フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« R・コシミズ氏の「那覇講演」(完) | トップページ | 松下金融・郵政民営化担当相の死を悼む(前編) »

2012年9月11日 (火)

エッセイ「心のままに」(14)

  死とは、何だろう?



  「死」とは、一体何だろう?

人は、死を怖れ、それを、忌わしいものと考える。

だが、本当に、そうだろうか?


  死には、様々な形があるけれど、

それぞれが、何と厳かなものだろう。

そして、何と勿体なきこと!

  (*写真は、映画『おくりびと』より)

Photo_11


  人は、”死の重み”を知らずして、

「生の意味」を知ることはできない。

死は、決して怖れるべきものでもなければ、

忌わしいものでもない。

  むしろ、私にとっては、神より賜りし、

最大の恩寵(=恵み)のように思われる。





   死への洞察


  パスカル(1623    Photo_18

~1662)にとって、

”生とは、死への

準備”であった。

 彼にとっては、

あくまで、死後

の方が、重要

ったのだと思う。



  Photo_14
 

 

 また、J・J・ルソー

(1712~1778)にと

って、「死とは、

悪しき人にとって

苦しみだが、

善者にとっては、

歓びだ」った。


 

 このような、死へ

の深い洞察が無

ければ、生の充実

は、有り得ない。

  しかし、それは

決して、死を怖れ

ることではない。

死は、生と同様、決して怖れるべき対象ではない。

  むしろ、死への洞察とは、生死を超越した

「安らぎの境地」があることを悟ることだと思うのだ。


13





  「再会」の日まで




  教壇に立つ者の最大の悲しみは、教え子が若くして、

この世を去ることではないでしょうか。

  事故、自殺、遭難死、病死など、その形こそ違え、

若者が亡くなることは、何にも増して、辛く悲しいこと

です。

  彼らの一人ひとりPhoto_15

が、当時の姿のま

まで、今も、私の

心の中で“生きて”

います。

  あの頃から、すで

に30年以上の歳月

が経ちましたが、      

私は、一日たりと、

彼らのことを忘れた

ことはありません。

  これからも、終生、忘れることはないでしょう。

(*写真は、合唱コンクールの本番を前にしての

   仕上げの練習風景)

  ウチダ君、ミヤザキ君、タナカさん、キムラ君、クロダ君、

それにユーさん、あなたたちとは、もう、この世では会え

ないけれど、次の世では、きっと再会できるね。

  僕も、当時に比べて、随分と年を取ったけれど、覚え

ていてくれるかな?


  それに、まだ、この世でやってみたいことがあるので、

もう少し、「再会」を待っててくれますか?

  その「再会」の日まで、どうか、お幸せに【つづく】

  Photo_16

 

« R・コシミズ氏の「那覇講演」(完) | トップページ | 松下金融・郵政民営化担当相の死を悼む(前編) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links