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« 山陰・心の旅(完.境港編) | トップページ | 水浦征男師の『この人』(2) »

2012年10月27日 (土)

水浦征男師の『この人』(1)

  皆さん、お早うございます。 お元気でしょうか? 

    本日から、新連載を始めます。 

   どうか、よろしくお願いいたします。 

                 Photo

  ところで、人生において、人々には、様々な出会い(=邂逅)があります。 

そんな中で、どんなに短い出会いではあっても、長く印象に残る方がいます。 

  私にとりまして、水浦征男(いくお)神父が、そのような方の一人です。

 

 水浦師には、人間的な派手さこそありませんが、反面、とても深い”精神

性”を感じます。 

  正直申し上げて、同師の深い心の奥に、私は、”アシジのフランシスコの

精神”、“彼自身”を感じました。

 

  水浦師は、1985年から2009年まで、長崎の「聖母の騎士」社に勤務されま

した。 

 同師は、長崎にご在住の折、「諫早湾干拓」の埋め立て工事にも果敢に

反対する“社会派”の聖職者でもありました。 

 目下、西宮(兵庫県)のカトリック仁川教会の主任司祭をしておられます。


  2007年、東京にて、森田総研主催のパーティに出席し、水浦師と共に、

小沢一郎氏にご挨拶した時のことを、今も懐かしく思い出します。 

  水浦師が小沢氏に、「(私は)あなたと同じ年です」と挨拶されました。

すると、小沢氏も、嬉しそうに微笑んでおられました。

 

  それぞれの経験や立場こそ違え、”同年”というのは、案外、珍しいこと

です。そこには、何か不思議な”共感”や”親しみ”があるようです。 

私は、その時のお二人の光景を、とても微笑ましく拝見していました。


  今夏、その水浦師から、『この人』(聖母文庫(*下の写真)を、ご恵贈い

ただきました。内容は、1970~90年代の月刊『聖母の騎士』のコラム集です。 

  これは、当時、東京にお住まいだった水浦師に、長崎市の『聖母の騎士』

編集部から、コラムの原稿依頼があり、それを、毎月、丹念に書き綴られ

たものです。

  同著には、有名・無名を問わず、心に残る人物像と、それぞれの方々の

「信仰」の姿が描かれています。

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 正直、時代的に古い感もありますが、そこには、時代を超えて知るべき

“真実”が、とても読み易く描かれています。

  その中の一部を掲載させて戴きたいと思います。
 

そのことを、水浦師も、ご快諾くださいました。

 

  皆さまの座右の書にもなり、かつ人生の指針にもなる、立派な”心の書”

です。ご購読いただければ幸いです。 

  ところで、本日のタイトルは、「人を裁くのは人の役目ではない」というもの

です。 

 時節柄、なかなか考えさせられる一文です。それは、アメリカの「クッシン

グ枢機卿」についての文章です。これはまた、当時、難解な『Time』誌を

精読なさり、とても読み易く翻訳されたものです。

 その内容は、以下の通りです。 

 

    人を裁くのは人の役目ではない(クッシング枢機卿)

 

 
  昨年(1970年)11月2日、アメリカで一人の枢機卿が世を去った。その名は、

リチャード・クッシング前ボストン大司教(*下の写真)である。”クッシング”と

いう名は知らなくても、”ケネディ家の親友だった枢機卿”と聞けば、知って

いる人も多いだろう。

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  ジョン・F・ケネディとジャクリーン・ブーヴィアーとの結婚式も司り、その子ら

洗礼を授け、ダラスの凶弾に倒れた大統領を葬ったのがクッシング枢機卿

だった。        Photo_4

  「私は理論ではなく、行動をもって働く」との言葉通り、枢機卿は活動の人

だった。

 とくに枢機卿が力を尽くした仕事は、知恵遅れの子どもたちの世話であっ

た。

  「私は、この幸せの薄い子どもたちのために命をささげたい」とマサチュー

セッツ州・ハノバ市に障害児施設「聖コレタスクール」を創設した。

  ボストンの人たちは、宗派をこえて、クッシング枢機卿を”博愛のカーディ

ナル(枢機卿)”と呼んだ。枢機卿は、あらゆる階層の人たちを抱擁する広い

心の持ち主だったからである。



  「人は誤ることがある。しかし、それが本当に悪いとは限らない。どんなとき

でも、人を裁くのは人の役目ではない」―これが、クッシング枢機卿の信念

だった。

  1968年、ジャクリーン・ケネディ未亡人がギリシャのA・オナシス氏と再婚

した。これに対して、カトリック内部に、多くの批判の声が起こった。

 (*下の写真の前方左端の人物が、アリストテレス・オナシス氏 )

 

 Photo_5

  そのとき、ただクッシング枢機卿だけは「だれが罪びとで、だれが罪びとで

ないかを知っているのは神さまだけだ」と言って、カトリックの批判者たちを

叱ったといわれる。

  さらにクッシング枢機卿を人気者にしたのは、その気さくな人柄と素朴さで

あった。

 枢機卿邸を訪ねた警察官たちをバーへ案内したり、教会のご婦人たちと

陽気にダンスをやったりした。

  ときには刑務所を訪れて「私の名は、クッシングです。あなたのお名前は?」

などとやさしく語りかけながら、囚人たちに握手を求めることもあった。




  こんなエピソードも伝えられている。クッシング枢機卿がローマで開かれた

公会議に出席したときのことだった。

  当時の教皇ヨハネ23世は、クッシング枢機卿に、「きみは神学には明るい

のかね」と尋ねられた。すると枢機卿は、「とんでもありません。私は公教要

理以外のことは知りませんよ」と答えた。

  これに対して、教皇は、「それなら私と同じだよ」と大笑いされたとか。

  イタリアの農家の出であられた教皇と、アイルランドの鍛冶屋の出であっ

た枢機卿には、素朴さという点で似ていたようだ。

  枢機卿は1956年に癌と診断されたにもかかわらず、不屈の精神力で十数

年を生き抜いた。

  今、枢機卿の遺体は、ボストンの東南20マイルにある「聖コレタスクール」

の質素な地下墓地に眠っている。生前、枢機卿が可愛がった子どもたちに

見守られながらー。                          (『聖母の騎士』1971年1月号)

               (*下の写真は、ヨハネ23世)

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  (付記) クッシング枢機卿とヨハネ23世のエピソードは、実に微笑ましい。

「公教要理」とは、カトリックに馴染みのある方には、実に懐かしい言葉だ。

 私は、20歳代半ばの改宗だったせいか、正直、「公教要理」そのものより、

『新約聖書』の方に関心が強かった。

  だが、生粋のカトリック信者にとっては、「公教要理」は、カトリックへの

普遍的な入門書であり、かつ大切な”教義本”でした。

  まさに、宗教においても、この”基本”を大事にすることこそ、大切だと感じ

ます。

 その意味で、クッシング枢機卿もヨハネ23世も、何よりも、この「基本」

大切になさった宗教者だった思うのです。 【つづく】                                            

 

 

 

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