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2013年2月18日 (月)

上杉鷹山(3 )

3.藩政の改革



  人間は、生まれながらに、現状維持を好んで、変化を嫌う。これは、

日本と外国を問わず、同じことである。 

  しかし、若き鷹山は、改革をやり遂げねばならぬ。それをやらねば、藩を

救済することはできない。 

  そして、他人に変革を強いようと思ったら、まず自身の改革から始めな

ければならないのだ。

 

  鷹山の場合、まず第一に手を着けねばならぬのは、財政の改革であった。 

藩の秩序と信用とを幾らかでも回復するには、極度の倹約あるのみだ。 

  そこで、藩主たる鷹山自身、まず奥向きの費用を、一千五十両から二百

九両に下げることとし、五十人の女中は、わずか九人に減らし、木綿の着

物以外は身に着けず、食事も一汁一菜にとどめた。 (*下は、鷹山の

朝食)

                           Photo_11

  家来たちも、同じように倹約を申し渡されたが、”その比率は、主君より

も軽かった”。

 

 年の予算も半分に減らし、それによって生じた金は、藩の多額の負債の

支払いに宛てる。 

  この状態を”十六年”続けて、初めて藩は負債の重圧からまぬかれるこ

とができるのである!  これは、しかし、藩の財政改革の消極面にすぎない。

                     Photo_2


  「民の幸福は、統治者の富である」といい、「悪政の下にある民の富むこ

とを期待するのは、きゅうりの蔓(つる)から、なすの実を得ようと期待する

に等しい」ともいう。

 

  しかも、適材を適所に配することなしに、良い政治はできない。 

「能力に応じて、人を起用する」という民主的な思想は、封建政治の世襲

制度に反するものではあるが、鷹山は、あらゆる手段を尽くして、人材を

得ることに努めた。 

  才能のある人に対しては、貧しい財政の中から、高額の俸給を支払い、

これらを、三つの異なった役目につけて、領民を治めさせた。

 

  第一は、総監督たる知事と、その補佐役とである。彼らは、「人民の父と

なり母となって」、その小区画の行政事務の責任を持つ。彼らに対し、鷹山

は、次のような指示を与えた。 

 幼い子供は何の知識も待たないが、母は子供の要求を知って、それを 

満たしてやる。それは、彼女が誠実な心を持っているからだ。 

  誠実な心からは愛が生まれ、愛から知識が生まれる。誠実でありさえ 

すれば、何事も不可能ということはない。  

  役人は、母がその子に対する心をもって、民に接するようにせねばなら 

ない。  

“君たちに、民を愛する心さえあれば、知恵の足りないことを歎くに及ば 

ないのだ。”

            Photo


  第二種の役人は、巡回教師ともいうべき者で、道徳や儀式の事を人民

に教える。 

 たとえば、親孝行をする事、寡婦や孤児をいたわる事、結婚に関する事、

衣服や、食物や、食事の作法や、葬式や、家の修繕に関する事等である。 

  そのために、藩の領分を十二の地区(教区)に分け、各区域ごとに監督

教師(平民司教)を置いた。 

  これらの教師たちは、年に二回、総会を開いて、顔を合わせるが、その

他に随時、領民の間での仕事の進行状況を、領主に報告することになっ

ていた。



  第三種の役人は、厳格な警察官である。彼らは、領民の非行や犯罪を

見つけて、それに相当する厳罰を課する任務を帯びていた。 

  彼らは、いささかの容赦もなく、町村の隅々にまで目を光らせた。罪人を

出すことは、地域の恥であったから、自分の受け持ちの地区の者が、警察

に厄介をかけた場合には、教師自らが責任を取った。

 

  この第二種と第三種との役人に対して、鷹山が与えた指令は、次のよう

なものである。 

  教師は、地蔵尊の慈悲をもって民に臨め。しかし、心の内には不動明王 

の正義を抱くことを忘れるな。  

  警察官は、閻魔大王の正義と義憤とを示せ。しかし心の内にはつねに 

地蔵尊の慈悲を蓄えよ(*下の写真は、不動明王と地蔵尊)

                    Photo_3

               Photo_4

 
  以上、三種の役人は、力を合わせて立派な働きをした。鷹山の計画した

一般政策は、知事と、その補佐役とによって遂行されたが、しかし、彼の

言にもある通り、「教えを受けていない民を治めるのは、費用がかかる上

に効果のあがらぬこと」であるから、彼は、民を教える監督教師を置いて、

民に「生命を与え、温かい血液を体中に行き渡らせ」ようとしたのである。

 

  しかし、規律の伴わぬ教育もまた効き目がない。そこで、教育をさらに効

果的にするため、また、示された思想をさらに明らかにするために、厳しい

警察制度を設けたのだ。

  人間を治めるために、このような三種の制度を考え出した若き鷹山は、

人間性の底にまで徹する、並々ならぬ洞察力を持っていたに違いない。



  新しい組織は、どの方面からの妨害も受けずに、五年間、実施された。

こうして、ようやく秩序が見えはじめ、絶望視された社会に復興の光がさし

そめたその時、試練が、やって来たのである。 

  それは、試練の中でも最もきびしいもの、鷹山ならでは堪えられぬよう

な試練であった。

 

  保守派が正体を現わしたのだ。―  たとえ私利私欲のためではないと

しても、旧そのもののために、旧を愛する人々― このような人々にとって

は、どんな革新も気にくわないのだ。 

  ある日、藩の最高の重臣七人は連れ立って若き藩主の前に出て、新し

い政治組織に対する不満を述べ、その即時廃止の言質を、彼から、もぎ

取ろうとした。 

  藩主は答えない。この時、彼は、領民に自分を裁かせようと決心したの

である。 

 そして、もし“彼ら”が新しい政治に反対だと言うならば、彼は、自分より

も優れた、有能な人に、喜んで彼の位置と領地とを譲ろうとしたのであった。

 (*下の写真は、米澤城)

           Photo_5

  そこで彼は即刻、全家臣を召集した。武装した数千の家臣は、武器を手

にして城内に集まり、藩主の命令を待っている。その間に、藩主は春日

明神の社(*下の写真は、上杉神社)に行って、紛争の平和的解決を祈っ

た。     

         Photo_12
                  


  それが済んでから、初めて愛する家来たちの前に出て、彼の統治は、

天意にそむくものであるかと尋ねた。知事とその補佐役とは答えた、否と。

  すべての警察官も否と答え、指揮官も兵卒も否と言う。一同が「異口同

音に」否と答えた。藩主は満足した“民の声は神の声なり”という。

彼の心は定まった。

  彼は、さきの重臣七人を彼の前に呼び出して、判決を申し渡した。七人

のうち五人は、禄高を半分に減らされて、「隠居閉門」を命ぜられ、謀反

の首謀者二人は、武士の作法に従って処分された。すなわち、名誉ある

自殺の方法たる「切腹を賜わった」のである。

  こうして、保守主義者と不平家とが取り除かれると、幸福は領内に満ち

満ちて来た。

 反対者の一掃という、この荒仕事の終わらぬ限り、完全な改革はない。

  深い信仰と鋭敏な心の持ち主であるこの若い藩主は、その上になお真

の英雄でもあった。彼の力によって、繁栄の治世が到来するのは、期して

待つべしである。  【つづく】
 

 

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