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2012年11月 6日 (火)

水浦征男師の『この人』(8)

 人は、その生涯の中で、様々な出来事に遭遇します。無論、すべてが、

良い事ばかりとは限りません。 むしろ、思いもかけぬ災難に出会うこと

があります。 その余りの突然さに、ひどく困惑することもあります。



  でも、何より大切なことは、そのような不幸な出来事から、いかに

“自分”を救い出すかにありましょう。とはいえ、それは、決して生易しい

ことではありません。

 しかし、世の中には、そのような災難を体験しながらも“新しい自分”

見出した人もいます。

  今日、話題にしたい柳谷圭子さん(1942~)も、そのような方のお一人

です。水浦師の文章に、次のようなものがありました。

 

  九死に一生を得て

                             童話作家をめざす 柳谷圭子さん


  思いがけない出来事によって、人は、それまでまったく予期しなかった

方向へと、人生の歩みを変えなければならなくことがある。 

  ここに紹介する柳谷圭子さんの場合―。

 

   今から14年前の昭和38年7月27日、長野県野尻湖付近をドライブ中、

事故に遭った。 

  柳谷さんの乗っていた車の上に小型トラックが覆い被さるという大事故

だった。 

 同乗の親友の運転手は死亡、柳谷さんとその他の友人たちもひん死の

重傷を負った。 

 「もう、ダメだと思いました」と事故現場近くの病院に駆けつけた人は証言

している。

 

  事故後の柳谷さんは、意識不明。包帯にくるまれて、ただベッドに横た

わっているだけの日々が続いた。 

  そんな彼女が、意識をとり戻したのは、その年の秋。 

  まさに、奇跡的なカムバックだった。その後、闘病生活を送ること数年。 

  身障者手帳二級の機能障害を抱える身となった柳谷さんは、新たに生

きる道をさがし始める。

 

  かつて、慶応大学経済学部に学んだが、経済界への望みをさらりと捨

てて、児童文学家を志す。 

  童話の勉強にとりつかれた彼女は、昭和45年春、「中南米文学の勉強

アルゼンチンへ行って来ます」と言って、旅立った。

 

  その冒険ともいえる旅について、柳谷さんはこう書いている。 

  「考えてみると、私のまわりにいた人々は、あまりにもやさしすぎる人

ばかりだった。それこそ腫れ物にさわるように私を大切に扱ってくれた。

あるとき私はふとこれに気がついた。人間は楽なことにはすぐ慣れてしまう。 

  これではいけないと思った。どこか、うんと遠くへ行こう、行きたいと思

った」(『ラ・プラタの太陽の下に』)

 

  アルゼンチンでは、ブエノス・アイレス市(*下の写真)のサルバドール

大学で約三年間 文学を修めた。 

                 Photo

  帰国後間もなく、アルゼンチンの女流作家の書いたベスト・セラー『ヴェ

ニカのために』(ポルディ・バード著)を翻訳出版した。(河出書房新社刊) 

  また、いくつかの児童向け雑誌に寄稿するかたわら『ラ・プラタの太陽の 

下に』と題して、アルゼンチン留学記を本にまとめた。

 

  柳谷さんはすでに、アルゼンチンの永住権を得るほどのアルゼンチンび

いき。異国の人たちの温かい友情に彼女は、何度感激したことか。 

  あの、ふって沸いたような悪夢の交通事故は、彼女に、以前には考えら

れなかった大きな夢を広げてくれたといえなくもない。 

  柳谷さんは、この秋、アルゼンチンへ出発した。三度目の旅である。≫

                           (『聖母の騎士』1977年10月号)


   夏に事故に見舞われ、意識が戻ったのが秋というのですから、

3~4ヶ月間は、意識不明の状態だったことになります。

  周囲の方々は、半ば諦めたような、深刻な状態だったことでしょう。

まさに「九死に一生を得た」と言っても決して過言ではありません。

  因みに、 柳谷さんが大事故に遭われた昭和38年(1963年)は、アメ

リカ大統領ジョン・F・ケネディ(1917~1963)が暗殺された年でした。

  また、私事ですが、同年は、私の母方の祖父が瞑目した年でもありま

した。

 さらに、私が若い日にたいへんお世話になった方が、交通事故に遭わ

れた年でもありました。

  それゆえ、私にとりましても、同年は、忘れられない「年」です。

  加えて、私自身、後年、車を運転中、隣り車線を走るトラックの無理な

車線変更の為、愛車の側面を、きつく当てられた体験があります。

 その反動で、自車は、縁石に乗り上げてしまい、結果、斜めに走り、

前方の軽トラックに追突してしまいました。

  そのような次第で、私は、程度の差こそあれ、交通事故を、決して他人

事とは思えません。

 

  それにしましても、大事故に遭われた時の柳谷さんの驚愕と苦痛は、

如何ばかりだったでしょうか。

  でも、その事故後、一念発起されて、単身、アルゼンチンへと渡り、児童

文学の道へと進まれたことは、本当に素晴らしいと思います。

  その後の画期的な創作活動は、まことに刮目すべきものがあります。

  そればかりか、柳谷さんは、次のような著書も物していらっしゃいます。

まさに、カトリックの伝道・宣教活動にも貢献されています。

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  正直申しまして、コルベ神父やエリザベト・マリア北原怜子について 

書いていました頃はまだ、柳谷圭子さんのことは知りませんでした。 

  それとは、まったく別に、水浦師の『この人』の中で読んだ柳谷さん

の生きざまに心から感動し、彼女のことを調べている内に、以上の

方々についてご出版なさっていたことを、初めて知った次第です。

 

  自分の無知を恥じると共に、神さまの深いお導きを、強く感じずには

られません。 

 次回は、「ダミアン神父」について記したいと思います。  【つづく】


 



                               



                         

                     

              

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