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2012年12月 6日 (木)

後世への最大遺物(3 )

  しかるに、今われわれは、世界という、この学校を去ります時に、何も

ここに遺さずに往くのでございますか。 

  その点から言うと、やはり、私には、千載青史に列するを得んという望

みが残っている。

 

  私は何か、この地球にMementoを置いて逝きたい。私が、この地球を

愛した証拠を置いて逝きたい。私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。

  それゆえに、お互いに、ここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばし

い国に往くかも知れませんけれども、しかし、われわれがこの世の中に在

る間は、少しなりとも、この世の中を善くして往きたいです。この世の中に、

われわれのMementoを遺して逝きたいです。

 

  有名な天文学者のハーシェルが二十歳ばかりの時に、彼の友人に

語って、「わが愛する友よ、われわれが死ぬ時には、われわれが生まれ

た時より世の中を少しなりとも善くして逝こうではないか」と言うた。

 実に美しい青年の希望ではありませんか。

 

  「この世の中を、私が死ぬ時は、私が生まれた時よりは少しなりとも善く

して逝こうじゃないか」と。
 

   ハーシェル*の伝記を読んでごらんなさい。
 

(*Sir  John  Frederick  William  Herschel〔1792~1871〕 イギリスの

天文学者。 

 父  Sir  William   Herschel 〔1738~1822〕とともに星雲や二重星を観測、

四○○○の二重星、五○○の星雲・星団を発見している。1833~38年、

南アフリカの喜望峰に赴いて南天を詳細に観測、その成果を、“Cape  

Observation”1847  として公刊。 〔*下の写真は、上から、二重星、

星雲、大星団〕

  物理学のほか、化学を研究し、写真定着液ハイポを発見している。)

              Photo


           Photo_2

           Photo_3


  彼は、この世の中を、非常に善くして逝った人であります。今まで知ら

れない天体を完全に描いて逝った人であります。 

  南半球の星を、何年間かアフリカの喜望峰植民地(*下の写真)に行き

まして、スッカリ図に載せましたゆえに、今日の天文学者の知識は、ハー

シェルによってドレだけ利益を得たか知れない。

             Photo_4

          Photo_5

  それがために航海が開け、商業が開け、人類が進歩し、ついには宣教

師を外国にやることができ、キリスト教伝播の直接間接の助けに、どれだ

けなったか知れませぬ。 

  われわれも、ハーシェルと同じに、互いにみな希望Ambition を遂げよう

ではございませんか。 

  われわれが死ぬまでには、この世の中を、少しなりとも善くして死にたい

ではありませんか。

  何か一つ事業を成し遂げて、できるならば、われわれが生まれた時よりも、

この日本を、少しなりとも善くして逝きたいではありませんか。 

  この点については、われわれ皆々、同意であろうと思います。

 

  それで、この次は、遺物のことです。何を置いて逝こう、という問題です。

何を置いて、われわれが、この愛する地球を去ろうかというのです。

  そのことについて、私も考えた。 

考えたばかりでなく、たびたびやってみた。何か遺したい希望があって、

これを遺そうと思いました。

 

  それで、後世への遺物もたくさんあるだろうと思います。それを、一々

お話しすることはできないことでございます。 

  けれども、この中に、第一番にわれわれの思考に浮かぶものからお話し

をいたしたいと思います。

  後世へわれわれが遺すものの中に、まず第一に大切なものがある。

何であるかというと金(カネ)です。

                         Photo_6

  われわれが死ぬ時に、遺産金を社会に遺して逝く。己の子供に遺して

いくばかりでなく、社会に遺して逝くということです。それは、多くの人の

考えにあるところではないかと思います。 

  それで、ソウいうことをキリスト信者の前で言いますと、金(カネ)を遺す

などということは、実につまらないことではないかという反対が、ジキに出

るだろうと思います。

 

  私は覚えております。明治十六年に、初めて札幌から山男になって東京

に出てきました。その時分に、東京には、奇体な現象があって、それを名

づけてリバイバルと言ったのです。 

  その時分、私は後世に何を遺そうかと思っておりましたが、私は実業教

育を受けた者であったから、もちろんを遺したかった。 

  億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えを持っており

ました。

 

 自分には、明治二十七年になったら、夏期学校の講師に選ばれるという

考えは、その時分にはチットも無かったのです(満場大笑)。

  金を遺したい、金満家になりたい、という希望をもっておったのです。

 

   ところが、このことを、或るリバイバルに非常に熱心な牧師先生に話した

ところが、その牧師さんに、私は非常に叱られました。 

  「金を遺したい、というイクジのない、そんなものはドウにでもなるから、

君は福音のために働きたまえ」と言うて、戒められた。  

 しかし、私は、その決心を変更しなかった。今でも変更しない。

 

  金を遺す者を賤しめるような人は、やはり金のことに賤しい人であります。 

吝嗇(けち)な人であります。

  金というものは、ここで金の価値について長い講釈をするには及びませ

んけれども、金というものの必要は、あなた方が十分に認めておいでなさ

るだろうと思います。

  金は宇宙のものであるから、金というものは、いつでも出来るものだと

言う人に向かって、ベンジャミン・フランクリンは答えて、「それなら、今、

拵(こしら)えてみたまえ」と申しました。

  それで、私に金などは要らないと言うた牧師先生は、ドウいう人であった

かというに、後で聞いてみると、やはりずいぶん金を欲しがっている人だっ

たそうです。

  それで、金というものは、いつでも得られるものであるということは、われ

われが始終持っている考えでございますけれども、実際、金の要る時に

なってから、金というものは得るに非常に難しいものです。

  そうして、ある時は、富というものは、どこでも得られるように、空中に

でも掛かっているもののように思いますけれども、その富を一つに集める

ことのできる者は、これは、非常に神の助けを受ける人でなければでき

ないことであります。



  ちょうど秋になって、雁(かり:下の写真)は、天を飛んでいる。それを、

誰が捕ってもよい。しかし、その雁を捕ることは難しいことであります。

            Photo_7

  人間の手に、雁が十羽なり二十羽なり集まって来るならば、それに価値

があります。

 すなわち、手の内の一羽の雀は、木の上にいる二羽の雀より貴(とうと)い、

というのは、このことであります。

  そこで、金というものは、宇宙に浮いているようなものでございますけれ

ども、しかしながら、それを一つにまとめて、そうして後世の人が、これを

用いることができるように溜めて逝かんとする欲望が諸君のうちにあるなら

ば、私は私の満腔(まんこう)の同情をもって、イエス・キリストの御名(みな)

によって、父なる神の御名によって、聖霊の御名によって、教会のために、

国のために、世界のために「君よ、金を溜めたまえ」言って、この

ことを、その人に勧めるものです。

  富というものを一つにまとめるということは一大事業です。それで、われ

われの今日の実際問題が社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年

問題であろうと教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、やはり

金銭問題です。

  ここに至って、誰が、金は不要だなどと言う者がいますか。ドウゾ、キリスト

信者の中に、金持ちが起こってもらいたいです。実業家が起こってもらいた

いです。

  われわれが働く時に、われわれの後ろ楯になりまして、われわれの心を

十分に分かった人がわれわれに貢いでくれることは、われわれの目下の

必要でございます。

  それで、金を後世に遺そうという欲望を持っているところの青年諸君が、

その方に向かって、神の与えた方法によって、われわれの子孫に、たくさん

遺してくださらんことを、私は切に祈ります。 【つづく】

 

 




 

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