フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 後世への最大遺物(6 ) | トップページ | 後世への最大遺物(8) »

2012年12月11日 (火)

後世への最大遺物(7)

   第二回

 

   昨晩は、後世へ、われわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に、

のことの話をいたし、その次に、事業のお話をいたしました。

 

  ところで、金を溜める天才も無し、また、それを使う天才も無し、かつ

また事業の天才も無し、また事業をなすための社会の地位も無い時には、

われわれが、この世において、何をいたしたらよろしかろうか。

  事業をなすには、われわれに神から受けた特別の天才が要るばかりで

なく、また社会上の地位が要る。

 

  われわれは、ある時は、かの人は天才があるのに、何故なんにもしない

でいるかと言って、人を責めますけれども、それは、たびたび起こる酷な

責め方だと思います。

 

  人は地位を得ますと、ずいぶんつまらない者でも、大事業をいたすもの

であります。 

 地位がありませんとエライ人でも志を抱いたまま、空しく山間に終わって

った者も、たくさんあります。 

                        Photo_7

  それゆえに、事業をもって人を評することができないことは、明らかなる

ことだろうと思います。

 

  それゆえ、私に事業の天才も無し、また、これをなすの地位も無し、友達

も無し、社会の賛成も無かったならば、私は、身を滅して死んでしまい、

世の中に何も遺すことはできないかという問題が起こってくる。

 

  それで、もし私に金を溜めることができず、また社会が私に事業をするこ

とを許さないとしましても、私は、まだ一つ、遺すものを持っています。 

  それは、何であるかというと、私の思想です。

 

  もし、この世の中において、私が私の考えを実行することができなければ、

私は、これを実行する精神を筆と墨とをもって、紙の上に遺すことができる。

あるいは、そうでなくても、それに似たような事業がございます。

 

  すなわち、私が、この世の中に生きている間に、事業をなすことができな

ければ、私は、青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうして、

その人をして、私の事業を成さしめることができる。

 

  すなわち、これを短く言いますれば、著述をするということと学生を教える

ということであります。著述をすることと教育のことと二つを、ここで論じたい。

(*下は、内村鑑三の言葉)             Photo_6

  しかし、だいぶ時がかかりますから、ただ、その第一、すなわち思想を遺

すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。

 

  すなわち、われわれの思想を遺すには、今の青年(*下の写真は、当時

の青年の一人・矢内原忠雄)に、われわれの志を継いでゆくも一つの方法

でございますけれども、しかしながら、思想そのものだけを遺してゆくには、

文学によるほかない。

                     Photo_9

  それで、文学というものの要は、まったくそこにあると思います。文学と

いうものは、われわれが心に常に抱いているところの思想を後世に伝える

道具に相違ない。

 

 それが、文学の実用だと思います。それで、思想の遺物というものの大

なることは、われわれは誰も、よく知っていることであります。

 

  思想がこの世の中で実行されたものが事業です。われわれが、この世

の中で実行することができないからして、種子(たね)だけを播いて逝こう、

「われは恨みを抱いて、憤慨を抱いて地下に下らんとすれども、汝らわれ

の後に来る人々よ、折あらば、わが思想を実行せよ」と、後世へ言い遺す

のである。それで、その遺物の大いなることは、実に著しいものであります。



  われわれがよく知っているとおり、二千年ほど前にユダヤのごくつまらな

い漁夫や、あるいはまことに世の中に知られない人々が『新約聖書』(

下の写真)いう僅かな書物を書いた。

                       Photo

  どうして、この小さな本が、ついに全世界を改めたということは、ここに

いる人にお話しするほどのことはない、みなご存知であります。

 

  この山陽(*下の写真)という人は、勤皇論を作った人であります。

先生は、ドウしても日本を復活するには、日本をして一団体にしなけれ

ばならぬ。

                    Photo_3

 

   一団体にするには、日本の皇室を尊んで、それで徳川の封建政治を

やめてしまって、それで今日いうところの王朝の時代にしなければなら

ぬという大思想を持っておった。

 

  しかしながら、山陽は、それを実行しようと思ったけれども、実行すること

ができなかった。

  山陽ほどの先見のない人は、それを実行しようとして、戦場の露に消え

てしまったに相違ない。

 

  しかし、山陽は、ソンナ馬鹿ではなかった。彼は、彼の在世中、とてもこ

のことのできないことを知っていたから、自身の志を『日本外史(*下の

写真)に述べた。 

  そこで、日本の歴史を述べるに当っても、特別に王室を保護するように

は書かなかった。

                     Photo_2

  外家(がいか)の歴史を書いて、その中に、はっきりと言わずとも、勤皇

の精神を持って、源平以来の外家の歴史を書いて、われわれに遺して

れた。

 

  今日の王政復古を持ち来(きた)した原動力が何であったかと言えば、

多くの歴史家が言う通り、山陽の『日本外史』が、その一つであることは、

よく分かっている。 

  山陽(*下の写真)は、その思想を遺して、日本を復活させた。

            Photo_10

  今日の王政復古前後の歴史を、ことごとく調べてみると、山陽の功の

非常に多いことがわかる。私は、山陽の他のことは知りませぬ。

 

  かの人(=山陽)の私行については、二つ三つ不同意なところがあります。 

彼の国体論や兵制論については不同意であります。 

  しかしながら、彼山陽の一つのAmbition、すなわち「われは今世に望む

ところはないけれども、来世の人に大いに望むところがある」といった彼

の欲望は、私が、実に彼を尊敬してやまざるところであります。

 

  すなわち、山陽は『日本外史』を遺物として死んでしまって、骨は洛陽

東山に葬ってありますけれども(*下の写真『日本外史』から、新日本

国は生まれてきました。  【つづく】

            Photo_5

« 後世への最大遺物(6 ) | トップページ | 後世への最大遺物(8) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links