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2012年12月13日 (木)

後世への最大遺物(8)

   イギリスに、今からして二百年前に、痩(やせ)ッこけて丈(せい)の低い、

しじゅう病身な一人の学者がおった。 

  それで、この人は世の中に知られないで、何も用のない者と思われて、

しじゅう貧乏して、裏店のようなところに住まっていた。

 

  かの人は、何をするかと人に言われるくらい、世の中に知られない人で、

何もできないような人であったが、彼は、一つの大思想を持った人であり

ました。 

  その思想というは、人間というものは、非常に価値のあるものである、

また一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っ

ていた人であります。

 

 それで、十七世紀の中ごろにおいては、その説は、社会にまったく容れ

られなかった。 

 その時分には、ヨーロッパでは、主義は国家主義と定(き)まっておった。

イタリアなり、イギリスなり、フランスなり、ドイツなり、みな国家的精神を養

わなければならぬとて、社会はあげて、国家という団体に思想を傾けてお

った時でございました。

 

  その時に当たって、どのような権力のある人であろうとも、彼の信ずると

ころの、個人は国家より大切であという考えを世の中にいくら発表しても、

実行のできないことは分かり切っておった。

 

  そこで、この学者は、秘かに裏店に引っ込んで本を書いた。この

人は、ご存知でありましょう、ジョン・ロック*であります。その本は、

”Human  Understanding(人間知性論)”(*下の写真)であります。

                          Photo

(*ジョン・ロック―John  Locke〔1632~1704〕  クロムウェルの革命、

    チャールズ二世の王政復古、名誉革命の継起した時代に生きた

     イギリスの哲学者、政治思想家、経験論の代表者。

          主著”An  Essay  Concerning  Human  Understanding”〔人間

   知性論〕は、近世の認識論の端緒を開いた。

       政治論では、専制政治に反対し、国民の自由と政治的秩序との

        調和を論じ、三権分立を主張した。

           “Two treaties  of   Government“〔政府二論〕、とりわけ、その

       後編に当たる『市民政府論』は、アメリカ独立宣言の原理的核心と

    なり、フランス革命にも大きな影響を及ぼした。*下の写真

                        J


  しかるに、この本がフランスに往きまして、ルソーが読んだ。モンテス

キューが読んだ。ミラボーが読んだ。 

  そうして、その思想がフランス全国に行きわたって、ついに一七八九年、

フランスの大革命が起こってきまして、フランスの二千八百万の国民を

動かした。(*下の写真は、上からルソー、モンテスキュー、ミラボー)

                           Photo_4
                            Photo_5

             Photo_6



  それがために、ヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀の初めにおい

ても、ジョン・ロックの著書で、ヨーロッパが動いた。それから、合衆国が生

まれた。それから、フランスの共和国が生まれてきた。それから、ハンガリ

ーの改革があった。それから、イタリアの独立があった。 

  実に、ジョンロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は甚大であります。

その結果を、日本でお互いが感じている。

 

  われわれの願いは何であるか、個人の権力を増そうというのではないか。

われわれは、このことをどこまで実行することができるか、それはまだ問題

でございますけれども、何しろ、これが、われわれの願いであります。

  もちろん、ジョン・ロック以前にも、そういう思想を持った人はあった。

しかしながら、ジョン・ロックは、その思想を形に顕(あら)わして、

“Human  Understanding”という本を書いて死んでしまった。

  しかし、彼の思想は、今日、われわれの中に働いている。ジョン・ロック

身体も弱いし、社会の地位も低くあったけれども、彼は、実に今日の

ヨーロッパを支配する人となったと思います。



  それゆえに、思想を遺すということは、大事業であります。もし、われわ

が事業を遺すことができぬならば、思想を遺して、そして将来に至って、

われわれの事業を成すことができると思う。

  そこで、私は、ここで、ご注意を申しておかねばならぬことがある。われ

われの中に、文学者という奴がいる。誰でも、筆を把(と)って、そうして

雑誌か何かに批評でも載すれば、それが、文学者だと思う人がいる。

  それで、文学というものは、惰(なま)け書生の一つの玩具(おもちゃ)に

っている。誰でも、文学は出来る。

  それで、日本人の考えに、文学というものは、まことに気楽なもののよ

うに思われる。

 山に引っこんで文筆に従事するなどは、実に羨ましいことのように考え

られている。

  福地源一郎君*が不忍の池のほとりに別荘を建てて、日蓮上人の脚

本を書いている。それを、外から見ると、たいそう風流に見える。

  (*福地源一郎―ジャーナリスト、作家、政治家、福地桜痴の本名。
 

        文久元年〔一八六一年〕、遣欧使節に同行、帰国後の明治元年

    〔1868年〕『江湖新聞』を発行、その後『東京日日新聞』の主筆、

         社長となった。

           おびただしい数にのぼる脚本、小説を残しているが、『日蓮記』

 は、その一つ。他に、『幕府衰亡論』などの著書もある。*下の写真)   

                              Photo_2


  また、日本人が文学者という者の生涯はどういう生涯であるだろうと思

うているかというに、それは絵ゾウ紙屋へ行ってみるとわかる。どういう

絵があるかというと、赤く塗ってある御堂の中に美しい女が机の前に座

っておって、向こうから月の上ってくるのを筆を翳(かざ)して眺めている。

  これは、何であるかというと、紫式部の源氏の間である。

これが、日本流の文学者である。

  しかし、文学というものがコンナものであるならば、文学は、後世への

遺物ではなくして、かえって後世への害物である。

  なるほど、『源氏物語』という本は、美しい言葉を、日本に伝えたもので

あるかも知れませぬ。

  しかし、『源氏物語』が、日本の士気を鼓舞するために何をしたか。

何もしないばかりでなく、われわれを女らしき意気地なしになした。

あのような文学は、われわれの中から、根コソギに絶やしたい(拍手)。

  あのようなものが文学ならば、実にわれわれは、カーライルとともに、

文学というものには一度も手をつけたことがないということを、世界に向

って誇りたい。

  文学は、ソンナものではない。文学は、われわれが、この世界に戦争

する時の道具である。今日、戦争することはできないから、未来において

戦争しようというのが文学であります。



  それゆえに、文学者が机の前に立ちます時には、すなわちルーテルが

ウォルムスの会議に立った時、パウロ*がアグリッパ王の前に立った時、

クロムウェルが剣を抜いてダンバーの戦場に臨んだ時と同じことであり

ます。

 *パウロ―Paulus   初代キリスト教の最大の使徒。

   彼の書いた 「ローマ人への手紙」以下十数通の手紙は、新約

    聖書の主要部分を占め、キリスト教の中心的文書をなしている。

 *下の写真)

                       Photo_3

  この社会、この国を改良しよう、この世界の敵なる悪魔を平らげようとの

目的をもって戦争するのであります。

  ルーテルが室(へや)の中に入って、何か書いておった時に、悪魔が出

て来たゆえに、ルーテルは、インクスタンドを取って、それにぶッつけたと

いう話がある。

  歴史家に聞くと、これは本当の話ではないと言います。しかしながら、

これが文学です。

 われわれは、他のことで事業をすることができないから、インクスタンド

を取って、悪魔にぶッつけてやるのである。

  事業を今日なさんとするのではない。将来未来まで、われわれの戦争を

続ける考えから、事業を筆と紙とに遺して、そうして、この世を終わろうと

いうのが、文学者の持っているAmbitionであります。

  それで、その贈物(おくりもの)、われわれが、われわれの思想を筆と

紙とに遺して、これを将来に贈ることが、実に文学者の事業でありまして、

もし神が、われわれに、このことを許しますならば、われわれは感謝して、

この贈物を遺したいと思う。


  有名なるウォルフ将軍*がケベックの市(まち)を取る時に、グレイ*の

Elegy(『挽歌』)を歌いながら言った言葉があります。すなわち、「このケベ

ックを取るよりも、われわれは、むしろこのElegyを書かん」と。

  もちろん、Elegyは、過激な、いわゆるルーテル的な文章ではない。

しかしながら、これがイギリス人の心、ウォルフ将軍の心を、どれだけ

慰めたか、実に今日までのイギリス人の勇気を、どれだけ励ましたか

知れないのです。  【つづく】

  (*ウォルフ将軍―James   Wolfe 〔1727~59〕  イギリスの陸軍将校。

        1759年 ケベック討征隊の指揮をとり、モントカームでフランス軍を

         敗走させ、イギリスの北米征服を全うしたが、このとき致命傷を

         負った。当時33歳。グレイの『挽歌』出版後9年目のことである。)

   (*グレイ―Thomas  Gray 〔1716~71〕  イギリスの抒情詩人。

        「ヨーロッパ随一」とさえ言われた学者、ケンブリッジ大学の近代

    史近代語教授でもあった。ここにいうエレジィ(Elegy)とは、「田舎

    の墓地で詠んだ挽歌」のこと。)

 

 

 

 

 

 

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