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2012年12月 4日 (火)

後世への最大遺物(2)

  そこで、その時の心持ちは、なるほど、その中に、一種の喜びが無かった

わけではございませんけれども、以前の心持ちとは、正反対の心持ちであ

りました。 

  そうして、この世の中で事業をしよう、この世の中で一つ旗を挙げよう、

この世の中に立って男らしい生涯を送ろう、という念がなくなってしまい

ました。 

  ほとんど無くなってしまいましたから、私は、いわゆる坊主臭い因循的

(いんじゅんてき・・・昔からの習慣にばかり従って、新しい考え方を受け入

れようとしないこと)な考えになってきました。

 

  それで、また私ばかりでなく、私を教えてくれる人がソウでありました。 

たびたび・・・ここには、宣教師はおりませんから、少しは宣教師の悪口を

言っても許して下さるかと思いますが・・・宣教師の所に往(い)って、私の

希望を話しますと、「あなたは、そんな希望を持ってはいけません。そのよ

うなことは、欲心でございます。 

  それは、あなたがまだキリスト教に感化されない心から起こってくるの

です」というようなことを、よく聞かされたものです。 

  私は、諸君たちも、ソウいうような考えに出会ったことがあると思います。 

なるほど、千載青史に列するを得んということは、考えようによっては、

まことに下等な考えであるかも知れません。

 

  われわれの名を、この世の中に遺したいというのでございます。この

一代のわずかな生涯を終わって、その後は、後世の人にわれわれの名を

褒め称えてもらいたいという考え、それは、なるほど、ある意味からいい

ますと、私どもにとっては、持ってはならない考えであると思います。

 

 ちょうどエジプトの昔の王様が、己れの名が万世に伝わるようにと思うて、

ピラミッド(*下の写真は、ギゼーの三大ピラミッド)を作った。すなわち世

の中の人に、彼は国の王であったということを知らしむるために、万民の

労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト

信者としては持つべからざる考えだと思われます。

Photo

 

  天下の糸平が死ぬ時の遺言は、「己れのために絶大なる墓を建てろ」

ということであったそうだ。(*天下の糸平・・・豪商・田中平八〔1837~83〕

の別名。信州伊那で生まれ、横浜で茶、生糸、洋銀などの貿易に従事して

巨万の財をなし、天下の糸平と自称した。 

  幕末、水戸勤皇派天狗党の乱に加わって下獄している。維新後、第百十

二国立銀行を創業、米商会所頭取、大蔵省為替方をも勤めた。*下の

写真の人物

                Photo_2

  そうして、その墓には、天下の糸平と、誰か日本の有名な人に書いて

もらえ、と遺言した。 

  それで、諸君が、東京の牛の午前(うしのごぜ(*下の写真:今日の

本母寺の本堂)に往(い)ってごらんなさると、立派な花崗石(かこうせき)

で、伊藤博文さんが書いた「天下の糸平」という碑が建っております。 

  この千載にまで天下の糸平を、この世の中に伝えよと言った糸平の考え

は、私は、クリスチャン的な考えではなかろうと思います。また、そういう

例が、他にもたくさんある。                            Photo_3

(*牛の午前〔ごぜ〕・・・東京、隅田川の河畔にある牛島神社の旧称。

「天下之糸平」の碑は、同河畔、本母寺(墨田区堤通二丁目)境内に

建っている。 ・・・下の写真

  高さ、約6メートル、幅、約3.5メートル。建碑発起者として、渋沢栄一、

福地源一郎、大倉喜八郎、高島嘉右衛門などが名を連ね、「明治二十四

年六月建   天下之糸平  伯爵伊藤博文書」の字が大きく刻まれている。)

              Photo_4



  この間、アメリカの或る新聞を見ましたところ、ある貴婦人で大金持の

寡婦(やもめ)が、「私が死んだ後に、私の名を国民に覚えてもらいたい。

 しかし、自分の持っている金を学校に寄附するとか病院に寄附するとか

いうことは、普通の人のなすところなれば、私は世界中に無い大きな墓を

作ってみたい、そうして千載(*千年。転じて長い年月)に記憶されたい」

という希望を起こした。

  先日、その墓が成ったそうでございます。ドンナに立派な墓であるかは

知りませんけれども、その計算(=経費)に驚いた。二百万ドルもかかった

というのでございます。

 二百万ドルの金をかけて自分の墓を建てたのは、確かにキリスト教的な

考えではございません。



  しかしながら、ある意味から言いますれば、千載青史に列するを得んと

いう考えは、私は、そんなに悪い考えではない、ないばかりでなく、それは、

本当の意味で見ますならば、キリスト教信者が持ってもよい考えでござい

まして、それは、キリスト信者が持つべき考えではないかと思います。


  なお、われわれの生涯の解釈から申しますと、この生涯は、われわれが

”未来”往く階段である。ちょうど大学に入る前の予備校である。

  もし、われわれの生涯が、わずかこの五十年で消えてしまうものならば、

実につまらぬものである。

  私は、未来永遠に私を準備するために、この世の中に来て、私の流す

涙も、私の心を喜ばせる歓喜も、喜怒哀楽という変化も、私の霊魂をだん

だんと作り上げて、ついに私は”死なない人間”となって、この世を去って

から、もっと清い生涯をいつまでも送れるというのは、私の持っている確信

でございます。

  しかしながら、そのことは、純粋なる宗教問題でございまして、それは、

私が今晩あなた方にお話をいたしたいことではございません。



  しかしながら、私には、ここに一つの希望がある。この世の中をズット通

り過ぎて、安らかに天国に往き、私の予備校を卒業して、天国なる大学に

入ってしまったならば、それで十分かと己れの心に問うてみると、その時に、

私の心に清い欲が一つ起こってくる。

  すなわち、私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この

美しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに、私が何も遺さ

ずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。

                         Photo_5
          Photo_6

 私は死んでから、ただに天国に往くばかりでなく、私は、ここに一つの何

かを遺して往きたい。

  それで、何も、後世の人が私を褒めてくれ、というのではない。私の名誉

を遺したいというのでもない。

  ただ、私が、ドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ

私の同胞を思ったかという記念物を、この世に置いて往きたいのである。

すなわち、英語でいうMemento(記念の品)を残したいのである。こういう

考えは、美しい考えであります。

  私がアメリカにおりました時にも、この考えが、度々、私の心に起こりま

した。私は、私の卒業した米国の大学(=アマースト大学:下の写真は、

今日のアマースト大学)を去る時に、同志とともに、卒業式の当日に、

愛樹を一本、校内に植えてきた。

            Photo_7

  これは、私が四年も育てられた私の学校に、私の愛情を遺しておきたい

ためであった。中には、私の同級生で、金のあった人は、そればかりでは

満足しないで、あるいは学校に音楽堂を寄附する者もあり、あるいは図書

館を寄附する者もあり、あるいは運動場を寄附する者もありました。

  【つづく】

 

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