フォト
2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 水浦征男師の『この人』(16 ) | トップページ | 本日の痛快ブログ(6) »

2012年11月22日 (木)

水浦征男師の『この人』(17 )

  「人は、見掛けによらぬもの」とは、よく言います。 

人間の表面と内面は、どうも違うようです。 

勿論、人の心は、その人の顔や表情に、よく表われるものです。 

 でも、その表面的、あるいは外面的なイメージばかりに囚われすぎますと、

私たちは、いきおい、人の”本質”を見誤ってしまいます。

 

  本日、ご紹介します方は、生前、たいへんな毒舌家で勇名を馳せた方

です。でも、その洒脱さは、当代随一だったと思います。 

反面、その個性の強さは、一般の方々の反感を買ったかも知れません。 

 つまり、同氏ほど、ファンとアンチ・ファンに分かれる人も珍しいのではな

でしょうか。

 

 でも、そんな個性的な彼にも、実に意外な一面、あるいは意外な「言葉」

がありました。 

  その言葉を自然に引き出した水浦師のインタービュアーとしての心の深

さと広さに、私は、心から感動しました。 

  それは、次のようなものです。






  現代こそ宗教が必要と思う

 

                                落語家 立川談志さん

 

 

  四年ぶりに、落語家立川談志師匠が長崎を訪れた。今度の旅行は、

母親と二人きりの親孝行の旅。弟子も付け人もいない、親子水入らずの、

長崎の休日だった。

                Photo

 あいにく長崎は雨だったが、「雨は大好きなんですよ。雨の音を聴きなが

ら寝るのは最高ですね」と満足気だった。

  プライベートな旅とはいえ売れっ子だけに、周りが黙って遊ばせてはく

れない。

 

  長崎市公会堂のそばにある小料理屋で、さっそく落語の会が開かれた。 

  若い男女二○人余りが、談志師匠の話に熱心に耳を傾けていた。 

その席に、師匠が参院選に出たとき以来の、友人というお坊さんと、カトリ

ックの神父がいることにふれて、こう言った。

              Photo_2


 「坊さんや神父がいるから言うんじゃないんだが、現代こそ、宗教が必要

だと思う。現代人を救えるのは、宗教しかないと思う」

  これ以上具体的な宗教の話は聞けなかったが、後日、質問すると次の

ような答えが返ってきた。

 

  「(宗教は)当然必要であると思い、語っているのですが・・・・。 

日本人は宗教を相対的にとらえているわけです。その辺が、西洋の神、

宗教との相違でしょう。とはいうものの、私の頭の中の整理が、(まだ)

できません」

 

  どうやら、談志師匠にとって、宗教とは、という質問は、大きすぎたようだ。 

  では、今、世間で騒がれている教育問題はどうか。 

「人生に、『基準』というものがなくなった。あるとしたら、東大出身、一流

企業、という基準のみが、強く生活の中にある。

 

  これがある以上、試験地獄は解消できない。しかし、結論としては、教育

大丈夫のように思える。これからの女性に私は期待しています」 

  立川談志師匠は、3年前、落伍協会から破門され(脱退し)、家元制の

立川流を起こした。

                     Photo_3
 

  この制度にはA (弟子)、B(門下生)、C(研究生)、の三コースがある。 

Bコースには、ビートたけし、山口洋子、横山ノックといった、芸達者な

人気者がいる。

 

  立川流旗揚げ後の歩みは、順調だ。これからの落語については、「伝統

を現代に」の限界が、見えてしまい、「伝統と現代」だという。 

  つまり、「落語とは、現代を現代人が現代語で語るものであり、あとは、

『古典落語保存会』と呼ぶべきものにすべきでしょう」

 

  現代の“語りべ”・談志師匠は、落語に対して、常に、疑問を投げかけ、

それとの葛藤の日々を送っている。 

  「これも神が私に与えてくれた試練であり、幸福、生きる喜びであると

感謝しています」と結んだ。≫     (『聖母の騎士』1985年9月号)

              Photo_4


   最後の言葉など、”えっ、これが、談志師匠の言葉?”といぶかしがら

れる方も多いかと存じます。 

  まさに、「人は、見掛けによらぬもの」、あるいは「事実は、小説よりも

奇なり」なのかも知れません。

 

  しかし、水浦師との対話の流れからしますと、この談志師匠の言葉は、

たいへん自然な感じがします。

  事実、一連の談志師匠の言葉は、すでに30年近く前のものです。でも、

本質的に、この思いは変わらなかったのではないかと感じます。

  とりわけ、「現代こそ、宗教が必要と思う」という思念は、同師匠にとって、

生涯、変わらないものだったのではないでしょうか。

  それは、もはや、「人は、見掛けによらぬもの」ということではなく、

むしろ、「人の本心は、そう簡単には分からぬもの」とでも言うべきもの

かも知れません。

                         Photo_5

  天才肌でもあった談志師匠は、それを端的に表現した大人物だったと

思います。

 先述しましたように、水浦師との、このエピソードは私に、一つの

大きな感動を与えてくれました。

  さて、皆さまにとっては、如何だったでしょうか? 



   因みに、昨日(11月21日)は、談志師匠の一周忌でした。

これも、何かの“縁”だと感じます。

 今、きっと天界で、様々な師匠たちと一緒に、天界のお客さんたちの前で、

いつもの楽しいお噺をなさっていらっしゃることでしょう。

 談志師匠の、屈託のない笑顔が偲ばれます。  【つづく】

 

« 水浦征男師の『この人』(16 ) | トップページ | 本日の痛快ブログ(6) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links