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2012年11月17日 (土)

水浦征男師の『この人』(15)

  私が初めて「ダミアン神父」の名前を知りましたのは、1976年頃のこと

でした。 

 確か、NHKの「日曜美術館」でしたか、「病醜のダミアン」という彫刻

作品(*下の写真)が話題になっていました。 その制作者が、舟越保

武氏(1912~2002:2枚目の写真の人物)です。

              
             
                           Photo_8



  その時、ハワイのモロカイ島で司牧していたダミアン神父が、敢えて

患者と同じハンセン病になられたことに、私は、たいへんなショックを味

わいました。 

  まさに、それを“神さまからの勲章”と感じた同師の信仰的、あるいは

思想的深みなど、当時、知る由もありませんでした。

 

  また、『二つの勲章~ダミアン神父の生涯~』という優れた作品を物さ

た柳谷圭子さんのお心が清澄でなければ同著を書けないのと同様、

「病醜のダミアン」も、同様の苦しみを同感できる方でないと、これ程の

創作は不可能だと感じます。

  舟越氏は、1950年、ご長男が生まれてまもなく急死したのを機に、

自ら洗礼を受けてカトリック信者となりました。

  それから、キリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした製作が増え

ます。Photo_7

「病醜のダミアン」や「長崎二六聖殉教者記念像」、それに「原の城」など

は、まさに、その典型と言えます。

  その舟越氏が、水浦師のインタビューに答えています。

それは、次のようなものです。 

 

   「名もない石工になりたい」

 

                                          彫刻家   舟越保武さん

 

  彫刻家・舟越保武と聞いても、ピンとこない人がいるかもしれません。 

長崎・西坂の丘の日本二六聖人のブロンズ像を作った人が、舟越さん

です。 

  この舟越さんが、先頃昭和五二年度の芸術選奨の文部大臣賞を受

けました。

 

  この賞の特色は、賞をもらうための運動をした人には、絶対に賞を与

えないことだそうです。 

  その道のトップクラスの人しか受けられない、貴重な賞であることは間

違いありません。

  舟越さんの作品には「長崎二六聖殉教者記念像(*下の写真)原の

城」「病醜のダミアン」など、数々の個性的な傑作があります。

           26

 

 

                     Photo_11


   それにもかかわらず、舟越さんはこんなふうに、現在の心境を話してく

れました。 

  「近代から現代にかけて、いわゆる“個性的な””この作者らしい”とい

う作品は多いですが、こうしたものを、むしろ私は否定してしまいたいで

すね。

 

  昔のいい作品は、ゴシックでもロマネスクでも、”だれそれの作”という

のではないんです。作者のおしゃべりが作品の中にないんですね。 

  私は、作られる形に、一人の作家の名前がしるされることがない方が

よいと思います。昔の本当に、名もない石工というか、職人といった人た

ちの仕事に近づきたいものですね」

 

  とつとつとしゃべる舟越さんのお言葉のはしばしに、その性格がにじみ出

きます。 

  「現代は、ちょっと、意地汚いというか、世知辛いと思いますね。自分の

名前を出すということが、かなり大きな目的になってしまって・・・。

  道端のお地蔵さんには、石工の名前はないんですね。個性的な、表現に

クセのある、というものではなく、もっと平凡な、何でもないものを作らなき

ゃいけない、と思うんです。古い歴史をさかのぼってみたいですね」 

 

  名もない石工のようになりたい、という舟越さんだからこそ、芸術選奨に

ふさわしいのかもしれません。 

  また、この彫刻家が、クリスチャンであることも、つけ加えておかなけれ

ばなりません。 

  しかし、舟越さん自身は「カトリック信者」というレッテルで、見られるのは

好きではないようです。 

  「評論家や美術家仲間から、よく”敬虔なクリスチャン”と言われるんで

すね。 

 熱心とか、敬虔とか言われると困るんです。ふだんも、敬虔だ、と見られ

ると窮屈なんですよ。本当の私は、だらしのない怠け者です。

 

  ただ、それでも、日頃のだらしなさを補うくらいの気持ちで、10年周期くら

いに、まじめな作品を創ってるんです。しかし、やはり、こんな不信心な者

はいないと思いますよ」 

  あくまで謙虚な舟越さんでした。≫    (『聖母の騎士』1978年5月号)

 

  この「名もない石工になりたい」という舟越氏の”謙遜さ”は、同氏の深い

信仰と精神性から来ていると感じます。

  そこには、”すべての栄光を神に!”という無心・無欲な人間の理想的な

姿さえ感じられます。

  この思いはまた、すべての悲惨さや悲しみ、それに試練を”神からの

勲章”考えたダミアン神父の心にも通じます。

  実際、1987年、舟越氏は、脳梗塞で倒れました。それで、右半身が麻

痺し、懸命のリハビリの結果、亡くなるまで、左手のみで創作活動をしま

した(*下は、舟越氏の創作中の横顔)

 

 Photo_10

  人の偉大さは、順境の間に分かるものではなく、むしろ、逆境の中でこ

そ、証明されるものだと思うのです。

  舟越氏も、きっと自らの障害を”神さまからの勲章”だと考えられたの

ではないでしょうか。

  それ程の深い信仰がなければ、同氏の最盛期の偉大な作品群も、

また晩年期での意欲的な創作活動も有り得なかったと思うのです。

  【つづく】

 

 

 






 

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