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2012年12月21日 (金)

後世への最大遺物(14)

   しかしながら、その間に己(おのれ)で己(おのれ)に返って言うに、

「トーマス・カーライル(*下の写真)よ、汝は愚人である、汝の書いた

『革命史』はソンナに貴いものではない。

                        Photo_4

   第一に貴いのは、汝がこの艱難を忍んで、そうしてふたたび筆を執っ

て、それを書き直すことである。それが汝の本当にエライところである。

実にそのことについて失望するような人間が書いた『革命史』を社会に

出しても役に立たぬ。

  それゆえに、モウ一度書き直せ」と言って、自分で自分を鼓舞して、

ふたたび筆を執って書いた。 その話は、それだけの話です。



  しかし、われわれは、その時のカーライルの心中に入った時には、

実に推察の情、溢(あふ)るるばかりです。

  カーライルのエライことは、『革命史』という本のためにではなくして、

火にて焼かれたものを、再び書き直したということである。

  もし、あるいは、その本が遺っておらずとも、彼は、実に後世への素晴

らしい遺物を遺したのであります。

  たとえ、われわれが、イクラやりそこなっても、イクラ不運に遭っても、

その時に力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起こ

して、再びそれに取りかからねばならぬ、という心を起こしてくれたことに

ついて、カーライルは、素晴らしい遺物遺してくれた人ではないか。



  今時(こんじ)の弊害は何であるかと言いますれば、なるほど金がない、

われわれの国に事業が少ない、良い本がない、それは確かです。

  しかしながら、日本人お互いに今要するものは何であるか。本が足り

ないのでしょうか、金が無いのでしょうか、あるいは事業が不足なので

ありましょうか。

  それらのことの不足は、もとよりないことはない。けれども、私が考えて

みると、今日第一の欠乏は、Life  生命の欠乏であります。

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  それで、近ごろは、しきりに学問ということ、教育ということ、すなわち

Culture(修養)ということが、大へんにわれわれを動かします。

  われわれは、ドウしても学問をしなければならぬ、ドウしてもわれわれ

は青年に学問をつぎ込まねばならぬ、教育を遺して後世の人を誡(いま

し)め、後世の人を教えねばならぬと言うて、われわれは心配いたします。

  勿論、このことは、たいへんよいことであります。それで、もし、われわ

れが今より百年後に、この世に生まれてきたと仮定して、明治二十七年

の人の歴史を読むとすれば、ドウでしょう。

  これを読んできて、われわれに、どういう感じが起こりましょうか。

なるほど、ここにも学校が建った、教会(*下の写真)が建った、ここにも

青年会館が建った、ドウして建ったろうといって、だんだん読んでみますと、

この人はアメリカへ行って金をもらって来て建てた、あるいは、この人は、

こういう運動をして建てたということがある。

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  そこで、われわれがこれを読みます時に、「アア、とても私にはそんな

ことはできない、今ではアメリカへ行っても金はもらえまい、また私には、

そのように人と共同する力はない。私には、そういう真似はできない、

私はとても、そういう事業はできない」と言うて失望しましょう。

 


  すなわち、私が今から五十年も百年も後の人間であったならば、今日

の時代から学校を受け継いだかも知れない。教会を受け継いだかも知

れませぬ。

  けれども、私自身を働かせる原動力をばもらわない。大切なるものを

ばもらわないに相違ない。

  しかし、もし、ここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらな

い教会の建物を売ってみたところが、ほとんどわずかな金の価値しかな

いかも知れませぬ。

  しかしながら、その教会の建った歴史を聞いた時に、その歴史が、こう

いう歴史であったと仮定してごらんなさい・・・・この教会を建てた人は、

まことに貧乏人であった、

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 この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけでも、

この人は、己のすべての浪費を節して、すべての欲情を去って、まるで

己の力だけに頼って、この教会を造ったものである。・・・・

  こういう歴史を読むと、私にも勇気が起こってくる。かの人にできた

ならば、己にもできないことはない、われも一つやってみようということ

になる。  【つづく】

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