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2013年2月22日 (金)

上杉鷹山(6 )

 五、   このように互いに仲むつまじく助け合うことを忘れてはならぬ。 

       村々のうちに、老年にして子が無いとか、弱年にして両親が無い

      とか、貧しいがゆえに養子をとることができぬとか、夫を失い、または 

       不具のために生活ができぬとか、不治の病気にかかったとか、死ん  

       でも葬式が出せぬとか、火事に会って、雨露をしのぐ所もないとか、  

        その他、さまざまな災難に会いながら、頼るべきところのない者

        対しては、五人組が力を貸して、わがことのように世話をせねば

        ならぬ。 

                   Photo_2
            

                Photo_5

          もし五人組の手に余るときは、十人組がこれを引き受け、それでも

        力が足りぬ時は、村が力を貸して、その災難から立ち直れるように

       してやらねばならぬ。 

          一つの村が大きな災害に襲われ、その存続が危ぶまれるような場

         合に、その隣村は、救いの手を差し伸べないでおられようか?

           五ヵ村の組合を形づくる他の四ヵ村は、これに対して心からの援助

         を送らねばならない。

 

  六、  善を力づけ、悪を諭し、倹約を奨励し、贅沢を戒め、各自、その天職

   にいそしむようにする―それが、この組合設立の目的である。 

           百姓の中に、自分の山地を疎かにしたり、百姓の業を捨てて他の

        職業に走ったり、舞踊、劇、宴会その他の怠りにふける者がある場

     合には、まず
五人組が厳しく訓戒し、それで改めぬ場合には、十人 

         組に引き渡すが、れでもなお手に負えぬ場合には、ひそかに村役  

         人に報告して、その処置これに一任しなければならぬ。

 

                         享和二年(一八○二年)二月

               Photo_3

  これらの文書の中に、官僚主義の匂いはあまり感じられない。のみなら

ず、このような布告がなされ、それが実行に移されたということ、それは、

鷹山の米沢藩を除き、地球上のいずこにもなかったことであると、私は断

言する。

  アメリカその他の土地で、農民ギルドと呼ばれているものは、自己の利

益を主たる目的とする産業協同組合にすぎない。

  鷹山の農業組合に似たものを見付けようと思ったら、われわれは、遠く

「使徒の教会(=原始キリスト教会)」にまで、さかのぼらなければならな

いのである。

 

  警察官や、巡回教師や、学校や、度かさなる訓示に加え、彼自ら模範を

示すことにより、鷹山は、人口十五万人の米沢藩を、徐々ながら、確実に

理想化して行った。

                   Photo_4

  彼が、どの程度にまで、藩の理想化に成功したかは、「聖人の政治」を

視察するために、わざわざ米澤まで行った、倉成龍渚という高名な学者の、

領内視察報告書を読めば、わかる。左(=下)に、その数節を引用してみ

よう。

   米澤には、正札市というものがある。人家を離れた道のかたわらに、

ぞうり、わらじ、果物その他の商品を陳列し、それらに正札を付けて、売り

手は、その場所を離れる。

  そこを通りかかった人は、正札通りの金を置いて、品物を持ち去るという

仕組みだ。

 米澤では、正札市で盗みをはたらくような人がいようなどとは、誰も考え

ない。

  鷹山公の役所では、身分の高い者ほど、貧しいのが普通である。

R(=或る者)は、重臣中の筆頭であって、藩公が最も愛し、かつ信任して

おられる人物だが、彼の生活ぶりを見るに、その衣食の粗末さ加減は、

貧乏書生同様である。

  領内には、税関またはそれに類した妨害物はなく、商品の流通は自由

である。しかも密移入が企てられたためしはない。

            Imagescaz89m7x

  ここに記したことを、遠い時代の、神秘の国の、理想談と思われては困る。

われわれが書いたことは、みな実際にあったことであり、しかも、この地上

の、明確な地点で、これらのことが行なわれてから、まだ百年とは経っては

いないのである。

  そして、あの偉大な統治者の時代に現実であったことが、今では過去の

ものがたりとなったとはいえ、ひとたび、それらが試みられた場所、また

それらを実行した国民の間には、はっきりとした影響が残っている。

  〔 これらはただ、選ばれた環境の下でのみ実行されることであるから、

その再現は望み得ず、ましてや、この地上でそれを永続させることは

不可能だなどと考えてはならない。

  われわれの法律は、「人間は悪者である」という推定の上に作られてい

るし、われわれは今でも、そう考えているが、鷹山は、これと正反対の考

えから出発した。

  人間の中には神のようなところがあるから、誠意をもって当たりさえすれ

ば、神らしさを呼び覚まして、悪に打ち勝たせることができると、彼は信じた

のである。

  彼は、それを“信じ”、その通りに“実行し”、そしてそれを“成し遂げ”た。

鷹山の、大の崇拝家であった西郷隆盛は、次のように述べている。

 「古人の武勇伝を読んで、こんなことは実行できぬと思う輩は、敵前で

逃亡する卑怯者に等しい」と。

  そして、神の国について論議し、その実現を祈りながら、そのようなこと

は実際には不可能だと考えているわれわれすべてもまた、卑怯者、いや

偽善者なのではあるまいか?〕  【つづく】

 

 

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