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2012年12月18日 (火)

後世への最大遺物(12)

  ここに至って、こういう問題が出てくる。つまり、文学者にもなれず学校

の先生にもなれなかったならば、私は、後世に何も遺すことはできないか、

という問題が出てくる。

 

  何か他に事業はないか、私もたびたび、それがために失望に陥ること

がある。しからば、私には、何も遺すものはない。 

  事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、もの

を教えることもできない。 

  ソウすれば、私は無用の人間として、平凡な人間として消えてしまわね

ばならぬか。

 

  陸放翁(りくほうおう)*の言ったごとく、「我死骨即朽(わがしこつすなわ

ちくつるも)青史亦無名(せいしまたななし)」と嘆じ、この悲嘆の声を発し

て、われわれが生涯を終わるのではないかと思うて、失望の極に陥ること

がある。

(*陸放翁―陸游〔1125~1210〕のこと。放翁は号。南宋の詩人で、

       詩集に『剣南詩稿』、文集に『渭南文集』がある。「我死骨即朽、

        ・・・・」は、『剣南詩稿』第十六所収「春夜読書感懐」からの引用

      *下の肖像画)

                            Photo


  しかれども、私は、それよりモット大きい、今度は前の三つと違いまして、

誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。それは、実に最大遺物で

あります。 

  金も、実に一つの遺物でありますけれども、私は、これを最大遺物と名

づけることはできない。 

  事業も、実に大遺物たるには相違ない、ほとんど最大遺物というてもよう

ございますけれども、いまだこれを最大遺物ということはできない。

 

  文学も先刻お話しした通り、実に貴いものであって、わが思想を書いたも

のは、実に後世への価値ある遺物と思いますけれども、私がこれをもっ

最大遺物ということはできない。最大遺物ということのできないわけは、

一つは、誰にも遺すことのできる遺物でないから最大遺物ということはで

きないのではないかと思う。

 

  そればかりでなく、その結果は、必ずしも害のないものではない。昨日も

お話しした通り、金は、用い方によって、たいへん利益がありますけれども、

用い方が悪いと、またたいへん害を来(きた)すものである。

 

  事業におけるも、同じことであります。クロムウェルの事業とか、リビン

グストンの事業は、たいへん利益があります代わりに、また、これには、

害が一緒に伴っております。 

  また、本を書くことも、同じように、その中に善いものもあり、悪いことも、

たくさんあります。われわれは、それを完全なる遺物、または最大遺物と

名づけることはできないと思います。



  それならば、最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに、人間が

後世に遺すことのできる、ソウしてこれは、誰にも遺すことのできるところ 

の遺物で、利益ばかりあって害のない遺物である。

 

  それは何であるかと言えば、それは、勇ましい高尚なる生涯

あると思います。これが、本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は、

誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。

   しかしながら、高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここ

で申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。

 

  すなわち、この世の中は、決して悪魔が支配する 世の中にはあらずして、

神が支配する世の中である ということを信ずることである。

  失望の世の中にあらずして、希望の世の中である
 ことを信ずることで

る。

  この世の中は、悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという

えを、われわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物 として、

このを去るということであります。  

  その遺物は、誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。



  もし、今までのエライ人の事業を、われわれが考えてみます時に、ある

いはエライ文学者の事業を考えてみます時に、その人の書いた本、その

人の遺した事業はエライものでございますが、しかし、その人の生涯に較

べた時には、実に小さい遺物だろうと思います。

 

  パウロ(*下の肖像画)の書翰は実に有益な書翰でありますけれども、

しかし、これをパウロの生涯に較べた時には、価値のはなはだ少ないも

でないかと思う。パウロ自身は、このパウロの書いたロマ書や、ガラテ

ヤ人に贈った書翰よりもエライ者であると思う。

                        Photo_7 

  クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業であ

りますけれども、クロムウェルがあの時代に立って自分の独立思想を実行

し、神によって、あの勇壮なる生涯を送ったという、あのクロムウェル自身

の生涯というものは、これは、クロムウェルの事業に十倍も百倍もする社会

にとっての遺物ではないかと考えます。

  私は元来、トーマス・カーライル*の本を非常に敬読する者であります。

それで、ある人には、それがために嫌われますけれども、私は、カーライル

という人については、非常に尊敬を表しております。

(*トーマス・カーライル―Thomas  Carlyle〔1795~1881〕 イギリスの

       評論家、歴史家。  *下の写真)

                    Photo_2

 
  たびたびあの人の本を読んで利益を得、またそれによって刺激をも受け

たことでございます。

   けれども、私はトーマス・カーライルの書いた四十冊ばかりの本をみな寄

せてみてカーライル自身の生涯に較べた時には、カーライルの書いたもの

は、実に価値の少ないものであると思います。   【つづく】



 

 

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