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2012年12月27日 (木)

後世への最大遺物(17)

 たびたび、こういうような考えは起こりませぬか?  もし、私に家族の

関係が無かったならば、私にも大事業ができたであろう、あるいは、もし

私に金があって大学を卒業し、欧米(*下の写真は、フランスのパリと

ドイツのハイデルベルク)へ行って知識を磨いてきたならば、私にも大

事業ができたであろう、もし、私に、良い友人があったならば、大事業

ができたであろう、こういう考えは、人々に実際起こる考えであります。
                              

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   しかれども、種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものが

できる、それが大事業であります。 

  それゆえに、われわれが、この考えを持ってみますと、われわれに

邪魔のあるのは、もっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほど、

われわれの事業ができる。勇ましい生涯を、後世に遺すことができる。

 

  とにかく、反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われ

われに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。 

  われわれが神の恩恵を享(う)け、われわれの信仰によって、これらの

不足に勝つことができれば、われわれは、素晴らしい事業を遺すことが

できる。
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  われわれが、熱心さをもって、これらの苦難に勝てば勝つほど、後世へ

の遺物が大きくなる。 

  もし、私に金がたくさんあって、地位があって、責任が少なくて、それで、

大事業ができたところで、何でもない。

 

  たとえ、事業は小さくても、これらすべての反対に打ち勝つことによって、

それで、後世の人が、私によって大いに利益を得るに至るのである。 

  種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業では 

ないかと思う。 

  それゆえに、ヤコブ*のように、われわれの出遭う艱難について、われ

われは、感謝すべきではないかと思います。

  (*ヤコブのように―創世記二十五―三十五章にヤコブの生涯の変転

が記されていることから。)



  まことに、私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少のうございますから、

私の考えを、ことごとく述べることはできない。 

  しかしながら、私は今日、これで御免こうむって、山を降(くだ)ろうと思い

ます。 

それで、来年、また再びどこかでお目に掛かるまでには、少なくとも幾何

(いくばく)かの遺物を貯えておきたい。

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  この一年の後に、われわれが再び会いました時には、われわれが何か

遺しておって、今年は、後世のために、これだけの金を溜めたというのも

結構、今年は、後世のために、これだけの事業をなしたというのも結構、

また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、

それよりもいっそう良いのは、後世のために、私は弱い者をけてやっ 

た、後世のために、私は、これだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のた 

めに、私は、これだけの品性を修練してみた、後世のために、私は、 

これだけの義侠心を実行してみた、後世のために、私は、これだ 

情実に勝ってみた、という話を持って、再び、ここに集まりたいと考えま

(*下の肖像画は、中年期の内村鑑三)

                                  Photo_5

 この心掛けをもって、われわれが毎年毎日進みまし

ならば、われわれの生涯は、決して五十年や六十年の生涯には

非ずして、実に水の辺ほと)りに植えたる樹のようなもので、だんだんと

芽を萌(ふ)き、枝を生じてゆくものであると思います。

  決して、竹に木を接(つ)ぎ、木に竹を接ぐような、少しも成長しない価値

のない生涯ではないと思います。

 

  こういう生涯を送ることこそ、実に私の最大希望でございまして、私の心

を毎日慰め、かつ色々のことをなすに当って、私を励ますのであります。 

  それで、私のもう一つの題であります「真面目ならざる宗教家」というの

は、時間がありませぬから、ここでは述べませぬ。 

  述べませぬけれども、私の精神の在るところは、皆様に十分お話しいた

したと思います。己の信ずることを実行する者が、真面目な信者です。

 

  ただただ大言壮語することは、誰にでもできます。いくら神学を研究して

も、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行す

るところの精神が有りませぬ間は、神は、われわれにとって異邦人であり

ます。 

  それゆえに、われわれは、神がわれわれにお知らせになったことを、

そのまま実行いたさねばなりません。  こういう、いたさねばならぬと思うた

ことは、われわれは、ことごとく実行しなければならない。 

  もし、われわれが、正義はついに勝つものとして、不義は、ついに負ける

ものであるということを世間に発表するのであるならば、その通りに、われ

われは、実行しなければならない。これを称して、真面目なる信徒と申すの

です。                    Photo_6

  われわれに、後世に遺すものは何もなくても、われわれに、後世の人に、

これぞと言うて覚えられるものは何もなくても、アノ人は、この世の中に活

きている間は、真面目なる生涯を送った人であると言われるだけのことを、

後世の人に遺したいと思います。(拍手喝采)  【了】


  ( 後記:内村鑑三の『後世への最大遺物』をご愛読くださいまして、
 

    まことに有難うございました。

        次回は、『デンマルク国の話』を掲載いたしたいと存じます。)

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