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2012年11月 9日 (金)

水浦征男師の『この人』(10)

    ダミアン神父について(2)


 ダミアン神父は、1840年1月3日に生まれ、1889年4月15日に亡くなり

ました。 

 49年の生涯でした。現代の感覚で言えば、決して長い生涯とは言えま

せん。 

 他に、49歳で亡くなった人と言えば、織田信長や夏目漱石を思い出

します。 

 さらに言えば、聖徳太子や西郷隆盛、それに秦の始皇帝も同様です。 

この他にも、歴史上、様々な方がいましょう。

 

  しかし、大事なことは、何年生きたかではなく、どう生きたかだと思い

ます。  

 その点、ダミアン神父は、死の瞬間まで、まさにすべてを神に捧げ、

神の栄光を示すことのみに専念しました。


  彼の生涯は、次のように簡略に記述されています。
 

曰く、「彼は、アメリカ合衆国ハワイ州モロカイ島(*下の絵の中のオアフ

島の直ぐ東側〔右方〕にある島、オアフ島とマウイ島の間に位置する島)で、

当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに生涯を捧げ、自らも

ハンセン病で命を落とした。 

  カトリックの聖人で、記念日は5月10日(Wikipedia 参照)と。

         Photo



   列聖式を通じて、ダミアン神父を「聖人」として宣言したのは、現ロー

マ法王ベネディクト16世です。  時は、2009年10月11日。―

  バチカン放送局の言によりますと、この日、ダミアン神父を含め5人が

列聖されましたが、特にハワイでハンセン病患者の救済に尽力し、自ら

も同じ病を発病し、患者たちの「真の友」となって亡くなったダミアン・デ・

ブースター神父は「モロカイの聖者」として日本でも知られ、大きな尊敬

を集めてきました。

 

  法王は式中、ダミアン神父の生涯を次のように振り返りました。 

「ダミアン神父は、1863年、23歳で故郷フランドル地方から離れ、世界の

別の場所に福音を告げるため、ハワイ島に向かいました。彼の宣教活動

は自身に大きな喜びを与え、それは、愛の業となって花開きました。 

  恐れやためらいにも拘わらず、彼は、モロカイ島へ置き去られ誰からも

顧みられないハンセン病患者たちへの奉仕を決意しました。そして、病気

に苦しむ患者たちと接しました。

 

  彼は、患者たちとの生活を、『家』のように感じました。み言葉の奉仕者、

こうして苦しむ人々の奉仕者となり、晩年の4年間は患者の中の患者

なりました。 

  キリストに従うために、ダミアン神父は自分の故郷と別れただけでなく、

自分自身の健康までも捧げたのです。 

  それゆえ、彼は、イエスの言うように『永遠の命(マルコ10,30)を受け

たのです」と。 

 (*下の上段の写真は、若き日〔30歳代の〕のダミアン神父、その下は、

1889年1月。ハンセン病が進行した状態の同神父、死の3ヶ月・・・・

この説明は、柳谷氏の同著より)

            Photo_2


               Photo_4
 
 
 撮った年代が異なるとはいえ、同一人物の写真というより、まるで別

人格の人物の写真のようです。

  でも、20年近い年月の差こそあれ、同じダミアン神父(本名ヨセフ・デ・

ブースター)の写真に間違いありません。


  それ程に、モロカイ島でのハンセン病患者たちとの“共同生活”は、ダミ

アン神父にとって、それこそ人間的な視点から言えば、たいへん苛酷な

ものでした。

  でも、神を専一に考えるダミアン神父にとりましては、それは同時に、

無上の”喜び”に満ちたものでした。

  その”使命感”の強さは、多分、他の聖職者仲間や信者たちの想像を、

遥かに超えていたことでしょう。

  加えて、ダミアン神父の心の中には、柳谷女史の言われる「二つの勲

章」の内、“神からの勲章”のみが存在したと思います。

  それゆえ“列聖”という祝福は、カトリックを信仰する者にとって最高の

栄誉なのですが、ダミアン神父の魂は、そのような“人からの勲章”を、

少しも問題にはなさらないことでしょう。

  むしろ、愛する信者たちと同じ”ハンセン病の身に成ること”の方が、

真に喜ばしいことだったと思うのです。

  また彼自身、そうなることを、若い頃から予感し、願ってさえいました。

  なぜなら、ダミアン神父は、すべてのものごとを、自らの「目」だけを通し

て軽々には判断せず、あくまで“心の目(あるいは、魂)”を通して見ていた

からだと感じます。

  この世には、目に見える世界と“目に見えない世界”の二つが有るのか

も知れません。

 目に見える世界では、愚かで、痛ましく、悲惨なものも、目に見えない

世界(=神の世界)では、実に素晴らしいものかと思います。

  その“目に見えない世界”を感じ、信じるところに、人々の「信仰」

「愛」があるのではないでしょうか。

  ダミアン神父の信仰と愛の精神は、それを、われわれに教えてくれてい

るような気がします。


  柳谷さんの、この名著は、とても興味深い、素晴らしいお話に満ちていま

す。とりわけ、私が、まず心魅かれましたのは、ダミアン神父が4歳の幼児

頃のお話です。

  これにつきましては、また明日、お話させて頂きます。 【つづく】

 

 

 

 

 

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