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« 水浦征男師の『この人』(完) | トップページ | 後世への最大遺物(2) »

2012年12月 3日 (月)

後世への最大遺物(1)

    【皆さんへ】




  お早うございます。皆さん、お元気でしょうか? 

今年も、早や師走となりました。月日の経つのは、本当に早いものです。 

  実は、先週、久し振りに上京いたしました。(*下の写真は、東京

ステーションホテル・・・唯、ここに泊まったわけではありません。)

 東京暮らしの折、たいへんお世話になった親友たちとの再会と談笑、

妻の実家の菩提寺への墓参、入院した義兄の見舞いなどで、時を過ごし

ました。久し振りのことで、それぞれに、たいへん心に残るひと時でした。

                   Photo_6




  ところで、この世には、様々な名著や名作があります。百人百様の「名著・

名作」がありましょう。

  私が考えます「名著・名作」は、何より内村鑑三(1861~1930:下の写真)

の諸作品です。

              Photo

 中には、かつて若い頃に読み、今一度、読み返してみたいと思う作品が

あります。

 例えば、『後世への最大遺物』や『代表的日本人』などは、その最たるも

のです。

                             Photo_2
                            Photo_3

 とりわけ、日本人は、今後、如何に生きるべきか、あるいは、どうあるべ

きか考えます時、これらの名著は、われわれに、大きな示唆を与えてく

れるような気がいたします。

  それゆえ、しばらく、これらの書を、より読み易い形で、ご提示したいと

思います。

 すでに、百年以上も前の作品でありながらも、今日でさえ、何故か

心魅かれものがあります。どうか、よろしくご味読ください。



  『後世への最大遺物』は、明治27年(1894年)の作品です。同年、愛娘の

ルツが生まれました。またこの年、「日清戦争」が勃発しました。

                       Photo_5
 
  この時、赤ちゃんだったルツと妻を京都に残し、33歳だっ壮年期の内村

は単身、当時、箱根駅に開設された基督教徒第六夏期学校の講師として

赴きました。 場所は、蘆ノ湖畔(*上の写真)でした。

 海老名弾正(1856~1937*下の写真)が、司会を務めました。 

講演は、二日間に亙りました。それは、次のようなものでした。

               Photo_4

 第一回



  時は、夏でございますし、処(ところ)は、山の絶頂でございます。 

それで、ここで私が手を振り、足を飛ばしまして、私の血に熱度を加えて、

諸君の熱血を、ここに注ぎ出すことは、あるいは、私にできないことでは

ないかも知れません。

 

  しかし、これは私の好まぬところ、また諸君もあまり要求しないところだ

ろうと、私は考えます。 

  それで、キリスト教の演説会で演説者が腰を掛けて話をするのは、

たぶんこの講師(こうし)が嚆矢(こうし・・・「初めて」の意)であるかも

知れない(満場大笑)、しかしながら、もしそうすることが、私の目的に

適(かな)うことでございますれば、私は先例を破って、ここであなたがた

とゆっくり腰を掛けてお話をしてもかまわないと思います。 

  これもまた、破壊党の所業だと思(おぼ)し召されてもよろしゅうござい

ます(拍手喝采)。



  そこで、私は「後世への最大遺物」という題を掲げておきました。

もし、このことについて、私の今まで考えましたことと感じますことを皆、

述べますならば、いつもの一時間より長くなるかも知れませぬ。 

  もし長くなって、つまらなくなったなら、勝手にお帰りなさってください。 

私もまた、くたびれましたならば、あるいは途中で、休みを願うかも知れ

ませぬ。 

  もし、あまり長くなりましたならば、明朝の一時間も、私の戴いた時間で

ございますから、その時に述べるかも知れませぬ。 

 ドウゾ、 こういう清い静かな所に在りまする時には、東京やその他の騒

しい所で、みな気の立っている所でするような騒がしい演説を、私はした

ないです。

  私はここで、諸君と膝を打ち合わせて、私の所感そのものを演説し、

また諸君の質問にも応じたいと思います。



  この夏期学校に来ますついでに、私は東京に立ち寄り、そのとき私の

親爺(おやじ)と詩の話をいたしました。親爺が、頼山陽の古い詩を出し

てくれました。

  私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらった、この本でし

た(本を手に持って)。

  で、この夏期学校に来るついでに、その山陽の本を再び持ってきました。

その中に、私の幼(ちい)さいときに私の心を励ました詩がございます。

  その詩は、諸君もご承知のとおり、山陽の詩の一番初めに載っている

詩でございます。

  「十有三春秋(じゅうゆうさんしゅんじゅう)、逝者巳如水(ゆくものはすで

にみずのごとし)、天地無始終(てんちしじゅうなく)、人生有生死(じんせい

せいしあり)、安得類古人(いずくんぞこじんにるいして)、千載列青史(せん

ざいせいしにれっするをえん)」。有名な詩でございます。山陽が十三の時

に作った詩でございます。

 
(*「千載列青史」とは、「これから長い間、正規の歴史

の中の列伝の一人として、史書に、自分のことだけで一章を加えて

もらえ、歴史上の大物の一人として格別な扱いを受けれるような人物にな

りたいものだ」の意)

  それで、自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学して

おります時分に、この詩を読みまして、私も自(おのず)から同感に堪え

なかった。

  私のように、こんなに弱いもので、子供のときから身体(からだ)が弱

(よお)うございましたが、こういうような弱い身体であって、別に社会に

立つ位置もなし、また私を社会に引っ張ってくれる電信線もございませぬ

けれども、ドウゾ私も一人の歴史的な人間になって、そうして千載青史に

列するを得(う)るくらいの人間になりたいという心が、やはり私にも起こっ

たのでございます。

  その欲望は、決して悪い欲望とは思いませぬ。私が、そのことを父に話し、

友達に話したときに、彼らはたいへん喜んだ。



  ところが、不意にキリスト教に接し、通常、この国において説かれました

キリスト教の教えを受けたときには、青年のときに持ったところの千載青

に列するを得んというこの欲望が大分無くなってきました。

  それで、何となく厭世的な考えが起こってきた。すなわち、人間が千載青

に列するを得んというのは、まことにこれは肉欲的、不信者的、heathen

(*異教徒的、あるいは野蛮人的の意)な考えである、クリスチャンなど

功名を欲することはなすべからざることである、われわれは、後世に名

伝えるということは、根コソギ取ってしまわなければならぬ、というような

考えが出てきました。

  それゆえに、私の生涯は、実に前の生涯より清い生涯になったかも知れ

ませぬ。けれども、前のよりはつまらない生涯になった。

  マー、どうか、なるだけ罪を犯さないように、なるだけ神に逆らって汚(けが)

らわしいことをしないように、ただただ立派にこの生涯を終わってキリストに

よって天国に救われて、未来永劫の喜びを得んと欲する考えが起こってき

ました。  【つづく】

 

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