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2012年10月22日 (月)

山陰・心の旅(一.出雲編)

  皆さん、お早うございます。 お元気でしょうか? 

朝夕、めっきり肌寒くなって参りました。御地は、如何でしょうか?

                   Photo_2


  私事ですが、先週、妻と二人で、山陰の旅へ出掛けました。二人にとり

まして、初めての山陰でした。 

  具体的には、出雲大社、松江、宍道湖、それに境港です。途中、安来や

米子も通りました。

Photo_3

  正直、「山陰」は、一度は行ってみたいと思いながら、なかなか、その機

会に恵まれませんでした。 

  とりわけ、出雲大社には、是非、参ってみたいと思っていました。 

今月は、陰暦では、「神無月(かんなづき)」です。でも、出雲では、「神有月

(かみありづき)」です。  まさに、日本の歴史の二面性、あるいは多面性を

感じます(*下の写真は、出雲大社の参道と、その先にある大社の御仮

殿です。) Photo_4

            Photo_6

            Photo_7


  ところで、ここに、一つの和歌があります。それは、次のようなものです。 

  「八雲立つ  出雲八重垣  妻籠めに  八重垣作る  その八重垣を」と

いうものです「八重垣」が、重要なキーワードになっています。 

  正直、私は、この歌を知りませんでした。これは、八俣の大蛇(オロチ)を

成敗した須佐之男命(すさのおのみこと)が、助けた櫛名田比売(くしなだ

ひめ)の為に、須賀の地に、宮殿を建てて上げた時の決意と喜びを表わした

ものと解されています。 この歌は、日本最古の「和歌」と伝えられています。 

Photo_9  小学生の頃、三船敏郎

が須佐之男命に扮した

映画「日本誕生」を観まし

たが、八俣の大蛇を成敗

する勇猛な場面が、たい

へん印象に残っています。 

  昭和30年代のことでした

が、あのような歴史活劇を

製作した日本の映画界は、

今にして思えば、大した

ものだったな、と思います。

 

  因みに、この和歌の意味は、「雲が湧き出るという名の出雲の国に、まる

で八重垣を巡らすように、幾重にも雲が立ち上る。 

  それと同様に、我が妻を籠らせる(*「守り、生活を共にする」という意味

か)ために、私は、(この須賀の)宮殿に、幾重もの垣を作ったが、それは、

ちょうど、八重垣の雲を巡らしたような感じだ」というものです(*多分に、

私の意訳)

 

  この歌には、高天原(たかまがはら)では、猛々しかっただけの須佐之男

命が、ひじょうに心優しい愛妻家に変身していく姿がしのばれます。男性を、

これほどまでに変えてしまう女性や「愛」の力は、本当に素晴らしいもの

です。

 

  実は「八重垣」という名の由来で、今日でも、縁結びの神社として有名な

「八重垣神社(*下の写真)があります。ご祭神は、須佐之男命と稲田姫

命(=櫛名田比売)です。(*『古事記』では、櫛名田比売、『日本書紀』で

は、奇稲田姫と、それぞれ違う名前で表記しています。)

Photo_5

  出雲大社であれ、八重垣神社であれ、両者で有名なのは“縁結び”という

ことです。 

 この両社の他にも、八上姫神社(やがみひめじんじゃ)、須佐神社、邦売佐

神社(なめさじんじゃ)、長浜神社、御井神社(みいじんじゃ)などが、この“縁

結び”を旨とする諸神社です。

 

  無論、これは、良縁や結縁を求める人々の”祈りの場”にもなりますが、

私には、何故か「陽」「陰」の世界の和合や合一のような感じに思えまし

た。 

  日本は古来、「日の本」として”太陽”を崇拝します。天照大神は、この太

陽の化身とさえ考えられています。

 

  しかし同時に、私たち日本人は”月の恵み”も、多々受けていることを忘

れてはならないと思います。 

  確かに、古代の「大和」が太陽ならば、古代の「出雲」は月だったかも知

ません(*下の写真は、「太陽と月」)

                            Photo_10

 しかし、実際に、出雲を訪ねて感じましたのは、「大和」(あるいは、大和朝

廷)以前は、この出雲こそが、まさに日本の”太陽”だったのではないかとい

うことです。

  明らかに、出雲は、「大和」以上の先進国だったと感じます。

  端的に申して、中国や朝鮮半島から最も近いのが出雲であり、同地は、

多分、隠岐島を中継地として、古くから大陸との交易・交流が盛んだったの

ではないかと思うのです(*下の写真は、古代出雲の空中神殿〔復元図〕)

           Photo_11

  その意味で「国譲り」の神話は、日本の古代史にとって、非常に重い意味

を持ったものではないかと感じます。

  この「国譲り」に関わるのは、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。彼は、

須佐之男命と櫛名田比売の愛嬢の婿とも、彼らの子孫とも言われています。

  大国主命による「国譲り」の後、天照大神は、現世の「目に見えること」を、

大国主命は、運命や縁など「目に見えないこと」を司るようになったと伝えら

れています(JTBパブリッシング「松江 出雲」参照)

  まさに「太陽」「月」の役割分担とでも申せましょう。


 しかし、今日の日本人は、目に見えるものばかりに心を奪われ、目に見え

いものを無視するか、看過しているように思います。

  けれども、実際は、「目に見えないもの」こそ、大切なのではないでしょうか。

Photo  アントワーヌ・ド・サン・

テグジュペリ(1900~

1944)が『星の王子さ

ま』で、キツネに語

せたように、「大切な

ものは、目に見えない

もの」なのですから。

  その意味では、私たち

「出雲」の持つ精神

性に、もっと深く、かつ

真摯に学ぶべきものが

あると思います。

 その点、出雲の文化

的・歴史的価値は、まさに無尽蔵だと思うのです。 【つづく】

 

 

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