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« 山陰・心の旅(三.宍道湖編) | トップページ | 水浦征男師の『この人』(1) »

2012年10月26日 (金)

山陰・心の旅(完.境港編)

  境港(鳥取県)は、山陰の中では、とりわけ男性的な漁師の街です。 

今までの出雲、松江、そして宍道湖と異なり、どこか“外向き”で活気に溢れ

ています。 市内には、魚市場が、大きなもので三つもあります。
 
  私共が着いた日は、駅近くの「境港水産物直売センター」は生憎、お休み

でした。 

そのため、私たちは、遠くの「境港さかなセンター」まで、タクシーを飛ばしま

した。 

 このセンターの近くには、「夢みなとタワー」があり、最上階まで登ると、

全方位で、「大山(だいせん)」を含めた、かなりの遠方まで展望できました。

          
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   境港はまた、著名な漫画家水木しげる氏(*本名、武良〔むら〕茂)の故
  
 

郷(=本籍地)としても有名です(*同氏は、厳密には、大阪府住吉区の生

まれです)。

  とりわけ、2010年の上半期、NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」の

放映以来、駅前から続くメインストリート〝水木ロード”は、多くの観光客で

賑わっています。

  駅に降り立った妻が、些か興奮気味に、こう言いました、「ここは、水木

しげるサマサマね!」と。

 この言葉も、あながち大袈裟ではありませんでした。

(*下の写真は、ロード内に在る水木しげる氏の顕彰碑)

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             (*顕彰碑の除幕式にて、感慨深げな水木氏 )

                
   実は、松江から境港へは、ほぼ一時間おきに、高速バスが走っているの

ですが、私たちは、安木(やすぎ)や米子(よなご)を経由して、JRで境港ま

で足を運びました。

  米子駅から境港駅まで、JR境港線(別名「鬼太郎列車」)に乗り、境港駅に

降り立ちますと、そこに待っていたものは、水木しげる氏の執筆中の姿やゲ

ゲゲの鬼太郎始め140体にも及ぶブロンズ像のキャラクターたちでした。

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        (*これは、キャラクターの被り物を着た人々です。)

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  たらばガニやマグロなどの豊富な海産物に恵まれた境港ではありますが、
 

私が、何故か心魅かれたのは、何と言っても水木夫妻の“夫婦愛”でした。

  どうも、今回の私の「山陰・心の旅」のキーワードは「夫婦愛」のようです。


            (*水木夫妻のブロンズ像です。決して、礒野波平さんと 

           おフネさんではありません。)

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        Photo_10
              (*ブロンズ像より、遥かにチャーミングな水木夫妻)

 でも、これは、決してこじつけではありません。 

ましてや、初めから、そう目論んだわけでもありません。 

むしろ、筆の勢いと申しますか、自然と、このような塩梅になりました。

  第一、ものごとは、そう”作為的”に進められるものではありません。 

「アジェンダ」などと言って、すべてを作為的・謀略的に進めるのは、ユダヤ・ 

アメリカ人か、その影響や勢力下にある日本人売国奴ぐらいでしょう。

 

  ところで、今日、日本の人口は、ほぼ1憶2千8百万人(2010年の国勢調査

にて)です。国内には、様々な日本人がいましょう。 

  そんな中でも、どんなに苦労や困難を体験しても、常に自分の生き方を前

向きに保持し、決して”ユーモアの精神”を忘れない人がいます。 

  水木しげる先生は、そんな人の、代表的な人物ではないでしょうか。 

私は、同氏ほど人間味豊かで、”ユーモアのある方はいないように思います。

 

 今日の日本は、余りにもギスギスとしてはいないでしょうか。 

単に暴力的で空疎な言葉だけが飛び交い、他者(ヒト)の言動の揚げ足を

取り、徒に罵り合っています。 

  「自分だけが正義」と思う人が、余りにも多いような気がします。 

無論、私自身も、じゅうぶん気をつけなければなりません。

 

  話が少し横道に逸れましたが、今日の日本人が忘れつつあるものは、 

苦境の中での“精神的なゆとり”あるいは”ユーモアの精神”ではないかと 

思います。 

  様々な苦労や困難を体験したという点では、水木しげる先生は、決して

人後に落ちないでしょう。それは、苛酷な“戦争体験”を経た先生の「経歴」

を見れば、容易に理解できます。 

  でも、水木先生には、それを、すべて笑い飛ばすだけの剛毅さや大胆さ

あります。 

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  これは、私たち一人ひとりが、大いに学ぶべき点だと思うのです。 

でも、その水木先生でも、やはり布枝(ぬのえ)夫人(旧姓、飯塚)の内助の

あってのことだと感じます。 

  夫婦が支え合い、補い合ってこその〝業績”なのです。 

また、二人のお譲さんたちのサポートがあってのことだとも思います。 

  やはり、人は、支え合ってこその人間、補い合ってこその人生なのだと思

うのです。



  私の〝水木しげる体験”は、55年以上も前、紙芝居「墓場の鬼太郎」に

よって始まりました。 私たちの観客席は、近くの神社の正面の石段でした。

  水木作品は、貧しく弱き者、虐げられし者、さらには忘れ去られし者たち

への限りない共感と同情、それに慈愛によって溢れていると思います。 

  また、先生の真面目(しんめんぼく)は、その生来の”快活さ”にあると感じ

ます。 

 素晴らしい夫婦愛同様、この水木先生の明るさや快活こそ、これからの

日本人を、いい方向へと導く“光”のように思います。 

  私たち日本人は、美しい祖国に対して、もっと誇りと自信を持って

いいのではないでしょうか。

  私の「山陰・心の旅」は、夫婦の在り方を考えると同時に、日本の

素晴らしい伝統や歴史、それに文化に思いを馳せる、たいへんいい機会

となりました。 ”日本よ、あなたは、本当に美しい!・・・・

  これにて、今回の私の「山陰・心の旅」を終えたいと思うのです。  【了】

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