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2012年11月16日 (金)

水浦征男師の『この人』(14)

  ダミアン神父について(完)


   1881年。ハワイ王朝のカラカウア王は、世界一周の旅に出掛けました。 

王に代わって国を守るのは、摂政に任じられた王の妹リリウオカラニ

(*下の写真)でした。

                        Photo

               
    

            

  ダミアンの噂を以前から耳にしていた彼女は、いつか早い機会に施設を

視察したいと思っていました。 

  同年9月15日。リリウオカラニの乗った船は、モロカイ島のカラウパパ

半島の沖に、錨を下ろしました。 

 

  歩ける患者はすべてカラワオの港に出て、摂政リリウオカラニを歓迎し

ました。 

 ハワイ国歌が演奏され、小旗が打ち振られる中を、リリウオカラニの

ボートは、カラワオの港に着きました。 

  こんなにたくさんのハンセン病患者を見たのは初めてだったリリウオカ

ラニは、動揺を隠せませんでした。

 

  ハワイ国歌を演奏する患者たちの表情が明るかっただけに、彼女は

余計に胸を打たれました。挨拶をしようとした彼女でしたが、涙にむせん

で何も言えませんでした。 

  彼女の訪問は、最初2時間とされていましたが、それを大幅に変更して、

彼女は熱心に施設中を見て回りました。

 

  病院では、港まで来られなかった重症の患者たちと会いました。案内の

ダミアンが、身をかがめて患者のかすれた声を聞いている姿に接して、

リリウオカラニは、新しい涙を、止めることができませんでした。

 

  彼女は、ダミアンにいいました。 

「ダミアン神父さま。あなたがどうしてここに留まり、これだけのことをな

されたのかわからないほどです」 

  ダミアンは、いぶかしげにいいました。 

「でも、それは当然です。彼らは、わたしが神から任された羊なのですから」 

  リリウオカラニは、初めて微笑みました。 

「そう、あなたの羊たちです。そして、わたしの国民です。・・・・」

 

  彼女は、ダミアンに温かいメッセージと共に、光輝く勲章を送りました。 

「わたくしは、あなたが不幸なわたくしの国民に対して、英雄的な犠牲と

奉仕を払われたことに、深く感謝します。 

  わたくしは、あなたがあなたを教え導かれる神以外からの、どんな報い

もまったく期待していらっしゃらないであろうことを、よく知っています。

 

  先日モロカイ島の施設を視察した際、あなたがわたくしの国民に、どれ

ほどの愛情を持って接していられるかを、親しくつぶさに拝見して、いっそ

うその感を強めました。 

  ですが、敬愛する神父さま、わたくしの熱心な願いを満足させるために、 

わたくしの謝意と尊敬をこめた、カラカウア勲章を是非お受け取りください。                                           

                                 摂政 リリウオカラニ」

 

  ところで、ダミアンは、モロカイ島に渡った当初から、この島にシスター

がいてくれたら、と願っていました。 

  1883年12月、マザー・マリアンネ・コップを含め6人のシスター(*下の

写真)が、ホノルルに着きました。 

  彼女たちが、モロカイ島で、ダミアン神父を支え、多くの患者たちの

看護に専念しました。 

       Photo_13

     Photo_14
     (*指導的な立場だったマザー・マリアンヌ・コップ・・・・

         彼女も、現法王によって「列聖」されました。)


  「カラカウア勲章」を“人からの勲章”としますなら、もう一つ、”神から

の勲章”が、ダミアン神父に与えられました。 

  それは、1884年12月のある夜のことでした。 

その夜、ダミアンは、疲れていました。 

(熱いお湯で体を拭いたら、さっぱりするだろう) 

そう考えた彼は、やかんでお湯をわかしました。お湯がわく間、ダミアン

は、本を読んでいました。

 

  けれども、つい読んでいる内容に気を取られて、火にかけたやかんの

ことを忘れていました。 

  シューシューという音に気づいたとき、やかんの水は、ぐらぐら沸騰し

ていました。 

「大変だ。やかんのことをすっかり忘れてしまった」

 

  ダミアンは大あわてで火を止めましたが、余りにあわてたので手が

すべり、熱湯を足にこぼしてしまいました。 

  ダミアンは、はっとしました。たちまち、足は真っ赤になりました。 

けれども、初めの驚き以上の何かが、彼の心を凍らせました。

 

  何と、やけどをしたはずの足に、熱いという感覚がなかったのです。 

感覚の麻痺。神経が病原菌に冒されたのです。 

  これこそハンセン病の、最も大きな特徴の一つではなかったろうか?

 

ダミアンは、水膨れのできた足を、呆然と見つめていました。

  以前から、ハンセン病の兆候はありました。モロカイ島に来る前から、

ハンセン病患者との接触もありました。

 

  ハワイ島で顔を近づけて彼らの告解を聞いているときなど、足がヒリ

ヒリするような感じを、覚えたこともありました。 

  モロカイ島へ来て一年たったころ、足が熱くて、水で冷やさなければ

ならないこともありました。 

  左足に激痛が走り、パリ(=崖・断崖)を登れなくなったりもしました。

皮膚が乾いて、黄ばんだ斑点が出たこともありました。

 

  じつは、「この日」が来ることは、彼には、わかっていました。 

それでも、このときダミアンは、心を平静に保つ力を願わずにはいられ

ませんでした。      


  翌朝、ミサの中で、彼はいいました。 

「わたしは、みなさんと同じようにハンセン病患者になりました。わたしは、

この恵みを感謝しています。 

  わたしはこれまでも『わたしたちハンセン病患者は』、といってきましたが、

これからは、もっと確信を持ってそういえます。そして、みなさんと私の間

の絆は、もっともっと強くなるのです。・・・」と。(*下は、ダミアン神父と

島内の青少年たち)

                        Photo_7

 実は、病の治療のため、一度だけ、彼は、ホノルルを訪ねました。

1886年7月10日のことです。それは、日本人漢方医の後藤昌直の治療を

受けるためでした。 

  後藤の漢方療法、つまり一日3回の温浴療法によって、ダミアン神父の

ハンセン病は、一旦、軽くなりました。

 

  ダミアン神父は、後藤昌直に深い信頼を置き、「私は、欧米の医師を全く

信用していない。後藤医師に治療して貰いたいのだ」という言葉を残して

います。 

  でも、それでも、神父は、病が完治するとは思っていなかったと感じます。 

むしろ、ハンセン病の感染を、”神からの勲章”として甘受したと思うのです。



  1889年が明けました。ダミアンは、自分の命の終わりが近いのを感じて

いました。 

 同年の2月、彼は、兄のパンフィルに、最後の手紙を書きました。 

  「・・・・ぼくの病気は、とても悪くなりました。でも、ぼくは本当に幸せです。

ぼく自身がハンセン病に罹ったことによって、誰よりもよく、患者たちの気

持ちがわかるようになったのですから。 

  それを思うとき、ぼくの心は安らかさに満たされます。神さまは、本当に

よい方です。 

 み旨が果たされますようにと、毎日祈っています。そして、祈りの中で、

いつも兄さんのことを思い出しています。・・・」

 

  ダミアンは、それまで自分の病室にシスターたちを入れようとはしません

でしたが、「亡くなる前にお会いして、祝福をいただきたい」という言葉を

聞いて、彼女たちに会うことを承諾しました。

 

  しばらく会わない間に、ダミアンは、すっかり衰弱していました。 

顔色は黄色味がかって、くすんでおり、目がくぼみ、頬はこけていました。 

その傷口には、血と膿が滲んでいました。ハンセン病の末期の症状が、

はっきりと見て取れました(*下の写真は、病床のダミアン神父) 

  けれども、ダミアンは、シスターたちを見ると、嬉しそうににっこりしてい

いました。 

「よく来てくれたね。ホームの子どもたちの様子はどう? 元気でいる

かい?」 

「みな、とても元気にしています」と、マザー・マリアンヌが答えました。

            Photo_8

  切れ切れの息づかいの中から、ダミアンはいいました。 

「シスターたちが、女の子だけでなく男の子の世話もしてくれると、有難

いのだが・・」 

「もちろん、わたしたちにできるかぎりのことはいたします」 

  マザーが、そういうと、ダミアンは、ほっしたように目を閉じました。 

  シスターたちがベッドのわきにひざまずくと、ダミアンは傷だらけの右手

を挙げて、彼女たちに最後の祝福を与えました。 

「天国にいらしたら、わたしたちのためにお祈りください」 

  マザー・マリアンヌは、涙をこらえて、そういいました。 

ダミアンは、わかったというようにうなずきました。 

  シスターたちが部屋を出ようとしたとき、ダミアンはかすれ声で繰り返し

ました。「こどもたちをよろしく・・・・」 

 これが、彼の最期の言葉でした。



  彼の死後、1930年代に入って、ダミアン神父の遺体をベルギーに戻して

ほしい、というベルギー国民の声が強まりました。 

  1935年、ときのベルギー政府は、これを正式にアメリカ政府に申し入れ

ました。 

(ハワイの主権は、すでにハワイ王朝からアメリカ合衆国に移っていまし

た。)

 

  翌年の5月3日、ベルギーのアントワープ(*下の写真)の港には、

ベルギー国王レオポルド3世、司教、司祭、神学生、その他数えきれな

いほど群衆が集まっていました。 

 彼らはみな、ベルギーの英雄ダミアン神父の帰還を待っていたのです。

             Photo_11

  デミアン神父の遺体が載せられたメルカトール号から兵士に守られて

柩が降ろされたとき、礼砲が鳴り響きアントワープ中の鐘がならされました。

 ベルギー国王は、ダミアンの柩に挙手の礼をしました。その日、アントワ

ープの大聖堂では、ダミアンのために追悼荘厳ミサが執り行われました。

 

  ミサ後、彼の遺体は、6頭の馬が引く馬車で、懐かしいルーベンに向か

ました。それから、彼の生まれ故郷トレムローを通り、また、ルーベンに戻

りました。 

 そして、その遺体は、同市内の大聖堂(*下の写真)に安置されました。 

 【了】                

               Photo_10

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