エッセイ「心のままに」(18)
心の叫び
あなたには、聞こえませんか?
他者(ヒト)の心の叫びが。―
あなたの理解を求める、
か?
動物や植物た
ちの心の叫び
が。―
求める、彼らの
切なく響く、あの
聞こえません
か?
山や川といっ
た自然の心の
叫びが。―
「開発」の名
で破壊される、
彼らの悲痛な
心の「声」を。
あなたには、聞こえませんか?
あなたを導く天使の心の叫びが。―
あなたが、心の扉を開くのを、
心の傷
この世に、“心の傷”を持たない人は、いないのでは
ないでしょうか。
ここで言う“心の傷”とは、罪意識、負い目、哀しみ、
コンプレックス、怖れ、不安、怒り、嫉妬心などの、世に
「マイナスの感情」と言われるものです。
私たちは、日々、この”心の傷”をなめながら生きてい
るのではないでしょうか。
世に、健康な身体(からだ)を保持する人は多いでしょう。
でも、心が全く健康で、何ひとつ、心に“傷”を持たない人
は少ないと思います。
むしろ、それぞれが、”哀しみ”を背負っていると思うの
の“心の傷”を思
う時、私たちは、
他者(ヒト)の
“心の傷”を深め
るようなことがで
きるでしょうか?
換言すれば、
私たちは、その人
を責めることを言えるでしょうか?
できないと思います。
むしろ、同じ“心の傷”を持つ同朋として、それを和らげ
ようと努める真の優しさが、私たちには、求められるの
ではないでしょうか。
心の牢獄
啄木の言葉ではないけれど、人は誰も、自分の心の中
き、苦しみ、
身悶える。
中は暗く、そこ
光さえ届かない。
でも、実は、その
「牢獄」は、まった
くの”まぼろし”。 自ら創ったフィクション。
あなたは、堅牢な鍵だと思っているけれど、元々、鍵な
ど掛かっていないんだよ。
さあ、出ようよ!
そして、光を目指して、歩いて行こう!
他者の魂に語りかけよう
あなたは、他者(ヒト)の魂に語りかけたことがあります
か?
「魂に語りかける」とは、自ら心を込めて、誠実に相手
の”真心”に語るということです。
私たちが語り、かつ聞く言葉にも、色々なものがあり
ます。
どんなに正しそうに聞こえても、何故か、心に響かない
言葉があります。
日本の総理を始め、政治家や官僚の言葉は、総じて、
聞く者の心に、まったく響きません。
他方、朴訥で、言葉数が少ないのに、何故か、胸に染
みる言葉があります。
無論、語り手だけでなく、聞き手の問題もありましょう。
「馬耳東風」や「馬の耳に念仏」では、どんなにいい話で
も形無しです。
最近、「竹輪耳」という言葉があるのを、初めて知りま
した。
成程、右から入って左から抜ける、という意味です。
今日、日本国民の多くは、特に政治家が発する言葉
に対して、この「竹輪耳」になっているのではないでしょ
うか?
何故なら、野田総理を始め、殆どの政治家が、ウソと
出鱈目ばかり言うものですから、誰もが、まったく聞く耳
を持てなくなっているからです。
正直、かつての自・公政権の担当者や、今、政権で幅
を利かせている政治家たちは、単に詐欺師やペテン師
というより、むしろ純然たる“犯罪者”だと思うのです。
言うまでもなく、「言葉」は、語り手と聞き手との共同行
為によって成り立ちます。
誠実に語りかけるということを、案外、忘れているのでは
ないでしょうか。
相手の耳にではなく、むしろ、その真心(=魂)に、ゆっ
くりと語りかけてこそ、言葉は、真に、その意味と価値を
持つのだと思うのです。 【つづく】
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