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2012年12月17日 (月)

後世への最大遺物(11)

  ソウ申しますと、こういう問題が出てきます。われわれは、金を溜める

ことができず、また事業をなすことができない。それから、またそれならば

と言って、あなたがたがみな文学者になったならば、たぶん活版屋では喜

ぶかも知れませぬけれども、社会では喜ばない。

 

  文学者が世の中に増えるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばす

だけで、余り社会に益をなさないかも知れない。 

  ゆえに、もしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、

バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができ

ない時には、別に後世への遺物はないかという問題が起こる。それは、

私にもたびたび起こった問題であります。

 

  なるほど、文学者になることは、私が前に述べました通りヤサシイこと

とは思いますけれども、しかし、誰でも文学者になるということは、実に望

むべからざることであります。

  例えば、学校の先生・・・・ある人が言うように、何でも大学に入って学士

の称号を取り、あるいは、その上にアメリカへでも往って学校を卒業さえし

てくれば、それで先生になれると思うのと同じであります。

 

  私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がた

いへん世話になりましたアマースト大学の教頭シーリー先生*が言った

言葉に、「この学校で払う給金を払えば、学者を得ることはいくらでも得

られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらでもいる。

地質学者、動物学者は、たくさんいる。

  (*シーリー先生―Julius Hawley  Seelye〔1824~95〕  アマースト大学

       卒業後、ドイツのハレ大学で哲学を研究、帰国後母校の哲学教授、

    一八七六年総長、教育者、説教者として零名があった。上院議員

         をも務めている。

            内村鑑三は同大学に在学中、彼の信仰的感化のもとに回心を

         経験し、終生彼を恩師として尊敬した。  *下の写真・・・ブログ

         「内村鑑三 記念文庫デジタルアーカイブ」より拝借)

                         Photo

  しかしながら、地質学、動物学を教えることのできる人は、実に少ない。 

文学者は、たくさんいるが、文学を教えることのできる人は少ない。 

  それゆえに、この学校に、三、四十人の教授がいるけれども、その三、

四十人の教師は、非常に貴(とうと)い。 

  なぜならば、これらの人は、学問を自分で知っているばかりでなく、

それを教えることのできる人であります」と。 

  これは、われわれが深く考えるべきことで、われわれが学校さえ卒業

すれば、必ず先生になれるという考えを持ってはならぬ。 

  学校の先生になるということは、一種特別の天職だと、私は思ってい

ます。よい先生というのは、必ずしも大学者ではない。

 

  大島君*もご承知でございますが、私どもが札幌におりました時に、

クラーク先生*という教師がいて、植物学を受け持っておりました。

  その時分には、他に植物学者がおりませんから、クラーク先生を

第一等の植物学者だと思っておりました。この先生の言ったことは、

植物学上誤りの無いことだと思っておりました。

   (*大島君―大島正健〔1858~1938〕  札幌農学校第一回卒業生。

       内村鑑三の親友の一人。札幌農学校で教壇に立つかたわら、長く

      札幌独立教会の牧師の任にあたった。第六回夏期学校の講師、

       「牧師と教会」「祈祷私見」と題して講演した。

          甲府第一中学校の校長時代、当時の生徒だった石橋湛山に、

   多大な影響を与えた。  * 下の写真)

                             Photo_3
       

  (*クラーク先生―William  Smith  Clark〔1826~86〕 アメリカの

      科学者、教育者。南北戦争に従軍して奮戦、1862年陸軍准将に

        昇進した。

            アマースト大学卒業後、ドイツのゲッテインゲン大学で化学を

       研究、帰国後、母校の化学教授。植物学、農学についても多くの

        研究を発表した。「植物における樹液の循環」「植物生命現象の

        観察」(1874年)など。

             マサチューセッツ州立農業大学初代学長(1867~1878)。

    その間、1876年、一年の賜暇を得て来日、札幌農学校の教頭の

        任に当り、八ヶ月の在任中、学生に多大の感化を与えた。

             〝Be  gentleman!”別れに望んで遺した”Boys  be  ambitious ! ”

     の言葉は有名。 *下の写真)

                  Images


 

            

  しかしながら、彼の本国に行って聞いたら、先生、だいぶ化(ばけ)の

皮が現われた。かの国の学者が、クラ―クが植物学について口を利くなど

とは不思議だ、と言って笑っておりました。

 

  しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。 

どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭の中へ注ぎ

込んで、植物学という学問のInterrest (関心・興味)を起こす力を持った人

でありました。

 

  それゆえに、植物学の先生としては、非常に価値のあった人でありまし

た。ゆえに、学問さえすれば、われわれが先生になれるという考えを

抛却(ほうきゃく)(*抛却・・・・うち捨てておくこと)してしまわなければな

らぬ。

 

  先生になる人は、学問ができるよりも―学問もなくてはなりませぬけれ

ども―学問ができるよりも、学問を青年に伝えることのできる人でなけれ

ばならない。 

  これを伝えることは、一つの技術であります。短い言葉でありますけれ

ども、この中に非常に含蓄のある意味が含まれております。

 

  たとえ、われわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望

みがあっても、これは、必ずしも、誰にもできるものではないと思います。

  それで、金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、必ずや

文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、

それはそうはいかぬ。

 

  しかしながら、文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるという

ことよりも、よほど易しいことだと思います。なぜならば、独立でできること

であるからです。ことに、文学は、独立的な事業である。 

  今日のような学校にては、どこの学校にても、Mission  School (ミッション

・スクール)を始めとして、どこの官立学校にても、われわれの思想を伝え

るといっても、実際に伝えることはできない。 

  それゆえ、学校事業は、独立事業としては、ずいぶん困難な事業であり

ます。

 

 しかしながら、文学事業に至っては、社会は、ほとんどわれわれの自由に

任せる。

  それゆえに、多くの独立を望む人が政治界を去って宗教界に入り、宗教

界を去って教育界に入り、また教育界を去って、ついに文学界に入ったこ

とは、明らかな事実であります。多くのエライ人は文学に逃げ込みました。

  文学は、独立の思想を維持する人のために、もっとも便益なる隠れ場所

であろうと思います。

  しかしながら、ただ今も申し上げました通り、必ずしも誰にでも入ることの

できる道ではない。 【つづく】

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