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2012年10月 4日 (木)

エッセイ「心のままに」(24)

 出生(=誕生)の意義

 

  人は、自己の魂を救い、かつ他者(ヒト)の心を救うため

に生まれてくるのではあるまいか。 

  “救霊”こそ、出生(=誕生)の意義であると思う。 

人間の「存在」には、必ず意義がある。

 

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 人が、意味も

無く、この世に

存在することは、

有り得ない。



  人間が「霊的

存在」である以

上、この世で、

その霊魂を

浄め、高める

ことが求められる。

  人間は、死んで「霊」になるのではなく、

むしろ、生きていても、立派な「霊」なのだ。

 

 その霊魂の浄化や高揚を通して、人は、魂の救い

(=救霊)へと至る。


  私たちは、生涯を
通して、更なる“救霊”を求める。 

 何故なら、この未完の行為こそ、私たち人間の「出生の 

意義」であるからだ。

      Photo_15

  「一所懸命」




  今日、よく言われる「一生懸命」は、かつては、「一所懸

命」でした。

 つまり、”自分の土地を守り抜く”という意味から派生した

ものでした。これは、皆さま、ご存知の通りです。


  ところで、何かに夢中になると、人は「時空」の存在を

忘れます。

 今、何時(いつ)なのか、自分は今、一体どこにいるの

か、一瞬、分からなくなるのです。

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 一種の「没我

の境」とでもい

いましょうか、

脱魂状態のよ

うな一瞬があ

ります。

 それは、一心

不乱とでも申

しますか

「無心」の境地

でもあります。

 まさに、主客が

一体化した瞬間とさえ、言えるかも知れません。


  人が、或る事に意識を集中して、何かに「一所懸命」に

なる時も、似たような状態になります。それは、まるで、

“時が止まった”ような瞬間なのです。

  携帯電話などが普及する現在、私たちは、容易に

”ながら族”になれます。

 でも、ひと事に「一所懸命」になることも、極めて大切で

はないでしょうか。

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  必ず、道は拓(ひら)ける


  どんなに暗中模索のような状態にいても、必ず、道は拓

ける。

どんな苦難の中にいても、必ず、道は拓ける。

  基礎を深く掘り下げ、堅固なものにすればする程、高い

建物が築けるものだ。

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 苦しみの度合

いが大きければ

大きい程、それ

を克服した時の

喜びも大きい。

 どんなに見捨

てられたような

状況の中にい

ても、必ず、

道は拓ける。

  それを信じて、

生きて行こう。

 今、向こうから、光が近づきつつあるのが、僕には見え

る。  【つづく】

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