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2012年10月23日 (火)

山陰・心の旅(二.松江編)

  松江に初めて足を降ろした時、私は、そこを、まるで「宝石」のような街

だ、と感じました。

 

  それは、6年前、岩国市を訪ねた時の印象に似ていました。つまり、松江

(市の人口、ほぼ20万人)は、決して大きな街ではないけれど、非常に風情

があり、訪れた人の心を癒すような落ち着きと静謐さがありました。

(*下の写真は、松江城)

       Photo

  松江と言えば、われわれは直ぐ、小泉八雲(ラフガディオ・ハーン:1850~

1904)のことを思い出します。 

  「松江を愛した明治の文豪」と評される彼は、松江の美しさや素晴らしさを、

誰よりも深く理解した人でした(*下の写真は、八雲とセツ、それに長男の

一雄〔かずお〕、並びに旧小泉八雲邸の玄関と邸内の居間)

   Photo_2

           Photo_3


           Photo_4
 

  そのハーン(あるいは、ヘルン)を通して、松江と深い縁があるのが、私の

ふるさと・熊本です。 

  ハーンは、冬の寒さ厳しい松江を去って、熊本の第五高等学校(現・

熊本大学:下の写真)に移る時、熊本を、とても温かく住み易い所だと予想

していたようです。 

  しかし、夏は暑さ厳しく、冬は、雪こそ、余り降らないものの、結構、寒冷

な熊本に、些か辟易したことでしょう。正直、申し訳ない気がいたします。

  それに、当時の熊本は、「軍都」として近代化の真っ只中にありましたので、

ハーンは、その鋭敏な感受性からして、熊本に反撥さえ感じたことでしょう。

              Photo_5

  松江の話から、少し外れて恐縮ですが、ハーンは、熊本に、明治24(1891)

年11月から、明治27(1894)年10月までの3年間、滞在しました。彼は、同校

では、英語とラテン語を教えました。 

  因みに、彼が熊本を去った後、同校に英語教師として赴任してきたのが、

かの有名な夏目漱石(*本名、夏目金次郎)です。

  この後、ハーンが東京帝国大学の英文科の教授を退いた後、その後任に

選出されたのも、実は、夏目漱石でした。

  その意味で、二人は、たいへん深い縁がありました。


  小泉八雲に詳しい西川盛雄氏(熊本八雲会会長、熊本大学名誉教授)の

言によりますと、旧来、お雇い外国人の授業でのテキストは、欧米の古典的

な小説、評論などで、そのスタンスは啓蒙的で西洋優位、つまり「上から目

線」の視点でした。

 

  しかし、ハーンは、まったく違っていました。 

彼は、授業では、固定したテキストは使わず、事例を身近な地名や人名を

用い、語や慣用句の記憶を促すために、その語源や神話的な謂(いわ)れ

を、多く紹介しました。

 

  そうすることによって授業を活性化し、生徒の英語学習への知的興味を

喚起していたとのことです。

  きっと、生徒たちは、胸をワクワクさせながら、ハーンの言葉に耳を傾けた

ことでしょう。 

  彼の授業の進め方や、その内容には、120年という長い歳月を超えた“新し

さ”と“豊かさ”が感じられます。

 

  この授業の在り方は、彼が1年と3ヶ月間勤めた松江中学でも、ほとんど

同じだったのではないでしょうか。 

  また、彼の日本での創作活動の原点は、松江で縁を結んだ夫人、セツと

の邂逅にありました。

  松江をこよなく愛したハーンは、同地を、「神々の国の首都」と名付けました。

 (*下の写真は、松江大橋) 

      Photo_6

彼は、当時、松江市民に「ヘルンさん」と呼ばれました。 

  それは、当時の松江市の役人が、彼を人々に紹介する際、英語読みでは

なく、むしろドイツ語読みで、そう呼んだことに由来します。 

  因みに、ハーンが、松江を「神々の国の首都」と呼んだ背景には、当時、

彼が熱心に読み耽っていた『古事記』と、彼が心から愛した出雲にちなんだ

ものと思われます(*下の写真は、松江城内・堀川めぐりの遊覧船)

            Photo_7

  英語教師時代、その彼が肺炎に罹ります。この時、献身的に彼の身の回

りの世話をしたのが、旧松江藩士・小泉湊の次女「セツ」でした。 

  解説(*ブログ「小泉八雲」)に依りますと、ハーンは、セツが英単語帳を

作り、必死に英語を覚えようとするひたむきな姿に感じ入りました。 

  そして、セツから色々な民謡を聞いたり、一緒に市内を散策するうちに、

次第にセツに心を奪われ、彼女に求婚したのです。

 

  彼は、念願の「帰化」が認められ、「小泉八雲」と改名しました。

「八雲」という名は、セツの親戚が名付けました。

  無論、その謂れは、「八雲立つ  出雲八重垣  妻籠みに  八重垣作る 

 その八重垣を」という須佐之男命の歌に基づいています。



  まさに、この出雲地方(松江を含め)は”縁結び”の場所として、日本一

の所なのかも知れません。

  と申しますのは、ハーンとセツを通して、まさに「西洋」と「東洋」を、深く結

びつけたのですから。・・・・

  私が松江に感じた印象は、その”優しさ””奥ゆかしさ”でした。当地には、

どこか京都に通じるような洗練された美しさ、それに気品といったものを感じ

ます。

  ある意味、日本の美しさの「原型」の一つが、松江にはあるのではないで

しょうか。

  私は、ハーンが松江を愛した意味が、実際に当地を訪ねてみて、少し解

かったような気がします(*下の写真も、松江大橋) Photo_8
  近代化や文明化は、巨大さやスピード感、それに便利さ「画一化」によって

成り立っています。

  しかし、松江には、出雲同様、絶えず伝統的な文化を育み、それを大事に

しようという趣きが感じられます。また、同地には、適度の”不便さの効用”

といったものも存在します。

  これは、大都会に住む日本人が忘れつつあるものなのではないでしょう

か。 (*下の写真は、宍道湖に臨む、かつての石作りの灯台:

      写真は、ブログ「Tor の好奇心日記」より拝借 )  

 Photo_9

 現代文明や現代生活に疲れ果てた人は、是非、一度、出雲や松江を訪ね

られるといいでしょう。きっと、何か〝大切なもの”を得られると思うのです。

  ほぼ120年前、愛すべき松江に住んだハーンは、きっと、当時の欧米文明

に疲れ、何か”違ったもの”を求めていたことでしょう。

  それを、彼は、この松江の地で発見したのです。

(*下の写真は、松江祭の前夜祭・鼕〔どう〕行列)

         Photo_10


 1884年、アメリカのニューオリンズで開かれた万博で、ハーンは、その中

「日本館」に足を止めました。

  そこで、彼は“東洋の神秘”に興味を持ったと言われます。



  さて、この“東洋の神秘”は、すべて暴かれてしまったでしょうか?

私は、決してそうは思いません。むしろ、この“東洋の神秘”は、今も健在

だと思うのです。

  今日、日本の中でも、この“東洋の神秘”に目を向け、それを云々する人

は、決して多くはないでしょう。

  しかし、日本に存在する”東洋の神秘”の素晴らしさは、世界に通用する

ものだと感じます。

  実は、そのことを私たちに教えてくれたのが、ハーンだったと思うのです。

その彼が愛した松江の背景にあるのが宍道湖です。

  これにつきましては、次に譲りたいと思います。 【つづく】

 

 

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