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2013年2月12日 (火)

西郷隆盛(7 )

  彼はまた、人間は至誠の限りを尽くして、この「天」にまで達しなくては

ならぬ、それでなくては、天の道に関する知識は得られないと考えた。

人間の知恵を、彼は嫌った。

                      Photo_7

  すべての知恵は、人間の心と目的との真実さからのみ、生まれる。

心が清く、動機が高くあるならば、会議の席であろうと、戦場であろうと、

必要な時には、いつでも、道が開けるであろう。たえず、たくらみをめぐら

す者は、いざ大事という時に途方にくれる者である。

   西郷自身の言葉を借りるならば、 

   至誠の王国は、人目に触れぬ密室にある。一人居るとき強い者は、

どこに居ようとも強い者である。 

  不誠実と、その長子である利己心とは、人生の失敗の最大原因である。

 

  西郷いわく、 

  人は、自分自身に勝つことによって成功し、自分を愛することによって

失敗する。 

  十のうち八まで成功しながら、残りの二で失敗する人の多いのは、なぜ

あるか? 

  その理由は、事業の成功とともに自己愛がきざし、自戒の念がゆるみ、

安逸を慕い、仕事を重荷と感じるようになるからだ。これが失敗のもとで

ある。

 

  それゆえ、われわれは、命を投げ出して人生の大事に当らなければ

ならない。 

  責任の位置にある西郷が、ある行動を提議しようというとき「私は、

命を差し出します」と言うことが、稀れでなかった。完全な犠牲の精神こそ、

彼の勇気の秘訣であったということは、次の重大な発言によって知られる。

 

  命も、名も、地位も、金も要らぬ人ほど、扱いにくいものはない。しかし、

こういう人共にでなければ、人生の苦しみを分かち合うことはできず、 

また、こういう人のみが、国家に大きな貢献をすることができる。

 

   「天」を信じ、「天」の法と時とを信じた西郷は、また自分自身を信ずる人

であった。一つの信念は、必ず他の信念を伴うという言葉の通りである。 

  心に決して、これを行えば、神々ですら、君の前から退くだろうと彼は言い、

また次のようにも言った。

  機会には、二つの種類がある。求めなくても来るものと、自分で作り出す

ものとである。 

  世間で言う機会とは、おおむね前者だ。しかし真の機会とは、理に従い、

時の必要に感じて行動した結果として生まれるものである。 

  危機が目前に迫っている時には、われらは機会を作り出さなければなら

ぬ。

 

  それゆえ、彼は「人」を、有能な人を、何よりも尊重した。 

  方法や制度について、いかに論じようとも、これを運用するに足る人がい

なければ、無益だ。まず「人」があって、その後に、方法が行われるのだか 

「人」は第一の宝ある。すべての人が、まず「人」たるように努

なければならぬ。

 

   「天を敬う者」は、必ず正義を敬い、正義の道を守る者である。文明とは、

正義が実際に行なわれること」であると、西郷は考えた。 

  彼にとり、天が下に正義より大切なものはなかった。わが命はもとより、

わが国さえも、正義より大切ではなかった。

  正義の道を踏み、”正義のためとあらば、国もろともに倒れる”ほどの精神

がなければ外国と満足な交際に入ることは望めない。 

  外国の強大を恐れ、事なかれと念ずるあまり、彼らの要求に卑屈に応じ

るならば、やがて彼らの侮りを招くに至る。 

  その結果として、友好関係は終わりを告げ、われらはついに彼らの奴隷

と化するであろう。



  同じ調子で、彼はまた言う。
 

  何らかの形で、国家の名誉が傷つけられた場合には、”たとえ国家の存

在が危険にさらされようとも、公正と正義との道に従うのが、政府の絶対の

義務である。・・・・ 

 「戦争」という言葉におののき、怠惰な平和を保つのに専心するような

政府は、商社の支配人ではあっても、政府と呼ばるべきものではない。



  そして、このような言葉を述べた西郷は、当時、東京に在留していたすべ

ての外交使節の尊敬を一身に集めたが、中では特に彼を尊敬したのは、

イギリス女王の派遣公使、ハリー・パークス卿(*下の写真)であった。 

                          Photo

  パークス卿は、東洋外交に精通するところから、長く公使として日本にと

どまり、わが国におけるイギリスの利権を、抜け目なく擁護した人である。 

「正義に立って恐れるな」というのが、西郷の政府運営法であった。

 

  〔これは、ヘブライの預言者たちの考えるところと同じである「誠意」

外交の精神であることは、今も昔と変わらない。地球上の大国になりたい

ことを望むなら「天」の法をなおざりにしてはならぬ。〕

 

  西郷の考えは、このように簡明であったから、周囲の情勢の見通しも、

実に、はっきりしていた。 

  明治維新というものが、その唱道者たちにとってすら、なお白日夢で

あった頃、それは西郷の心中で、すでに完成された現実となっていた。 

(*下の写真は、沖永良部島に潜居中の西郷隆盛の像) 

 Photo_6

  久しく孤島で流刑の月日を送った西郷のもとに、彼を再び往時の要職に

呼びもどすための使者がつかわされた時、彼は海岸の砂の上に画を描い

て、新帝国建設の提案を、使者に示したが、後の事実と照らし合わせて、

その予見が余りにも正しかったため、使者は後に、友人にこう語ったという、

「西郷は、人間ではなくて、神様だ」と。

                  Photo_2


  また、革命の進行中、西郷は終始、冷静さを失わなかったが、これも、

彼に明確な見通しがあったればこそである。 

  いよいよ革命が始まろうというとき、新機軸の中における天皇の位置に

ついて、新政府内の一部の人々は、非常に心を痛めていた。 

  過去の、ほぼ十世紀の間、天皇の立場は、きわめて曖昧なものであった

からだ。 

高名な宮廷歌人福羽氏は、この事について、次のように西郷にたずねた。 

  革命は、私も願うところでありますが、しかし、新政府が成立したとき、

天皇の御位置は、どうなるのでありましょうか?

 

  これに対する西郷の答えは、次のように明白なものであった。 

  新政府においては、天皇を本来の位置にお迎えいたします。  

これによって、天皇は、自ら国事をみそなわしたまい、天の定めた使命を 

遂行されるでありましょう。



  西郷には、廻りくどいところが、少しもなかった。正義の道が常にそうで

あるように、彼は、簡潔であり、率直であり、太陽の光のように明確であった。 

  西郷は、著書を書かなかったが、多くの詩歌と、数編の論文とを残した。 

折に触れて、彼の心からあふれ出たこれらの作品を通して、われわれは、

彼の内なる世界をうかがうことができ、彼の行為は、まさしく彼の内心の

反映であることを知るのである。

 

  彼の書いたものには、学者ぶったところは一つもない。同じ程度の学識を

持つ他の学者れんとちがい、彼の言葉と、たとえとは、およそ考え得る限り

の簡潔なものであった。例えば、彼の詩よりも簡潔なものが、またとあるで

あろうか。

 

  われに千絲の髪あり 

  さんさんとして墨より黒し 

  われに一片の心あり 

  皓々として雪より白し 

  わが髪はなお断つべし 

  わが心は截つべからず

 

  また、次ぎのものは、彼の特性をよく現わしている。 

  一貫、唯々の諾(だく) 

  従来、鉄石の肝 

  貧居は、傑士を生み 

  勤業は、多難にあらわる                     

  雪に耐えて、梅花はうるわしく 

                         Photo_3
  霜を経て、楓葉丹(あか)し

  もしよく天意を知らば

  あに、あえて自ら安きを謀(はか)らんや


  われわれはまた、次の「山の歌」の一節に、自然のままの彼の姿を見る

ことができる。

  池、古く、山、深く

  夜よりも静かなり

  人語を聞かず

  ただ天を見る

                           Photo_4

   【つづく】

 

 

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