国崩壊の因をなすものは、

これだろう」と、維新史に名高い長州の戦略家、高杉晋作は、長崎で初め

て聖書を調べた時に叫んだ。キリスト教に似たあるものが、日本の再建に

あずかって力あったということは、日本の維新史上の驚くべき事実である。



  西郷が、その生涯をかけての大計画を立てるについては、その立場や

環境が大きな力となったことは確かだ。 

  彼の生地、薩摩は、日本の南西端に位置していたので、常時、この方面

から流入したヨーロッパの影響を、最も受けやすかったのである。

 

  薩摩が長崎に近かったということも、この意味で、大きな利点であった。

また中央政府(=幕府)の正式許可が下りるずっと以前から、薩摩藩所属

の島々では、外国貿易が実際におこなわれていたということである。



  しかし、外からのあらゆる影響の中でも、西郷に最も大きな力を及ぼした

ものは、当時の二人の人物であった。その一人は、彼の封建君主たる、

薩摩の島津斉彬であり、他の一人は、水戸藩の藤田東湖である。 

(*下方の上が島津斉彬、下が藤田東湖)

 

                      Photo_4

                 Photo_5


 島津公が非凡な人物であったことは疑う余地がない。冷静で、かつ先見

の明のあった彼は、避けがたい変革の、日本に来たりつつあることを、

つとに(=早くから)見抜き、間近に迫った危機に備えて、自分の藩に

さまざまな改革を施した。 

  自分の住む鹿児島の町を要塞化し、1863年には、イギリスの艦隊に

大損害を与えて、これを撃退した(*下は、Illutrated London  News

1863年11月3日号の「薩英戦争」のイラスト)

           Photo_7

 

  また彼は強い排外思想の持ち主であったにもかかわらず、フランス人が

薩摩の沿岸に来た時には、臣下の強い抗議をおさえて、これを丁重に迎

えた。 

  「おだやかな紳士ながら、必要とあらば、戦いを辞せぬ人」である島津公

を、西郷は心から慕い、後年になっても、この偉大で先見の明のある主君

に対する忠誠の心は変わらなかった。 

  日本の未来に関し、互いに非常に似通った見解をいだいていたこの二人

は、親密な友人の間柄であったのだ。

 

  しかし、最高にして最大の霊感を西郷に与えたのは、「大和魂の凝集」と

言われた、当時の大人物、水戸の藤田東湖である。彼は、日本が霊化して

成った人であった。

 

  容姿きびしく、相貌するどく、その容相は、内に赤誠を秘めた魂を抱いて、

火を吐く富士を思わせるものがあった。  正義を熱愛し、西洋の野蛮を憎む

彼の周囲には、意気さかんな青年たちが集まっていた。 

  遠い薩摩で、彼の名声を伝え聞いた西郷は、主君に従って江戸へ下った

機会をとらえて、東湖をおとずれ、親しくその風貌に接したのである。

 

  東湖と西郷、世にこれほど相似た魂の触れ合ったことは、またとないで

あろう。 

「わが胸中の大志を後世にまで伝える者は、この青年を措いて他にない」と、 

師は弟子について語り、「天が下に恐るべき者はただ一人のみ。それこそ、

東湖先生である」と、弟子は師について語った。

 

  統一された帝国、「日本をヨーロッパと同じ水準に立たせるため」の大陸

への領土拡大、及び、その目的に向かって国民を導く実行手段等、西郷の

心の内にあった問題は、東湖から新しく受けるに至った影響により、最終的

な結論に達したように見える。 

  今や彼は、生命を捧げるにたる明確な理想を得た。これより後の彼は、

このようにして前途に掲げられた目標に向かい、「一路勇進」するのみで

ある。

 

  明治維新は、東湖の熱烈な心に宿る思想から萌芽したものではあるが、

これを、現実の革命として具体化するためには、東湖ほど極端でなく、

東湖よりも平静な性格の、西郷のような人物が、その志を引き継がねば

ならなかった。 

  東湖は、1855年の地震のため、50歳で死に、彼の心に初めて宿った

理想の実現は、そのすぐれた弟子の手に委ねられることとなった。



  西郷は、時に数日にわたり、日も夜も、山を歩き回ることがあった。

こうした時に、栄光に満ちた天の声が、直接に彼に臨んだのではある

まいか?   

  杉木立の静寂(しじま)の中で、「静かな細い声」が、次のように彼にささ

やいたのではあるまいか?

 

  なんじは、使命を帯びて、この世に送られた者である。その使命の

達成によって、日本と世界とは重大な影響を受けるであろうと。

 

  この声を聞かなかったとすると、彼がなぜ、あれほどたびたび、「天」に

ついて書き、また語ったのであるかが、わからない。 

  西郷は、のろい、無口な、子供じみた人で、自分の心を人に語ること

もなく、孤独を好んだようであるが、しかし、心の中では、彼自身よりも、

また全宇宙よりも、はるかに偉大な「ある者」と、秘かな会話を交わして

たのであると、われわれは信ずる。 

  現代のパリサイ人に、異教徒と、そしられようが、彼の霊魂の来世にお

けるゆくえを論議されようが、彼の知ったことではない! 

 

  天の道に従う者は、全世界が彼をそしるとも、卑下せず、また、全世界

が彼を誉め讃えようとも、満足しない。 

  天を相手とし、人を相手とするな。天のために、すべての事をなせ。 

人をとがめることなく、ただ、おのれの誠の足りぬことを恐れよ。

  道は、宇宙に通じ、また自然である。ゆえに、天を恐れ、これに仕えよう

志す者のみ、道を行うことができる。・・・・・ 

  天は、すべての人類を平等に愛するから、われわれも、おのれを愛する

愛をもって、人を愛さねばならない。≪我を愛する心をもって人を愛すべし≫

                   Photo_6

  西郷は、これらの言葉のほかにも、これに類する言葉をたくさんに語っ

ているが、すべてこれらは、直接に天から聞いたもであると、私は信ずる。

  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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