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2012年12月25日 (火)

後世への最大遺物(16)

  私は、時が長くなりましたから、もうしまいにいたしますが、常に私の

生涯に深い感覚を与える一つの言葉を皆様の前に繰り返したい。 

  ことに、われわれの中に一人、アメリカのマサチュセッツ州マウント・

ホリヨーク・セミナリー*(*絵〔上〕は、1837年頃の同校、〔下〕は、それ

より50年後の同校)という学校へ行って卒業してきた方がおりますが、

この女学校は、古い女学校であります。たいへんよい女学校であります。

         1837nenn


           1887



  しかしながら、もし私をして、その女学校を評せしむれば、今の教育上、

ことに知育上においては、私は、決してアメリカ第一等の女学校とは思

わない。アメリカには、たくさんよい女学校がございます。スミス女学校*

(*写真〔上〕は、1871年創立のスミス大学、〔下〕は、今日の同大学) 

いうような大きな学校もあります

  1871

          Photo

  また、ボストンのウェレスリー校、フィラデルフィアのプリンモアー学校と

いうようなものがございます。 

  けれども、マウント・ホリヨーク・セミナリーという女学校は、非常な勢力

をもって、非常な事業を世界になした女学校であります。



  何故だと言いますと、その女学校は、この節〔=最近〕は、だいぶよく

揃ったそうでありますが、この間〔=この前〕までは、不整頓の女学校で

ありました。同校が、世界を感化する勢力を持つに至った原因は、その

学校には、エライ女がおった。

  その人は、立派な物理学の機械に優(まさ)って、立派な天文台に優って、

あるいは立派な学者に優って、価値(ねうち)のある魂を持っておったメリー

・ライオン*という女でありました。

   (*メリー・ライオン―Mary  Lyon〔1797~1849〕  アメリカの女流教育家。

       女子高等教育促進の必要を痛感し、マウント・ホリヨーク女子専門学

      校を創立、12年間、その校長として女子高等教育の進展に寄与した。)



  その生涯を、ことごとく述べることは、今ここではできませぬが、この女史

が自分の女生徒に遺言した言葉は、われわれの中の婦女を励まさねば

ならぬ、また男子をも励まさねばならぬものである。

  すなわち、私は、その女の生涯をたびたび考えてみますに、実に日本

の武士ような生涯であります。 

  彼女は、実に義侠心に充ち満ちておった女であります。彼女は、何と

言うたかというに、彼女の女生徒に、こう言うた。

 

      他の人の行くことを嫌うところへ行け  

      他の人の嫌がることをなせ

  これが、マウント・ホリヨーク・セミナリーの立った土台石であります。

これが、世界を感化した力ではないかと思います。他の人が嫌がること

をなし、他の人の嫌がる所へ行くという精神であります。

  それで、われわれの生涯は、その方に向かって行きつつあるか。われ

われの多くは、そうでなくして、他の人もなすから、己もなそうというので

はないか。

  他の人もアアいうことをするから、私もソウしようというふうではないか。

他の人もアメリカへ金を貰いに行くから私も行こう、他の人も壮士になる

から、私も壮士になろう、はなはだしきは、だいぶこの頃は、耶蘇(やそ)

教(=キリスト教)が世間の評判が良くなったから私も耶蘇教になろう、と

いうようなものがございます。



  関東に往きますと、関西に余り多くないものがある。関東には、良いもの

がだいぶたくさんあります。関西よりも良いものがあると思います。

  関東人は「意地」ということを、しきりに申します。意地の悪い奴は、

つむじが曲がっていると申しますが、毬栗頭(いがぐりあたま)にては、

すぐ分かる

  頭のつむじが、ここらに(手真似にて)こう曲がっている奴は、必ず意地

が悪い。

 人が右へ行こうと言うと左と言い、アアしようと言えば、コウしようという

ようなふうで、ことに上州人に、それが多いと言います(私は、上州の

人間ではありませぬけれども)。

  それで、必ずしもこれは誉むべき精神でないと思うが、しかしながら、

武士の意地というものです。その意地を、われわれから取り除(の)けて

しまったならば、われわれは、腰抜け武士になってしまう。



  徳川家康*(*下の肖像画)のエライところは、たくさんありますけれ

ども、諸君のご承知の通り、彼が子供の時に川原へ行ってみたところが、

子供の二群が戦(いくさ)をしておった。石撃(いしづち)をしておった。

  家康はこれを見て、彼の家来に命じて、人数の少ない方を手伝って

やれと言った。多い方はよろしいから、少ない方へ行って助けてやれと

言った。これが、徳川家康のエライところです。

           Photo_2
 
  それで、いつでも正義のために立つ者は少数である。それで、われわ

れのなすべきことは、いつでも少数の正義の方に立って、そうして、その

正義のために、多勢の不義の徒に向かって石撃をしまければなりません。

  もちろん、必ずしも、負ける方を助けると言うのではない。私が望む
  

のは、少数と共に戦う意地です。その精神です。

  それは、われわれの中にみな欲しい。今日、われわれが正義の味方に

立つ時に、少なくともこの夏期学校に来ている者くらいは、共に、その方に

立ってもらいたい。

  それでドウゾ後世の人が、われわれについて、この人らは力もなかった、

富もなかった、学問も無かった人であったけれども、己の一生涯を、めい

めい持っておった主義のために送ってくれたと言われたいではありませ 

んか。

  これは、誰にも遺すことのできる主張ではないかと思うと、実にわれわ

れは嬉しい。

  たとえ、われわれの生涯が、どんな生涯であっても。  【つづく】
 

 


 

   
 

 

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