フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 水浦征男師の『この人』(10) | トップページ | 水浦征男師の『この人』(12) »

2012年11月10日 (土)

水浦征男師の『この人』(11)

   ダミアン神父について(3)


  柳谷さんは、次のように書いています。

≪  こんな話が残っている。ヨセフが四才になったころのことである。

 この地方では、毎年ケルメッセというお祭りが開かれる。フランドル

の人々は、このお祭りをとても楽しみにしていた。

  デ・ブースター家のこどもたちも、その年、両親に連れられて、近くの

村へ祭り見物にでかけた。村の中央広場は、ごったがえしていた。

  子どもたちのはしゃいだ笑い声。物売りの声。見せ物小屋の呼び込み

の声。それらが混ざり合って、隣の人の声も聞こえないほどである。

だれの心も、晴れ着の下で浮き立っていた。

 「母さん、ヨセフがいないわ」

  弟の手を握っていたはずの姉娘が、不意に泣きそうな声でいった。

きれいなリボンの並んでいる店に、つい気をとられていたほんのわずか

な間に、ヨセフがどこかに行ってしまったというのである。

  「ヨセフ、ヨセフ」

  人ごみの中を、ヨセフの名を呼びながら兄や姉は、懸命に探して歩いた。

だが、ヨセフの姿はどこにもなかった。

  「一人で家に帰っちゃったのかもしれないわ」

  「そんなはずないよ。だってヨセフはまだ小さいんだもの。道がわからな

いよ」

   あちこち探して、兄弟は疲れ切っていた。

  「ねえ、お祈りしようよ。神さまが、ヨセフを見つけてくださるかもしれない」

  一人がいった。広場に面して、教会が立っていた。両親と子どもたちは、

聖堂の中へ入っていった。

  扉を閉めると外の音が聞こえなくなって、聖堂の中はしーんと静かだった。

中は薄暗くて、まぶしい戸外の光に慣れた目には、初めのうちは何も見え

なかった。

  だが、すぐに母が、「ヨセフだわ」と言った。

祭壇の前にひざまづいて祈っている、小さな姿があったのである。

(*下の絵は、そのイメージ)

  Photo

  しばらくすると、ヨセフは、頭を上げてふりかえった。

そして、母親がそこにいるのを知っていたように、にこにこと笑った。

 安心しきったその笑顔を、デ・ブースター夫人は忘れることができなか

った。≫



  まるで、この話は、かつて12才の少年イエスが、両親と一緒にエルサレ

ムの神殿に参った際、両親から逸れて、学者たちと話し込んでいたという

姿を、彷彿とさせます。

  何かしら、ヨセフ(のちのダミアン神父)の非凡な人生を予感させる、

とても心に響くエピソードです。 私自身、心から感動しつつ読みました。 

  本稿でも、柳谷さんの素晴らしい文章を跡付けながら、ヨセフ(のちの

ダミアン神父)の人となりとその業績について記したいと思います。



  このような信心深く、かつ他者への思いやりに満ちたヨセフ少年にとって、

姉マリアやポーリーン、それに兄のパンフィルが、修道会に入会したこと

は、実に羨ましいことでした(*唯、姉マリアは、若くしてチフスで亡くなり

ます)。

  先述しましたように、末子の少年ヨセフは、父親の後継ぎとして期待

れていたのです。ヨセフは、この葛藤に心底悩みます。

  この苦しい思いを、ヨセフは、手紙で兄のパンフィルに打ち明けます。

兄は、優しく返事します。「それが、おまえだけの願いでなくて、神さまも

それをお望みなら、きっと道が開けるよ」と。

  ヨセフは、意を決して、手紙で、両親に自分の本心を打ち明けます。

その切々たる文章は、両親の心を打ちました。

  一週間後、父親は、ヨセフを訪ねて来ました。ヨセフは、余りに突然な

ことに驚きました。もっと驚いたことに、父親は、なんとヨセフを、パンフ

ィルのいるルーベンの修道院に連れて行ったのです。

  父親は、ポツリとヨセフに言いました。「わしは、ちょっと用事があるんだ。

夕方迎えに来るから、それまで待っていなさい」と。

  修道院では、兄のパンフィルが、すべてのてはずを整えていてくれ

ました。

  夕方、迎えに来た父親にヨセフは言いました。

  「とうさん、ぼくはここに残るよ。修道院に入りたいんだ」

  「そうか」

   覚悟していたらしく、父親はさほど驚きも見せずにいました。

そして、しばらく黙っていましたが、ヨセフの肩を二度ほどたたいて、

「これもみ旨だろう。元気でな」と言って帰っていきました。

  それから一ヶ月後、彼は、着衣(修道服を受ける儀式)を許され、

「ダミアン」という修道名を選び、ルーヴェン・カトリック大学(*下

の写真)で、哲学と神学を修めました。

Photo_2


   ダミアン神学生が”お手本”にした聖人は、「フランシスコ・ザビエル」

でした。

  1863年の初め、兄のパンフィルが司祭に叙階(司祭になる儀式)

されました。

  同じ頃、ハワイ諸島のメグレ司教から、「宣教師を派遣してほしい」

と強く求めてきました。

  ダミアンたちが所属していたイエズス・マリアの聖心(みこころ)会では、

六人の神父と十人のシスターからなる宣教団を、ハワイに送ることに

しました。叙階されたばかりのパンフィルも、そのメンバーの一人

選ばれました。ダミアンは、とても羨ましいと思いました。



  ところが、その年の秋、ルーベンの町で、チフスが流行しました。

パンフィルは、他の司祭とともに病人を見舞い、慰め、秘蹟(キリスト

が定めた恵みのしるし。洗礼、告解など)を授けました。

  不幸にも、パンフィルも、同じ病に罹ってしまいました。ダミアンを

始め仲間の必死の看護で、かろうじて死は免れました。

  しかし、回復には、長い時間が必要で、出発までには間に合いません。

ダミアンは、まだ神学生でしたが、自分が兄の代わりに宣教に行くことを、

修道会の総長に直接、手紙で願い出ました。

  切々と訴えるダミアンへの返事は、「イエス」でした。

 こうして、ダミアン神学生は船上の人となり、1864年3月19日に、ホノル

(*下の写真は、今日のホノルルです)に到着しました。

  まだ、神学生だったダミアンは、1864年5月21日に、ホノルルのカテドラ

ル(=大聖堂)で叙階され、司祭となりました。

  ハワイでの「ダミアン神父」の誕生です。

この後の彼の活躍につきましては、また来週といたします。  【つづく】

              Photo_3

 

 

« 水浦征男師の『この人』(10) | トップページ | 水浦征男師の『この人』(12) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links