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2012年8月 6日 (月)

孫崎享氏『戦後史の正体』を語る(1)


     皆様へ


 率爾ですが、日頃のエッセイから、少し離れまして、今、最も大事だ

と思えるテーマについて論じたいと思います。

 

  目下、日本国内では、Photo

様々な書物が出版

れています。

 そんな中、実に素晴

らしい著作である

『国家は「有罪」こう

して創る』(祥社)

(*右の写真)を除い

て、最も有益、かつ

センセーショナル

著書は、何と言って

も、孫崎享氏

『戦後の正体』

(創元社)*下の

写真)ではないでしょ

うか。これに、余り

論は無いと存じます。


Photo_3
 ところで、出版元の

「創元社」という名前

自体、余り耳慣れな

い名前だと思われる

かも知れません。

 しかし、私にとりまし

ては、たいへん懐かし

出版社名です。

 

 と申しますのは、

今から40年以上前、

同社は、エーリッヒ・

フロムの名著『自由からの逃走』を、日高六郎氏の訳で世に送り出した、

実に立派な出版社だからです。

  その創元社が今回、誠に素晴らしい快挙を成し遂げました。 

それこそ、この度の孫崎享氏の『戦後氏の正体』の出版です。

 これは、”日本出版業界の金メダル”と言っても、決して過言ではないで

しょう。


  実は、先日、ネット検索をしておりましたら、米田道三氏のご投稿に、

”12分間の動画「孫崎享『戦後史の正体』を語る」”というものがありま

した。

  Photo_4
 内容的に、とても

コンパクトにまとま

っていましたので、

思わず文章化し

みました。

 それは、次のよう

なものです。

  孫崎氏(*右の

写真の人物)が、

こう語り始めます。



  日本の社会は今、

大きく変化してきて

いると思うんですよね。

 「原発(の事故)」が起こりましてから、今まで、権威のある人たちが喋るこ

とは正しい、例えば、東大の先生が喋るとかね、大手の新聞が報道する

か、しかし、それは、どうもおかしいな?と、国民は、感じたわけですよね。


  その感じたことというのが、これは、原発だけに限らずに、外交関係も、

同じようなことが、実は起こっているんではないか、そして、それを見てみ

ますとね、鳩山さんが、「普天間の問題」で、多くの人に批判をされて、

「最低でも、県外」というのが、駄目になった。

  そして、どちらかというと「独立」を志向すると見られた小沢さんが、検察

問題でやられた。

  そして、その後、野田首相になって、どうしようもないぐらいに、アメリカ

追随を明確にしてきた。

                           
  まあ一番簡単なことは”オスプレイの配置”で、沖縄の県民が、ほぼ

全員、反対しているにも拘わらず”オスプレイの配置”について、「日本

側が、どうこう言う筋合いは無い」ということで、非常な対米追随の路線を

出してきた(*下の写真は、v-22  オスプレイ)

 

V22_2

 

  もう一回繰り返しますと、鳩山さん、小沢さんという「自主」は潰されて、

そして、その後に、「対米追随」を、より強くする野田さんというのが出て

きて、その政策を行っていると。

Photo_5
 しかし、この「構図」

というのは、実は、

日本が独立した後、

もう1945年9月2日に、

降伏文書にサインす

るわけですけれども、

(*写真は、文書に

サインする重光外相)

ここから「自主」

「独立」を求める

れと、「対米追随」で

行く路線というもの

が対立して行く

んですね。

  一番簡単な事から申しますと、9月2日に、日本は、降伏文書に署名し

た後、直ぐその後に、米国側は”三つの要求”をしてきたんですね。

  一つは、公用語を、英語にする。 

それから、紙幣をドルにする。 

裁判権は、米軍が持つ。

  これを覆した    Photo_6

のが、重光さん

(重光葵・まもる

:1887~1957:

右の写真の人物)

なんですね。

 だから、米国が

言っているものは、

”不自然である”

ということで、

これを覆した。

  しかし、その

重光さんは、

直ぐに切られて、

これに代わって出てくるのが、

Photo_7
吉田首相(1878~

1967) 。― 


 

  吉田首相

(*左の写真の

人物)は、”もう、

われわれは負け

たんだから、

まな板の上の鯉

のように、向こう

(=米国)の言う

通りにする”という

形になる。

 【つづく】

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