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« 本日の痛快ブログ(6) | トップページ | 水浦征男師の『この人』(19) »

2012年11月24日 (土)

水浦征男師の『この人』(18)

   4年後には、ブラジルのリオデジャネイロで、オリンピックが開かれ

ます。 ブラジルの発展には、目を見張るものがあります。

  本日は、そのブラジルへの海外布教に赴いた最初の日本人司祭に

ついての話です。

  水浦師は、その司祭・松尾繁司神父について、次のように記しています。

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   ブラジル宣教25年

                                       松尾繁司神父

  日本の23倍という広大な国土に約一億の国民。ブラジルは今日なお、

未来への夢と希望をかきたてる国だ。

  その国に日系人が約100万人。初めて移民船が渡ってから77年たった。

  今二世、三世が日系人社会の過半数を占めようという勢い。

彼らのほとんどはカトリックの洗礼を受けている。その司牧は、ブラジル

教会にとっても長年の懸案だった。



  日系人信者たちの「邦人司祭を送ってほしい」という願いが実って、

一人の青年司祭が渡伯して、四半世紀が過ぎた。

  松尾繁司神父(52)の司祭生活は「叙階直後、英国で過ごした一年間を

除けば、すべてがブラジル一色」(同僚神父)である。

  司祭叙階25年の銀祝を迎え、休暇を与えられて、このほど帰国、長い

ブラジル宣教活動で少々”ガタ”のきた身体をオーバー・ホール中だが、

日伯司牧協会会長、日伯両国の架け橋として、治療そっちのけの忙しい

毎日だ。



  松尾神父は長崎・五島、三井楽の出身。修道司祭への道をまっしぐらに

進み、イタリア・アシジの国際神学校へ。ここで第三世界から集まった

たくさんの神学生を知った。聖フランシスコの墓前で終生誓願、ジョットの

大壁画(*下の写真:ローマ法王インノセント3世に謁見する聖フラン

シスコ)に囲まれて司祭に叙された。

           Photo_2
 

  「ブラジルへの赴任命令を受け取ったとき『万歳!』と叫んだら、

イギリス人司祭が『両親や兄弟と離れて地の果てへ行くのが、そんなに

うれしいのか』と目を丸くしていました」

  50日かかって太平洋を渡った。

  「イタリア行きとこのときと、二度とも移民船(*下の写真:サントス丸)

の航海。船中で知り合った移民の方々がそのまま、ブラジルでの最初の

友人。

            Photo_3


  何年もたってから初めて訪れた村で『あのときの神学生さんだ!』と

大歓迎を受けたこともあります」



  同国最大の工業都市、サントアンデレに10年、その後は大サンパウロ

圏の町、モジダスクルゼスを拠点として14年余り、集落から集落へ日系人

を訪ねてひたすら歩き回った。

  「日本やドイツによびかけて、カトリック・センターを作ろうと計画しました。

当初は五年間で、と考えましたが、なにしろインフレがひどいので、五十年

間計画に変更しなくては、と思っているところです」

  現在、ブラジルで日系人の司牧のために働いているのは約20人の司祭

はじめ150人のシスターや修道士たち。

  市民の一人として立派に責任を果たしつつ、日本文化をこの国に活かす

―日系人への期待は小さくない。そのため役に立つなら松尾神父は喜んで

ブラジルの地に骨を埋めるつもりである。≫

 (「聖母の騎士」1985年11月号)


  
この松尾神父は、今も日伯関係のために尽力しておられます。 

その彼が、この記事から四半世紀後、日本への帰国の折、 

「降誕祭」に際して、次のような感銘深い文章を物しています。 

 




≪ 主のご降誕 2010年≫

     コンベンツアル聖フランシスコ修道会司祭 松尾繁司

 今年は、一人の宣教者を追憶しながらクリスマスを迎えています。

 私たちの国、日本には聖フランシスコ・ザビエル以来、多くの宣教者た

ちが色々な国から来て働いてくださいました。現在も働いていらっしゃい

ます。

 そして、いまでは多くの日本人が海外に宣教に出かけて福音宣教に

奉仕していますが、すべての人が宣教地に在って最初に遭遇する困難

は言語です。

 何も分らからず赤ン坊同然に成ります。でも、それは宣教者にとって

大切な体験になります。ゼロからの出発はイエスが貧しく、幼子として救い

の御業を始められた同じ出発点に立たせてくれるからです。

 私たちは恵みを必要とする存在なのです。そして、沢山の方々の力に

支えられながら成長して行きます。



  自分の一生涯を日本のために尽くされたイエス会のヴェンデリーノ

神父様は、その貴重な体験を分かちあってくださいました。

 いつか『きずな』の中で、自分の故郷ブラジルを訪問して日本へ帰る

寸前に是非会いたいという電話に応じて、その人に会った記事があります。

  「新聞で貴方が(ブラジルに)帰っている事を知って是非お目にかかって

伝えたいことがありました。間に合って本当によかった。

 神父様は覚えていらっしゃらないかも知れませんが、神父様が日本に

出発なさる前日、アンシェタで壮行会が開かれました。

その時、私は
神父様と日本のために毎晩祈ります、と約束しました。

50年間、忙しい時や、病気の時もありましたが、祈りを欠かしたことは

ありませんでした。

 『めでたし』の一回しか出来ないこともありましたが、神父様と日本のた

めに祈りました。これからも私の命の有る限り祈り続けます。

それを申しあげたかったのです」と。

                           Photo_4

  私はこの話を聞いて感動しましたと、ヴェンデリーノ神父様は仰って

います。宣教者の方々は、自分の故郷日本に帰ってくるとき、同じような

大きな支えを感じるのではないでしょうか。

 貧しい、未熟な私たちが信仰の面でも人間的にも多くの人々の絆の

なかに支えられ、成長することができた恵みの源泉があります。

  宣教者にとって、主の降誕祭は、宣教の原点を見つめさせてくれます。



  「私が日本に着いたとき、一人のドイツ人老宣教師が『日本の言葉、

文化を大切にしなさい。しかし、それ以上に大切なことは、心がここ

にあることです。これを忘れてはいけません。』と勧められたことを

ヴェンデリーノ神父様は決して忘れませんでした」と言います。



  言語の障害を乗り越えながら宣教者たちは、その国の歴史、人々の

思考様式、習慣を学びます。違っているから悪いのではなく、それはもう

一つの在り方であることに気付き始めます。問いかけ、問いかけられます。

その土地を愛し、人々を愛することを学び始めます。

                     Photo_5

  宣教者の降誕祭は、イエスの中に自分の出発点を見つめさせ、

「キリストの背丈」にまで成長してゆく決意を新たにしてくれます。≫

  この文章を読んで、人は、他者の“祈り”によって支えられていると

感じます。また、これは、祈りが、いかに大切かということでもありま

しょう。

  50年間も、ヴェンデリーノ神父と日本のために祈り続けた一信徒の

行動は、一般には奇異に思われかも知れません。

  しかし、このような信仰に生きる人の姿は、決してもの珍しいものでは

ありません。

 なぜなら、神父と彼の赴任国・日本のために祈り続けた人には、

その祈りを通して、信仰者としての喜びもあったでしょうし、彼はまた、

自分が、神の中に“生きている”という実感も得られたのではないか

と思われるからです。

  その意味で、まさに、人は“祈り”の中に生きているとさえ言えましょう。


  以上の二つのエピソードは、信仰深い国・ブラジルで活躍、かつ尽力して

おられる松尾神父を通して、海外宣教の意義や、人の祈り”の持つかけ

がえのなさを、われわれに教えてくれているように思うのです。 

【つづく】

  

 

 

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