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2012年12月14日 (金)

後世への最大遺物(9)

  トーマス・グレイ(*下の写真)という人は有名な学者で、彼の時代の

人で、彼くらい、すべての学問に達していた人は、ほとんどなかったそ

うであります。

                         Photo

  イギリスの文学者中で博学、多才といったならば、たぶんトーマス・

グレイであったろうという批評であります。

  しかしながら、トーマス・グレイは、何を遺したか。彼の書いた本は、

一つに集めたらば、たぶんこんなくらい(手真似にて)の本で、ほとんど

二百ページか、三百ページでありましょう。

  しかし、そのうち、これぞというて大作はありませぬ。トーマス・グレイ

の後世への遺物は、何もない。ただ、Elegy(挽歌)という三百行ばかり 

の詩でありました。



  グレイの四十八年の生涯というものは、Elegyを書いて終わってしまっ

たのです。

  しかしながら、たぶんイギリスの国民の続く間は、イギリスの国語が話

されている間は、Elegyは消えないでしょう。

  この詩ほど多くの人を慰め、ことに多くの貧乏人を慰め、世の中にまっ

たく容れられない人を慰め、多くの志を抱いて、それを世の中に発表す

ることのできない者を慰めたものはない。

  この詩によって、グレイは、万世を慰めつつある。

  われわれは、実にグレイの運命を羨むものであります。すべての学問を

四十八年間も積んだ人が、ただ三百行くらいの詩を遺して死んだと言うて

は小さいようでございますが、実にグレイは大事業をなした人であると思

います。



  有名なるヘンリー・ビーチャー*が言った言葉に・・・・私は、決してビー

チャーが、小さいことを針小棒大にして言うた言葉ではないと思います。

・・・「私は、六十年か七十年の生涯を私のように送りしよりも、むしろ

チャールス・ウェスレー*の書いた”Jesus,Lover  of  my  soul  ”の

讃美歌篇を作った方がよい」と申しました。

  (*ヘンリー・ビーチャー―Henry  Ward  Beecher〔1813~87〕アメリカ

       のプロテスタント教会の牧師、編集者、雄弁なる説教師として

      知られる。奴隷制度廃止を強く主張した。『アンクル・トムス・キャビン

        の作者ストウ夫人〔1811~96〕の弟   *下の写真)

             Photo_3

 
(*チャールス・ウェスレー―John  Wesley〔1707~48〕 イギリスの牧師、
 

       讃美歌の作詞者。メソジスト教会の創立者ジョン・ウェスレー John

       Wesley  の弟。  数多くの讃美歌を残しているが、この”Jesus,

        Lover  of  my  soul ”(「わが魂を愛するイエスよ」は、彼の代表作で

      あるばかりでなく、英語讃美歌の中でも最も有名なものの一つ。

       *下の写真)

                           Photo_4


  ちょっと考えてみると、これは、ただチャールス・ウェスレーを尊敬する

余りに発した言葉であって、決してビーチャーの心の中から出た言葉では

ないように思われます。

 しかしながら、ウェスレーのこの歌を、いく度か繰り返して歌ってみまし

て、どれだけの心情、どれだけの趣味、どれだけの希望が、その内にあ

るかを見る時には、あるいは、ビーチャーの言ったことが本当であるかも

知れないと思います。

  ビーチャーの大事業も、決してこの讃美歌ほどの事業をなしていない

かも知れませぬ。

  それゆえに、もしわれわれに思想がありますならば、もしわれわれが、

それを直接に実行することができないならば、それを紙に写しまして、

これを後世に遺しますことは、大事業ではないかと思います。文学者の 

事業というものは、それゆえに羨むべき事業である。




  こういう事業ならば、あるいはわれわれも行なってみたいと思う。

こう申しますると、諸君の中には、またこう言う人があります。

  「ドウモ、しかしながら文学などは、私らには、とてもできない、ドウモ、

私は今まで、筆を執ったことがない。また私は学問が少ない、とても私

は文学者になることはできない」。

  それで『源氏物語』を見て、とてもこういう流暢なる文は書けないと思い、

マコーレー*の文を見て、とてもこれを学ぶことはできぬと考え、山陽の文

を見て、とてもこういうものは書けないと思い、ドウしても私は文学者に

なることはできないと言って失望する人がいる。文学者は、特別の天職

を持った人であって、文学は、とてもわれわれ平凡な人間にできること

ではないと思う人がいます。

(*マコーレー―Thomas  Babington  Macaulay〔1800~59〕 イギリスの

       歴史家、政治家。『英国史』全五巻”History  of  England”とその

        流麗な文体で名声を博した。)




  その失望は、どこから起こったかというと、前にお話しした柔弱なる考

えから起こったのでございます。すなわち、『源氏物語』的な文学思想か

ら起こった考えであります。 

                        Photo_6

         


  文学と言うものは、ソンナものではない。文学というものは、われわれ

の心のありのままをいうものです。




  ジャン・バンヤン*という人は、チットモ学問のない人でありました。

もし、あの人が読んだ本があるならば、タッタ二つでありました。すなわち

『バイブル』と、フォックス*の書いた『ブック・オブ・マータース』(”Book 

of  Martyrs”)という、この二つでした。

   (*ジョン・バンヤン―John  Banyan〔1628~88〕イギリスの宣教者。

       鋳掛屋の子として生まれ、父業をついだが、ピューリタン革命の際、

   クロムウェルの率いる議会軍の兵となる。除隊後、信仰に目覚め、

   聖書に親しみ、牧師となった。その聖書の知識は、生きたコンコー

   ダンス〔語句索引〕のようであったという。

         王制復古下で秘密集会禁止法にふれて、投獄され、一六六○年

     からの十二年間獄中にあったが、その間、『溢れる恩寵』を書き、

       七五年、再投獄された際、主著『天路歴程』を構想した。

        *下の写真)

                    Photo_7

  (*フォックス―John   Fox 〔1516~87〕  イギリスの殉教史家。

        バンヤンは、聖書とフォックスの著『殉教者の書』  の二つを、

        主要な伴侶としたが、彼が用いた『殉教者の書』 の余白には、

       今でも、読める書き込みがあり、勇敢な殉教者に対する敬意と

          悪魔の国に対する仮借なき敵意とが、綴り違いの文言で

           記されているという。)   

         

  今ならば、このような本を読む忍耐力のある人はない。私は、札幌にて、

それを読んだことがある。

  十ページくらい読むと、後は読む勇気がなくなる本である。ことに、

クェーカーの書いた本でありますから、文法上の誤謬がたくさんある。

しかるに、バンヤンは、初めから終わりまで、この本を読んだ。彼は、

申しました。

  「私は、プラトンの本もアリストテレスの本も読んだことはない。ただイエ

ス・キリストの恩恵(めぐみ)にあずかった憐れなる罪人であるから、ただ

わが思うそのままを書くのである」と言って、“Pilgrim's  Pogress“(『天路

歴程』)という有名なる本を書いた。


  それで、たぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人・・・この間

死んだフランス人、テーヌという人であります。
   
  その人がバンヤンのこの著を評して何と言っているかというと「たぶん

純粋という点から英語を論じた時には、ジョン・バンヤンの”Pilgrim's

Progress“に及ぶ文章はあるまい。これは、まったく外からの雑(まじ)

りのない、もっも純粋なる英語であるだろう」と申しました。

  そうして、かくも有名なる本は何であるかというと、無学者の書いた本

であります。

  それで、もしわれわれに、ジョン・バンヤンの精神がありますならば、

すなわち、われわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるものでなく、

自分の拵(こしら)えた神学説を伝えるのではなくして、私はこう感じた、

私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人は、

ドレだけ喜んで読むか知れませぬ。

  今の人が読むのみならず、後世の人も実に喜んで読みます。バンヤン

は、実に「真面目なる宗教家」であります。心の実験を真面目に表わした

ものが英国第一等の文学であります。



  このことによって、われわれの中に文学者になりたいと思う観念を持つ

人がいますならば、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼の

ような心を持ったならば、実に文学者になれぬ人はないと思います。

【つづく】

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