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2013年2月28日 (木)

二宮尊徳(2 )

  2.少年時代


  二宮金次郎、またの名、尊徳(徳を敬う人の意)は、天明七年(一七

八七年)に生まれた。父は、相模の国の赤貧の農夫であったが、情ぶ

かく、また公共の精神に富むことで、近隣に知られていた。 

  (*下の写真は、彼の生家)

                     
Photo_2


  しかし、尊徳が十六歳のとき、彼は、幼い二人の弟とともに、孤児に

なった。親族会議の結果、このあわれな兄弟は散り散りになることに

定め られ、長兄である彼は、父方の伯父の一人に引き取られて、

その保護の下に置かれた。

 

  少年は、できるだけ伯父に厄介をかけまいと努力したが、まだ年若の

身で、一人前の仕事ができないことを悲しみ、その日のうちに仕上げる

ことのできなかった仕事は、深夜まで働いて、やり遂げるのを常としたと

いう。 

  しかし、働くかたわら、彼が考えたことは、無学のままで生い育って、

古人の残した学問に「明きめくら(ママ)」でありたくはないということで

あった。

 

  そこで彼は、孔子の『大学(*下の写真)の一部を手に入れ、その日

の仕事をすべて済ませた夜更けに、この古典の研究に没頭することと

したのである。 

  しかし、間もなく伯父は、この深夜の勉学に気付いて、きびしく彼を

叱った。 

                       Photo_3

  伯父のために利益にならぬばかりか、少年自身にも何の実用的価値

をもたらさぬ、そんな学問のために、貴重な灯油を使うことは許されぬと

いうのである。

 

  少年は、伯父の立腹を道理と考え、“自分用の灯油”ができるまで、

勉学を中止することにした。そして、翌年の春、川の堤防の上に、持ち

主のないわずかな土地があったのを開墾して、幾ばくかの菜種をまき、

休みの日には必ずこの畑に出て、自分のものである菜種の成長に心を

注いだ。               

                      Photo_4

  その年の終わりには、この畑から大袋一杯の菜種がとれた。これは、

彼自身の手によって得た産物であり、彼のまじめな労働に対して、

「自然」が報いてくれたものである。 

  彼は、この菜種を、近所の製油所に持って行って、幾ガロンかの灯油

と換えた。

 

  さあ、これで、伯父の灯油を使わなくても勉強ができると考えた少年の

喜びは、たとえようもないほどであった。 

  喜び勇んで深夜の勉強に戻った少年は、これまでの忍耐と勤勉とを、

伯父がほめてくれるだろうと期待したのだが、それはほとんど間違い

だった。

 

  伯父が言うには、おれに養われている限り、おまえの時間もまた、おれ

のものだ。 

  読書のような無益な仕事に携わる者が、家人のうちに一人でもいるこ

は許されぬというのである。 

  少年は、この度もまた、伯父の言い分をもっともと考えて、その命令に

従った。

 

  すなわち、日中の激しい野良仕事を終えた後は、むしろ編みや、わらじ

作りに精を出し、本を読むのは、伯父の家で使う乾し草や、たきぎを取り

に、毎日、山へ往復するその道すがらとしたのである。 

                        Photo_5

  しかし、休日は、彼のものだった。彼は、休日を遊びに費やすような人

ではない。 

 菜種から油を得たことにより、誠実な労働の価値を悟った彼は、その

経験を、さらに大きな規模で試みようと思った。 

  村の中に、近ごろの洪水で沼地となった土地があるのを、彼は見つ

けた。これこそは、休日利用の絶好の機会である。

 

  彼はまず、その池の水を乾し、底土を平らにし、小さいながら整然と

した稲田を作ってから、農夫らの捨てた稲苗を、そこに植えた。 

  こうして、一夏じゅう、心をこめて丹精した結果は、実りの秋に、

一俵の黄金の米となって、彼の手に返ったのである。

                    Photo_6
 

  謙虚な努力の報いとして、生まれて初めて、その生活の糧を得た

孤児の喜びは、察するに余りある。 

  そして、この年に収穫した米こそは、その後の彼の多事な生涯を

始める資金となった。真に独立の人とは、彼のことだ! 

  これによって、彼は「自然」は正直な労働の子を欺かぬということを

学んだのであり、彼が後に行なった改革はすべて”「自然」は、その

法則に従う者に豊かに報いる”という簡単な原理に基づいて、なされた

ものである。

 

  その数年後に、彼は伯父の家を去り、あの、自分で見付け、改良した

荒地から、自分の手で収穫した、わずかばかりの米を持って、長年、

荒れるにまかせられた父の家に帰った。

  忍耐と、信念と、勤勉とをもって、混沌と荒廃とを、秩序と豊穣とに変え

ようとする彼の試みの前には、何の妨げもなく、山の斜面、川岸や路傍

の空き地、沼地などは、すべて彼の手で立派な耕地に変わって、富と

物産とを彼にもたらした。

                   Photo_7

  数年もたたぬうちに、彼は相当な資産家となり、その模範的な節約と

勤勉とのゆえに、近郷の人々すべての尊敬の的となった。 

  そして、自力で、すべてに打ち勝って来た彼は、他の人々もまた、彼と

同じ勝利を得させようと、常に助力を惜しまなかった。 【つづく】

 

 

 

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