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2012年11月 3日 (土)

水浦征男師の『この人』(6)

  ゼノ修道士について(2)


 著書『この人』の中で、ゼノ修道士に注がれる水浦師の眼差しは、

限りなく温かい。 

 実は、ゼノ修道士は、「修道士」とは言っても、東京大司教から「ゼノ

神父」と乗ることを特別に許された、ほとんど唯一の人です。 

  しかし、ゼノ師にとっては、そのような「肩書き」は、それ程大きな意味を

持っていなかったように感じます。

 

  彼は、「風の使者」とも呼ばれましたが、まさに“風のように”、一か所に

留まることなく、また場所を選ばず、どこへでも飛んで行きました。

              Photo


  親を亡くし、おなかをすかせた子どもたち、職を無くし、住む家さえままな

らない人々のために、彼は、できる限りのことをして上げました。



  水浦師にとって、ゼノ修道士は、一つの”お手本”だったかも知れません。
 

あるいは、同師は、ゼノ師に、かつてのコルベ師の、より腹蔵なく申しま

すなら、聖フランシスコ“精神”とその姿を見られたのかも知れません。

 

  水浦師が、ゼノ師に親しみ以上のものを感じていらっしゃったのは、本著

の表紙でも明らかです。 

  それは、下の表紙の、タイトル下の(つまり、中心に位置する)人物に注

目すれば、判ります。この人物こそ、ゼノ修道士、その人なのです。

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  事実、水浦師の描く「ゼノ師像」は、とてもユーモラスで温かいのです。

同師は、次のように記しています。



≪  ポーランドへの四○年ぶりの里帰り  

                                ゼノ・ゼブロフスキー修道士

 

  「みなさんサヨナラ。お祈りタノミマス」。 こう言い残してゼノさんは、風の

ように母国ポーランドに旅立って行った。 

  昭和五年、コルベ神父と一緒に日本の土を踏んで以来四○年ぶりの

帰国である。

 

  ゼノさんは長崎をふりだしに、東京、大阪、広島、北海道など日本中を

歩き回って、伝道生活を送ってきた。 

  どこかで水害や大火事があれば、だれよりも先に、そこにゼノさんが

いた。各地で寄附を集め、毛布やシャツを被害地に運んだのである。 

  だが、来日四○年というのに、なぜかゼノさんの日本語は上達しなか

った。

 

 最近の口癖は「ワタシ、アタマ、ボロナリマシタ」  この種の”ゼノ語”を

連発して、ゼノさんは働いていました。 

  ゼノさんの仕事に関する限り、日本語という言葉のカベは大した問題で

はなかったようだ。



  ゼノさんは帰国するまで、東京、東村山の修道院に住んでいた。ここか

ら毎日、都心へ“伝道の旅”に出た。バスや電車を乗りついで都心まで

行くのに一時間半かかっていた。

 

  修道院では、ゼノさんの体力の衰えと交通事故を心配して、天気の悪い

日は外出しないように説得したが、効果はなかった。 

  ゼノさんは「カワイソウナヒト、タクサンマッテイマス」と言って、出掛けて

行った。

 

 ある修道士さんが「クルマに気をつけて」と言うと、ゼノさんは「ワタシ、

マチ(外出先)デ死ヌイイデス。交通事故ナルト、ケイサツクル、白いクル

マ(救急車)クル、タクサンノヒトアツマル。コレイイデス。修道院で死ヌト

ダレモコナイヨ」と答えていた。



  ゼノさんは、雨の日でも外出を嫌がらなかった。それも決してカサをさ

さないで出掛けた。これはどういうわけかはっきりはわからない。 

  しいて想像すれば、ゼノさんがいつも持ち歩く黒いカバンが重すぎるた

めかも知れない。

 

  カバンの中は“宣伝用”のアルバム(ゼノさんに関する新聞記事のスク

ラップ・ブック)と弁当。 

  ゼノさんは、この破れかけた黒カバンを両手で抱きかかえるようにして

歩く。このため雨の日もカサをさす余裕はないのだ。

 

  ゼノさんは帰国直前の歓送会で「天国に行く前に帰ってきてくださいよ、

ね」と念をおされると「アリガトウ、アリガトウ」とうなずき、天国に行くまえ

にきっとまた帰ってくると約束した。

 

  またある人が「ポーランドで、ゆっくり休んで来て下さい」と言うと、

「ワタシ、天国にいってからゆっくり休みます」と答える。 

  あの白い、綿のようなヒゲをふるわせながら、ゼノさんが再び姿を見せ

てくれるだろうか。  ≫            (『聖母の騎士』1971年10月号) 

 

 

  ”天国にいってからゆっくり休みます”とのゼノ師の言葉が、とても印象

的です。 

それほどに、ゼノ師の一日一日が、弱く貧しき人々のためでした。

 

  ところで、ゼノ師は、1969年に、勲四等瑞宝章を受章しました。 

  しかし、昨日、引用しましたFrancisco  Maximiliano氏によりますと、

ゼノ師は、「天国ニコレイラナイネ」と言って、手持ちの鞄に放り込んで 

しまいました。 

  これなどは、まさにゼノ師の面目躍如といったところです。


  また、ブログ「Un  Ange  Passe~アンジェパッセ~」氏によりますと、

ゼノ師は常々、「大切なのは、困っている人がいることを、一人でも

多くの人達に知ってもらうことだ」と語っていたそうです。

  同ブログの主宰者ご自身、「大切なのは、まず知ること」だと強調

されています。

  確かに、私も、その通りだと思います。

        Photo_4

  さらに、ゼノ師は、お仲間に「カワイソウナヒト、タクサンマッテイマス」と

語りましたが、世の人々の中では、「カワイソウナコ、イナイデスカ?」と、

訊ね歩きました。 

                           Photo_5

  ここには、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に通じる、限りない”慈愛”を感じ

ます。きっと、ゼノ師ご自身が“愛”そのものだったのではないでしょうか。

  換言しますなら、ゼノ師は、世の中で飢えや貧しさに苦しむ人々に、
 

まことの“愛”を伝える、神の「道具」だったのだと思うのです。 【つづく】

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