フォト
2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« エッセイ「心のままに」(19) | トップページ | 本日の痛快ブログ(3) »

2012年9月25日 (火)

エッセイ「心のままに」(20)


    永遠の未完成

 

  学問も人生も「永遠の未完成」である。

人間の人生において、”完成”ということは、あり得ない

のではなかろうか。



  いや、むしろ永遠の未完成であるがゆえに、

人は終生、それこそ、最後の一瞬まで、精進できる。

  そして、その”精進の過程”に、無上の喜びが存在する。

その意味で「永遠の未完成」こそ、われわれ人間に

とって、一つの“救い”なのだと思うのだ。

   Photo







  愚直な努力



  世の中に、要領のいい人は、多い。

けれども、真に愚直なまでの努力をする人は少ない。

  とりわけ近年、日本人の美徳とも言える「努力」が軽

視される傾向がある。

 Photo_3

 「最小の努力で、

最大の利益を」と

いうのが、現代の

風潮のようだ。

  しかし、いかに

投機が盛んで、

ギャンブルが持

て囃される現代

でも、忘れては

ならない徳がある。

  その主要な一つが「努力」なのではあるまいか。

時には、人間、愚直なまでの努力が必要だ。

  なぜなら、これこそ、人間性の根本だと思えるからだ。

       Photo_4



  基本の大切さ



  世阿弥は、「初心、忘るべからず」と言う。

確かに、常に、この思いを忘れてはならないだろう。

  Photo_5
 また、「上手は、

下手の手本。

下手は、上手の

手本」とも、彼は

言うけれど、これ

も、下手だった頃

の「初心」を忘れ

てはならない、と

いう警句でもある。

  だが同時に、この

二つの言葉は、

「基本の大切さ」

強調したものでは

あるまいか。

 何事につけ、われわれは、

「基本」から出発するけれど、

ある程度上手になると、

つい技巧に走り、手を抜いてしまう。





  しかし、そうし

て表現されPhoto_7

ものが、どんな

に表面的に

しくても、何故

か、人の心を

打たないのは、

明白だ。

  何故なら、

技巧のみに走

った作品は勢い、

「自己満足」

陥り、自ら“感動

の喜び”を忘れて

いるからだ。



  例えば、人間の

書く「字体」がそうだ。

 われわれが、基本

に忠実に、心を込めて丁寧に書いていくと、誰が書いて

も、その字は美しい。

 その美しさの中に、われわれは「基本の大切さ」に思

至る。

  「初心、忘るべからず」は、まさに「基本、忘るべから

ず」でもあると思うのだ。






  経験の重み



  経験は、学びの宝庫です。

実体験を通して、私たちは、様々な事を学びます。

  人が、かなりの年を重ねて後、死の直前になって学び、

得心することさえありましょう。

  単なる観念は「経験」に勝るものではありません。

     Photo_8
      (*写真は、苛酷な消防訓練の様子)

 

 また、私たちにとって、無駄な経験というのは、何ひとつ

有りません。それぞれに、意味と価値があるのです。

その意味で、経験は、私たちの「先生」とさえ言えましょう。


  だからといって、私たちは、決して経験に囚われる必要

はありません。それに振り回されることはないのです。

  それを冷静に吟味する理性の働きも必要でしょう。

事実「経験から学ぶ」という行為は、まさに理性や悟性

による働きです。

  それを十全に働かせることで、私たちは、真に”経験の

重み”を感じることができるのだと思うのです。 【つづく】

« エッセイ「心のままに」(19) | トップページ | 本日の痛快ブログ(3) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links