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2012年8月

2012年8月31日 (金)

R・コシミズ氏の「東京講演」(4)

   「人工地震」は、邪悪なマッチポンプ国家アメリカ

のお家芸



  はい、この人(*右側の写真の人物。(「3.11」の)冒頭に出てきて、

「今度の地震は、こんなの初めてだ」と、「大きな地震が、3ヶ所で、

連続して起きた」と。 

Photo_2 「こんな事は、経験し

たことがありません」と、

「初めてです」

言っちったから、

もう二度と出てこない。

 二度とテレビに呼ば

くなった。

 

  つまり、”今度の

地震、こんな地

震は、過去には起きてないよ”と。 

 ”有り得ない地震なんだよ”と言っちゃったから、二度とテレビに

出てこなくなった気象庁の係官です。


 
  はい、NHKスペシャルでは、「3・11津波は、ふつうの津波では

なかった」という発言も、しっかり出てきます。 

  「GPS波浪計に記録された鋭く切り立った津波の波形、こうした急激な

変化がとらえられたのは今回が初めて」 

Photo_3
 「もう正直言って

大変な驚きです。

普通、津波は大き

な水のかたまりな

ので徐々に海面が

盛り上がり、緩や

かなものというのが、

今までの考え―。

   私は、そう思ってい

たのですが、それが

今回緩やかに盛り上がった後、急にこう切り立つように7メートル近くの

津波にまで、もう上がっているんですね。」 

  「これまでのすべりを仮定すると、津波の高さ全然説明でき

ない。


  (コシミズ氏曰く)自然の津波じゃないから、説明できない。
 

だから、地震学者も津波学者も、「人工」と「自然」を分けて考えなさい、と。 

  「勉強し直して下さい」と、いつも言ってる通りに、東大の地震研には、 

「人工地震学科」を創れ、と。 

 そうしないと、勉強をいくらしても意味がない。自然地震なんて、めったに 

起きないんだから。


  ということで、「3・11人工地震」を口にしそうな専門家は、テレビに出さ

れません。 

 もしくは、予め根回ししてシナリオ通りに喋らせる。 

  官邸にアメリカ人のお目付け役を置き、いちいち指図して真相隠蔽を

徹底する。

 

 これが、今までやってきたことですが、やったことは、すべてバレてます。 

  そして、どんどんバラしているのが、リチャード・コシミズ、および、その

一味ですね。皆さん、一味!(会場、爆笑)。



  はい、これが、アメリカが戦後出した「プロジェクト シール」という「人工

津波計画書」の最終報告書(*右の写真)です。 

Photo_4
 アメリカの公文書

に、公然と記載の

ある「核兵器によ

る人工地震・津波

計画」の事実。 

  「アメリカ式地震

を起こす」と明記

した伝単(=ビラ)

が存在します。 

 「地震の次

は、何をお見

舞いしましょ

うか?」と書か

れたビラも、B29

から投下されてます。 

  つまり、地震は


”われわれが起こしたんだ!”と、はっきり言ってるんです、

アメリカが、当時、1944年に。― 


  Photo_51944年に起きた

事が、何で今、起

きないと言えるん

ですか!? 

 ”全く起きない!”

と否定する方が、

おかしい。 

 否定する方が、

頭が弱いとしか

言いようがない。

非常識です。 

  そして、当時、読売新聞も、まだCIAに買収されてない時期だったんで、

アメリカの「人工地震兵器」に言及するような記事も、読売新聞、書いて

ます。それも残ってます。(*右の新聞)  Photo_7




  はい、アメリカのOSS

(*CIAの前身)機密文

書「地震を使った対日

心理戦争計画」(1944)

というのがあって、

それは、具体的にどう

いうことかと言うと、

「日本の周辺にある

海底の地震プレートを

ピンポイントで爆破す

れば、巨大な津波を

発生させることが可

能となる。

 

  目標とすべきプレート周囲8キロ以内に爆弾を仕掛ければ、1年以内に

狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる。」 

   この秘密文書の最後には、「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニック

に陥れることで、神国日本や軍事独裁に不信感を醸成することにある。 

  日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショ

ック療法とも言える」というのが、1944年にあったんです。 

  すでに完成した技術なんです。

 

これが今、60年経って使われないと考える方がおかしい。 

  こうやって、現実のビラを全部、英語に翻訳して、ばら撒いています、

われわれは。こんなものがあるんだよ、と。 

  だから、今度の地震も、「自然だ、自然だ」という根拠は、どこにも無い

んだよ、と。

 

 終戦間際、米軍がB29から撒いた伝単ビラ(*左側の紙)に、「核を

使った人工地震による対日攻撃予告」が明確に記載されています。 

  Photo_8 
 これには、こう書か

れています。

「1923年諸君の

国に大損害を及

ぼした、かの大

地震を記憶して

いるか? 

 米国は、これの

1000倍する損害

を生ぜしめる

地震をつくり得る。 

  かくの如き地震

は2.5t~4t の包みにして持ち込める。 

これらの包みは、いずれも数年間掛けた苦心惨憺の

賜物を2~3秒間内破壊し得るのである。 

  米国式の地震を注目して、この威力が放たれた際、

大地の振動を感知せよ。 

 諸君の家族は崩壊し、工場は消失し、諸君の家族は

死滅するのである。 

  米国式地震を注目せよ―諸君は、それが発生する時

を知るであろう」と。

  Photo_12
     
 トモダチ作戦?・・・・・

         何という欺瞞! 何という偽善!

 

(*That’s  America! これが、アメリカです。)

  【つづく】


   
(編集後記) 本日は、母の介護の関係で、掲載が遅れました。

          どうか、ご海容くださいませ。

 

 

 

 

 

2012年8月30日 (木)

R・コシミズ氏の「東京講演」(3)

  知られたくない「3・11」の真相


  ところで、裏社会が一番困っているのは「3・11」の真相を、世界に知

られることだと思います。 

  「3・11」でも、色々と隠蔽工作はしているんですが、ボロボロに、色んな

事実が出てきてしまっている。 

  そういう中で、われわれがネタとして採用して、攻撃の材料にするのは、

どういった部分かというと、これですね。

 

  『平田オリザ内閣官房参与、汚染水放出は「米政府の

強い要請」』

 

Photo_12
 別に、このアナ

ウンサーが綺麗

かどうかという話

じゃなくて、この

人が言っている

言葉、つまり、

「汚染水放出は

”米政府の強い

要請”である」と

いうのが、ニュースになっているんですね。

 

 (「平田オリザ氏」の写真を提示しながら) この方が何を言ったかという

と、読売新聞の記事ですが、韓国で、内閣官房参与で劇作家の平田オリザ

Photo_135月17日夜、

ソウルで行われた

講演会で、東京電

力が4月に福島第

一原発から低濃度

の放射性物質を含

む汚染水を放出し

たことについて、

「米政府からの強い

要請で(海に)流れ

た」と述べた。

 

  そうですね。これは、

アメリカ政府の要請で流れたんです。 

  但し、この記事が出た次の日に、平田オリザさんは、「そんなことは、言っ

た覚えはない」という風に否定しています。 

「否定しろ」という指令が来たわけですね。



  で、何でそんな事を言ったのかというと、アメリカ政府は、海を汚

したかったから。

 これは、簡単な話で、「3・11」が、実は「人工地震」であって、海底に

埋め込んだ核兵器を爆発さして引き起こした人工地震であるから、その

結果として、海が汚染している、と。

  Photo_14

  その海の汚染を、他の理由をつけるために、わざわざ福島の原発の事故

起こして、そこから、汚染水が海に流れ出したんだよ、という”口実”

つくろうとした。


  まあ、何とキタナイ連中だな、と。

でも、それにしても、余りにも稚拙で間抜けな工作ではある、と思うんですね。

  で、それを、日本政府に強要して”海を汚せ!”と命令した、と。

海が汚れていることの理由づけをしようとしたんですね。


  それから、そういった一連のアメリカから日本政府への指示というものを

するために、アメリカ人のスタッフが、首相官邸に駐在していた!ということ

も分かっています。

  これも、新聞記事になってます。

つまり、地震の最初から、全部、アメリカが絡んでいたんです。



  もう一つ、「裏社会の最大の弱点は何か」というと、福島原発の安全管理

会社が、イスラエルのマグナBSP社であったということ。

  これを、誰も触れない。

メディアも東電も政府も絶対触れないタブーになってる。

  おそらく、このマグナBSPのやったことは何かというと、安全管理では

なくて、冷却装置破壊用ウィルスを送り込んだこと。

  そして、もう一つは、第3号機に核兵器を仕掛けて、小型核爆発を引き起

こして、周辺の環境を汚染したこと。

  この周辺の環境を意図的に汚染したことによって、放射能漏れが発生し

ていると擬装した。

  炉自体に損傷があるようなフリをした。

これが、今回の「3・11地震」、放射能騒ぎの基本であって、すべて後ろ側

に、アメリカが控えている、と。

  イスラエル=アメリカ・ユダヤ人ですんで。


  そして、これが面白いね。

東電にマグナBSPについて、電話で質問した人がいるんです。

そしたら、こう言われた、と。

「安全管理情報は、すべて非開示です。お教えできません」と言われた、と。

  その一方で、マグナBSPは、あっちでもこっちでも、平気で、「うちは、東電

安全管理やってます」と、今でも言ってますよ。

  それを、野放しにしておいて、東電に聞くと、「そんなもん、知りません」と。

「そんなものは、開示できません」という、逃げをうっている。

  つまり、ここが一番の弱点。―

”マグナBSPが、弱点”。

ここを言えば、彼らは絶対にだまる。何もできない。

  だから、皆さん、朝から晩まで、「マグナ、マグナ」と、口の中で唱えてくだ

さい。そのうち、「マグナ真理教」というのが出てくる(会場、爆笑)。 




  実際ね、これが3号

機の爆発。Photo_15

 どう見たって、核爆

発でしょうが。

  しかも、この時、

覚えてますか?

音が3回、鳴ったの。

しかも、「ボン、ボン、

ボン」と。

  水素爆発だったら、

それは、「ポン」で終

わりです。

そうじゃないんです。

「ボン、ボン、ボン」と、3連続音がした。

  しかも、その映像は、日本では、音を消して流された。

一方で、ヨーロッパ(*厳密には、ドイツ)の映像では、ちゃんと音が入って

いた。

 で、その映像は、消されまくった。

  しかし、今では、ついに諦めたらしくて、余り消すと、逆に(アクセス数が)

増えるんで、諦めているということで、普通に見れるようになっています。




  これね。かなりキナ臭い話で、マグナBSPが福島原発に設置した小型

監視カメラというのが、この筒状の物なんですが、実は、これが、核兵

だったという説を唱えている人がいます。

  この核兵器が爆発した。結果として、核汚染が発生した。

しかし、小型であるので、大きな影響は出ていない。


 確かに、周辺は、核汚染している。

そうすると、普通の人は、世間知らずの人は、”ああ、発電炉が損傷を受

けて、放射能が漏れているからだ”と思うじゃないですか。

  そう思わせるための”核爆発をやった”としか考えようがない。

ここが、彼らの一番弱いところなんです。   【つづく】

 

2012年8月28日 (火)

R・コシミズ氏の「東京講演」(2)

   「日中戦争」を仕掛ける悪人たち


   はい、こういうことですね。 

  日本の「影の政府の構成員は、米国金融ユダヤ人だ」ということなんで

すね。 

 Photo
 つまり、日本に

は、「表の政府」

「裏の政府」

あって、われわ

れは、「表の政

府」の〝野田が、

どうした”だとか、

“谷垣が、どうし

た”なんて話を

していますが、

そんなの、

全然、意味無い! 

  彼らは、単なる傀儡であって、本来、何の”決定権”も無い。 

決めるのは、全部、この連中だということなんです。 

  ジョセフ・ナイとか、マイケル・グリーンとか、キッシンジャーとか、こういっ

た連中が、日本の“本当の閣僚”であり、支配者です。 

 

  で、これは、私の力作ですね。 

「グリーン略奪王」、「アーミテージ禿鷹将軍」、「ナイ侵略大帝」、まあ、

本当は、この三人でなくて、二人ぐらい加えたい、という意見もあるんです

が、とにかく、この辺りの連中が、東京に陣取って、野田政権であれ、何で

あれ、「日本の中枢」に命令を下している、と。 

Photo_2
 その命令通りに、

野田が、ヒョコヒョコ

出て来て、意味の

無い「消費増税」

押し通す、と。 

  未だに「消費増

税」が、本当に必要

なのかどうかという

ことを、きちっと説明

できている人はいな

い、と思うんです。 

  消費増税が必要ない、という方であるならば、いくらでも説明はされてい

る。 

 「必要だ」という方の説明は、将来のためだとか、何か、そういう非常に

抽象的な説明でしかない。




  これは、面白いでしょう。
 

  このジョセフ・ナイ(*右の写真)というのはね、どういう男かというと、この

通り、この雑誌の記事に、書いてあるじゃないですか。 

  「小沢一郎逮捕攻撃に失敗した謀略家」。―

 

  「謀略家」のところ Photo_8

の右に、ちっちゃくル

ビがふってある。

  見えます?

  「ワル」と書い

ある。 

  「学者のふりをした

謀略家ジョセフ・ナイ」、

今も鳩山・小沢政権

打倒の黒幕。 

 子分、船橋洋一

(朝日新聞主筆)。

  こいつなんですね、

われわれを苦しめて

いるのは。― 

  この(ジョセフ・ナイ

の)人相の凄く悪い、

ハーバードの教授

だか何だか知らんが、コイツが、日本から搾取する部隊のチーム・

リーダーの一人なんです。



  そして、キッシンジャー。
 

この人もしつこいですね。 

 Photo_4

  いつまでたっても、

日本の周りにウロウ

ロして、“日本から、

どうやったら、金を

掠め取れるだろう?”

ということしか考えて

いない。 

  この人が、緊急来

日して講演をする

って言うんで、僕の

方で、その宣伝文句

に手を加えさせて

頂き、“正しいポス

ター”に変更させていただきました。

 

  結果として「提言:新たな対米上納の構築へ」~日本はユダヤにどう貢ぐ

べきか~これが、本当にキッシンジャーがやりたかった講演のはずです。 

  でも、それを、まさか、やるわけにもいかないもんね、日本人を前にして。 

 で、日本人のバカを呼んできて、何も知らないB層のオジさんたちを呼ん

きて、まことしやかな話をする。まるで、日米が対等なような話をする。




  はい「尖閣問題」の黒幕も、やはり、同じ連中ですね。
 

ジャパン・ハンドラーズの連中です。 

(*スライド画面を指しながら)この下に並んでいる人たちですね。 

 キッシンジャー、アーミテージ、緑色さん(=マイケル・グリーン)、色々いて、 

Photo_5ここに、中国の人(習近平:

右の写真の人物)もいます

ね。この人も、仲間です。 

  このみすぼらしいお爺さん

(=石原慎太郎)も(笑)。

・・・・ 

  みんな、目的は、アメリカ

「破産」を、何とか食い止

めるために、日本か金を 

盗み取ることです。



  そして、尖閣諸島(*下の

写真)の問題を理由にして、

日中間に戦争を起こして

“戦争景気で、アメリカの経済を、何とか救おうとしてるんです。 

  もう、ボロボロなんです、アメリカは。― 

「QE3」をやらなくっちや、どうしようもないんですけども、「QE3」やったら、 

アメリカドルは、もう暴落なんです。 

  だから、やりたくても、出来ない。

( 因みに、「QE3」とは、アメリカの連邦準備制度理事会〔FRB〕に

よる実施が予測されている量的金融緩和政策の第3弾のこと。

  「QE3」の実施予測には、金融緩和による景気の持ち直しに繋がる

との期待も寄せられているが、同時に過剰な資金供給により物価の

上昇を招き、インフレに陥ることも懸念されている。・・「マネー辞典」参照 )


Photo_9

 そういう状況で、唯一、アメリカの疲弊している状態を救えるのは

“戦争”だけなんです。 

  その戦争をやるには、尖閣で、もう一回、衝突が起こることが、一番有難

いんです。

 Photo_6
  だけど、胡錦濤さん 

(*左の写真の人物)は、 

それほどバカじゃない。

 胡錦濤さんは、そういう

アメリカの思惑が分かっ

てるから、日本が仕掛けて

きても、相手にしないと思う。

 で、日本の政府も、自分

から行くわけにもいかない。 

それで、80歳の爺さんが

引っ張り出されて、何か

ノコノコと、「島を買った」

だの何か言ってる、と。 

  これから、恐らく、

”衝突を仕組む”と思います。 

 海上保安庁とか、あの辺も絡んで、向こうの漁船も雇われて、わざとぶ

かってくるとか。もう一回、やると思います。

 (*実際、この言葉通り、一週間後、香港の活動家たちによる不法上陸と

いう形で、顕在化した。)

 それで、戦争に繋げようとしている。

  ところが、そう簡単に戦争は起きない。
 

  まあ、かなり苦しいと思うし、それよりも、アメリカの経済破綻が先

来ると考えています。  【つづく】

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年8月27日 (月)

R・コシミズ氏の「東京講演」(1)

  【はじめに】

 

  先週末「異色のネット・ジャーナリスト」という言葉を目にされた時、

皆さんは、一体、どんな人物を想像されただろうか? 

  そもそも、「ネット・ジャーナリスト」という言葉自体が耳新しく、なかなか

想像しづらかったかと思う。

 

  ここで、私が「異色のネット・ジャーナリスト」と呼ぶのは、知る人ぞ知る、

リチャード・コシミズ氏(本名、輿水正氏:57歳:右下の写真の人物)のことで

る。
R
  私事だが、鹿児島と

熊本にて、同氏の講

演会に参加した。

 講演後、少しお話す

る機会があったが、

身近に接したコシミ

ズ氏は、飾り気の無い、

実に剛毅で、男らしい

人だった。

 

  最も深い部分で感じ

た同氏への思いは、

彼が、その名前が表わす通り、まさに”正しい人”だということである。 

  これほどの人物が日本にいることは、本当に頼もしい限りだ。


  その彼が、8月11日(土)に、東京都池袋で、講演を行なった。

同地は、彼の活動の本拠地だけに、とてもリラックスした感じだった。

 また、動画で観た、その講演内容も、実に心と力のこもった素晴らしい

ものだった。

  Photo_12

  それで、聞き流すだけでは勿体ないと思い、思わず文章化してみた。 

全部を書くことはできないが、自分が大事だと思った箇所を掲載した。

それは、大体、次のようなものである。



≪ それでは、始めます。リチャード・コシミズです(会場、拍手)。 

本日のタイトルは「裏社会が世界に秘匿しておきたいことを明確化し、

彼らの目の前に突きつけよう」というものです。

 

  今日のお話の前に「アメリカ (*写真は、ホワイトハウス)という国

が、一体、どういう国なのか?・・・・ 

 それは「国威高揚のためなら、大嘘も平気でつく、世界

最悪の詐欺国家、ユダヤ・アメリカ合衆国」という認識です。

  Photo_14

  今日の「食糧危機」の問題も含めて、われわれは、誰が、何を目的で

考えて、どう動いているのかを知らなくちゃいけない。 

  「相手」が分からないと、叩きようがない。 

が誰だか分からない、の思惑が分からないで、闇雲に鉄砲を撃っても、 

当たるわけがない。

 

  だから、が誰であるのか? それを、よーく把握した上で、戦争”に臨

もうではありませんか!

  今は、これ、”戦時下”です。
 

 われわれは今”戦争をしています。” 

で、皆さん方一人ひとりは、「戦士」です。

  今日、僕は、皆さんに、こう言ったはずです。 

「国士の皆さん、集まって下さい」と。

  当然ながら、ここにいらっしゃる皆さんは、「国士」です。

勘違いしないで下さい。「国士無双」とか、そういうんじゃなくて(笑)、

日本の民として正しい人たち”のことを「国士」といいます。

  国と世界の事を考えている人が、ここに集まっているはずです。

もしかしたら、統一教会と創価学会の方もいらっしやるかも知れませんけ

れども、今日を境に心を入れ替えて、真人間になって下さい。



  はい、この男が、諸悪の根源ですね。

デビッド・ロックフェラー、97歳。 まだ、しぶとく生きています。

  一体、いつまで生きるつもりだろう?

Photo_13
 で、この男のやったこと

は、素晴らしいことなんで

すよ。

 何が”素晴らしい”かと言う

と、たった一代で、「ユダヤ

権力」を崩壊さしてしまった。

  この人の代で、ユダヤ権

力は、何百年も続いた「世

界支配」を失ったんです。

  素晴らしい(?)後継者です。

”間抜け”という意味でね。

  だからね、彼は今、死ね

ないんですよ。

 このまま死んじゃったら、

ユダヤ社会を潰しただけなんですよ。

  だから、何とか挽回したい。 何とか、汚名を雪(そそ)ぎたい。

だから、必死なんです。「死」を前にして。―

 だから、気違いじみてる。

  多分、部下に対する指示も、もうハチャメチャだと思います。

結果として、われわれが見てると、日本のロックフェラーの手先どもが、

最近やることは、後先かえりみない、非常に知的レベルの低い「工作」で

しかない。

  やれば、その瞬間に、”また、ドジふんでる”というのが見えてしまうような、

非常に間抜けな「工作」しか出来なくなっている。

  つまり、それだけ、親分(=D・ロックフェラー)が焦っている、

ということなんです  【つづく】

 

2012年8月25日 (土)

私の「石橋湛山論」( 完 )

   植草一秀氏こそ、現代日本の「石橋湛山」




   “風雲急を告げる”とは、まさに今日の日本を言うのではないだろうか。 

忍忍氏や高橋博彦氏、さらには真実一路氏や松代氏が力説しておられ

る通り、ACTAの問題は、限りなく重大だと思う。

 

 さて、私は、「私の石橋湛山論」を書きつつ、彼を、傑出した愛国の政治

指導者として、”歴史上の人物”として綴ってきた。

  つまり、すでに“過去の人”として描いていたわけである。
 

しかし、正直、彼を、単に「過去の人」として片付けるのは、大きな誤りで

あると感じる。

 

  というのは、人は死んでも、その“精神”は脈々と受け継がれ、次代に

いて、その”愛国の松明(たいまつ)”を掲げる人が、必ず現われるからだ。



  確かに、石橋湛山氏のご遺骨は今、東京都荒川区内の名刹、善性寺

(ぜんしょうじ*右の写真:写真は同寺の山門)内に埋葬されている。

Photo   そのお墓(*下

の写真)は、洋墓

(具体的には、

様式の中央一基

墓)で、この形で

祀られた首相は、

石橋氏が、「日本

有史」以来初めて

とのことだ(*ブロ

グ「日本の墓」参照)。

  それこそ、日蓮上人

の時代以来の由緒ある古刹であり、徳川将軍家にゆかりの深い名刹内で、

「洋式の墓」とは、石橋氏は、死して後も、何と奇抜でハイカラなことか!

  Photo_8
  ところで、石橋氏の、

日本と日本の民を愛

する精神は、今もまだ、

健在だと思う。 

 そして、今日の植草氏

こそ、まさに石橋湛山の

精神を継承し、体現して

おられるのではないだろ

うか!

  正直、私は、植草一秀氏

こそ、現代日本の

「石橋湛山」だと感じる。

 

 ある意味、植草氏は、この石橋湛山さえ超える人だと思うのだ。

       Photo_4
 
  植草氏は、昨年11月に上梓された『日本の再生』(青志社)*右下の

写真)の末尾で、次のように記 しておられる。Photo_3


   「政府の無駄を省

き、適切な経済復興

政策を実行すれば、

日本経済は必ず

ち上がる。

 

  経済が健全化すれ

ば税収が増加し、

まずは自然増収に

より財政収支が

改善される。 

  日本の財政赤字の

深刻さばかりが強調されるが、財政赤字として問題にすべきは赤字国債

の発行残高391兆円であり、これに建設国債等をあわせて、数字を膨張

させて不安理だけをあおる手法は、極めて悪質である。

 

  3・11震災の復興を契機に、日本のリシャッフル、再生再興をはかると

同時に、適切な経済政策を確実に実行していくことが、日本再生の鍵を

握る。

 

  日本には、再生できる力がある。

 

  その力を萎えさせ、削いでしまってきたのが、これまでの利権複合体に

よる日本政治支配だったことを、私たちはいま正しく認識するべきだ」

(284~285頁)と。

 

  適切な経済政策(あるいは、経済復興政策)が確実に実行される限り、 

日本は必ず再生する、と訴える植草氏の言葉を、心に刻み付けたい。 

  その点からすれば、消費増税は、どうしても阻止しなければならない。 

もし、石橋湛山が生きていたら、彼の経済分析や政治信念からしても 、 

植草氏と、まったく同じ主張を展開したことであろう。

 

  なぜなら、彼にも、国民の生活が第一であり”国民こそが、政治の主人

公である”という不屈の信念があったからだ。 

  湛山が、当時の国民に誓った「雇用の増大」や「福祉国家の建設」は、

まさにそのような視点に立ったものだったと言えよう。


  ところで、湛山が記した色紙(*左の写真)「常不軽」というものがある。
 

これは、「じょう・ふ・ぎょう」と呼ぶ。 

  つまり「常不軽菩薩」の存在を意識した色紙だ。

Photo_6 この一事に、石橋

湛山、日蓮上人

同様、「常不軽菩薩」

尊崇していたことが

分かる。

 

  この常不軽菩薩の

次第は、大体、次の

ようなものである。 

 ≪遠い遠い、想像も

できないほど昔のこと

だが、威音王如来と

いう仏さまおられた。聴く者のそれぞれの求めに応じてさまざまに法を

説かれ、悟りを開かせておられた。

 

  そして、すべての衆生に悟りを開かせてお亡くなりになったが、その

寿命は、とても長かった。 

   この威音王如来がお隠れになり、像法の世になったから、増上慢に陥っ

僧侶が大いに勢力を持っていたが、そこに、常不軽菩薩という菩薩が

現われた。 

  なぜ、この菩薩が、そのように呼ばれたかというと、それは、彼がしてい

”行”によるものだった。

 

  彼は、出会う人ごとに合掌礼拝し、こう言ったのだ。 

「私は、あなたを尊敬いたします。決して、軽んずることをいたしません。

あなたは、菩薩の行をして、仏になられる方だからです。」

 

   ところが、言われた者の中には、仏さまにしかできない授記(じゅき=

仏に成るという証明を与えること)をされたと言って、怒り出す者もいて、

非難するばかりでなく、棒切れで打とうとしたり、石ころを投げつける者ま

でいた。

 

  しかし、この菩薩は、それでも走り逃げ、遠くからなお大声で『あなたは、

仏になられます』と言って、合唱礼拝したのだ。 

  常不軽菩薩は亡くなろうとする時に、威音王如来の説いておられた法華

経を虚空の中で聴いた。そして、すべてを信じたので、先ほど説いたよう

な功徳を得たのだ。こうして、彼の寿命はさらに延び、その後は、衆生に

『法華経』を説いて、悟りを開かせていった。

 

  実は、この不軽菩薩こそ、前世の私なのだよ。私は、常に『法華経』を

信じ、唱え、人のために説いてきたからこそ、早く最高の悟りを得ることが

できたのだ。≫ 

(ブログ「やさしい法華経物語」、参照)

 

  多くの方々がご存知のこの話は、人間の在り方を説いているようで、

実に、含蓄がある。

 

  常不軽菩薩の生き方は、その名の通り、他者を決して〝軽んじない”、

平等感に裏打ちされた、実に見事なものだ。それは、人間の“理想の姿”

とさえ言えよう。 

  そう言えば、石橋湛山は、舌鋒鋭く、時の政府(特に、近衛文麿:1891

~1945:右の人物内閣)を批判した。 

 
 

 しかし、彼は決して、Photo_10

相手を、口汚く罵るよ

うなことは無かった。

  むしろ、至って紳士

で、常に礼節を尽く

した。

 この態度は、今日の

植草氏についても言

えよう。

 

  つまり、両者は、

決して感情的になって、

自分を失うようなことがない。 

 むしろ、常に客観的、かつ冷静で、何よりもフェアー(公正)なのだ。



  因みに、この「常不軽菩薩」について、紀野一義氏(1922~:左下の

写真)の著書『「法華経」をよむ』(講談社現代新書)の中に”すさまじい

Photo_11楽天主義”いう、際立

った名文がある。 

 その言葉は、次のよう

なものある。

 

 ≪今の日本人は、憎し

みには憎しみを返すと

いう型の人間が多いが、

常不軽は、憎しみに対し

て、愛を、尊敬を、信ずる

ことを返した。

 それは、「すさまじい楽天

主義」だと思う。

 

  楽天主義というと人はすぐ、いいかげんさとか、気楽さとか、人の良さと

か、うすのろとか連想するらしいが、楽天主義とは、すさまじいものである。

殺されたって、人を信じ通すという人生観を変えないのだ。

 

  人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってすばらしい。

死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、

徹底的に信じ通すのだ。肯定、肯定、絶対肯定していくのだ。 

  常不軽菩薩は、すさまじき楽天主義者である。

 

  私はこの頃、男というものはどこかすさまじい生き方がなくてはならぬと

思い始めている。すさまじいというと、面も向けられないような修羅の形相

を連想するのだが、そんなのではない。いつも微笑みを浮かべ、一見気楽

そうな顔をした”すさまじさ”ことである。 

 だまされていると知っていても、最後までだまされてやる男のすさまじさ”

ある。 

 悪い奴もおおぜいいるのだと知っていても、やはり人間はすばらしいと

信じ通すすさまじさ”である。 

  子供と遊んだ良寛なんかに見る”すさまじさ”である。いくら流罪になって

も、死ぬとも思わず、法華経を信じ通した日蓮の”すさまじさ”である。 

  常不軽菩薩も、すさまじき男の一人である。≫

(ブログ「山形の地酒処あべ酒店」、参照)


  広島の原爆で、家族全員を失い、自らも、陸軍工兵士官として、苛酷極

まりない戦争体験をした紀野氏だけに、激しい気迫の伝わる名文だ。

 

  このすさまじい生き方、すさまじい楽天主義という点で、湛山や植草氏は、 

常不軽菩薩に連なる方々なのではあるまいか。

  皆さんは、植草氏の毎日のメルマガやブログの更新に、この”すさまじさ”

があるとは感じられませんか?

  正直、私は、同氏の毎日の周到な更新に、鬼気迫るほどの”すさまじさ”

感じるのです。

  そして、この”すさまじさ”の根底にあるのは、「為せば成る  為さねば

成らぬ 何事も 成らぬは 人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)の精神なの

だと思います。 

 

  また、石橋氏と植草氏は、様々な問題や課題に対して、あくまでも真剣

対処します。

 しかし、その真剣さ、真摯さの中にも、常に常不軽菩薩のような明るい

楽天主義、つまり紀野氏の言われる”すさまじい楽天主義”が息づいて

いるように思うのです。 

  それはまた、不屈の“希望の精神”でもあります。 

  このような共通性の中に、私が植草氏を「現代の石橋湛山」と確信

する所以があるのです。 【了】

  (後記:私の「石橋湛山論」をご愛読くださいまして、誠に有難うござい

       ました。

        来週は、異色のネット・ジャーナリストのお話を連載いたし

       ます。どうか、ご期待ください。)

 

 

 

 

 



 

2012年8月24日 (金)

私の「石橋湛山論」(11 )

   「国民本位の政治」を求めて


 
   わが師、清水幾太郎(1907~1988:*右の写真の人物)は、1976

(昭和51)年、「ロッキード選挙」と言われた総選挙の後、新聞の時評で、

「政治家の進退」について、次のように論じた。

Photo_10
   「或る消息通にいわ

せると、もし或る時期

に三木首相が綺麗に

身を引いていたら、

その進退を潔いと感じ

る有権者が多く出て、

ロッキード事件があっ

ても、自由民主党は

大敗を喫しないで済ん

だであろうという。

 なるほど、そういうもの

かも知れぬ。

 

  政治家の進退の模範

といえば、十目の視るところ、石橋湛山と相場が決まっている。

  昭和32年2月23日、成立後63日で、彼は内閣を投げ出した。

 

  23日夜、医師から2ヶ月間の静養を勧められたというだけで、必ずしも乗

り切れぬ事態ではなかったのに、また、辞職に反対する人々が周囲にいた

のに、彼は『石橋親書』を残して、直ちに台閣(=内閣)を去った」と。 

 

  その『石橋親書』とは、実は次のようなものである。湛山は言う。
 

  「友人諸君や国民多数の方々には、そう早まる必要はないというご同情

あるお考えもあるかもしれませんが、私は決意いたしました。 

Photo_11  私は新内閣の首相

として、最も重要な予

算審議に一日も出席

できないことが明らか

になった以上は、首相

としての進退を決すべ

きものと考えました。 

  私の政治的良心

従います。 

 また万一にも、政局不

安が、私の長期欠席

ため生ずることがありましては、これまた全く私の不本意とするところで

ります。

 

  私の総裁として、また首相としての念願と決意は自由民主党にありまし

ては、党内融和と派閥解消であり、国会におきましては、国会運営の正常

化でありました。 Photo_12


  私の長期欠席が、この

二大目的をかえって阻

害いたすことになりまし

は、私のよく耐え得る

ところではありません。

  どうか、私の意のある

ところをおくみとり下さい。

くれぐれも党内融和の

に立ち、党員一致結束し

て、事態の収拾をお願いしたいのであります。 

 (*右上の写真は、2007年に、中国の温家宝首相が日本を訪問し、

       国会議場で、演説をしているところ。)

  折角のご期待にそえないことは残念このうえありませんが、私はこれが、 

このさい私として、政界のため、国民のために、とるべき最も正しい道で

あることを信じて決意したところであります」と。



  確かに、彼の入院中、議会では予算が審議されていた。首相としてそれ

に参加できないことは、責任感の強い彼に出来ることではなかった。

 湛山にとって「政権」とは、あくまで国のために尽くす

ための手段であり、決して目的ではなかった。

Photo_15 同時に、常に「国民

本位」であった彼は、

国民のためにあるべき

政治を遂行できない首

相というものを認める

わけにはいかなかった。

  その点で、湛山の引き

際の見事さは、吉田茂

や三木武夫(*左の

写真の人物:1907~1988)

のそれとは根本的に

っていた。

 両者間には、政治観

違いだけでなく、一人の

人間としての”人格”差も大きい。

 湛山には、それだけ「公」の精神があった。



  また、湛山(*右下の写真の人物)は、「政治家」について、次のように

語っている。 Photo_16

「私権や私益で派閥を

組み、その頭領に迎合

して出世しようと考える

は、もはや政治家で

はない。

  政治家が高い理想を

掲げて国民と進めば、

政治の腐敗堕落の根

は絶える」と。

   重病の床にあって、

湛山は、政治理念の

高揚を求め続けた。

 この言葉は、今日においてこそ、いっそう強く求められよう。  【つづく】

Photo_17

2012年8月23日 (木)

私の「石橋湛山論」(10 )

  「予言者」としての石橋湛山


  ここでは、石橋湛山の「予言者」性について論じたい。

 福岡克也氏(元立正大学教授)によれば、湛山は、1959(昭和34)年 

の『立大学経済学季報』に掲載された論文「明日の経済学」の中で、

「一天四海皆帰妙法」(一天四海、皆妙法ニ帰ル)という仏教の教えを

説いている。

Photo_3  福岡氏の考えでは、

「妙法」とは自然、

あるいは自然の摂

理ということである。 

  自然の摂理とは、

即ちエコロジーで

あり、すべての物が、

皆エコロジーに帰す

る、という意味に解

される。

  湛山はこの論文で、

朝鮮戦争後の東西

冷戦の激化と世界

経済の混乱を憂え、彼は、次のように述べた。

 

  「資本主義と社会主義・共産主義には、両者それぞれに長所や欠点が

ある。 

 Photo_4
  だが、武力をもって、

一方が他方のイデオ

ロギーを強制しない

ならば、両者の欠点

は排除せられ、おの

ずから互いに長所を

もって相補うに至り、

ここに、第三の生活

理は生まれるだろう」

と。

 

  彼はここで、資本主義

と社会主義・共産主義

が敵対するのではなく、

東西両陣営が融和して「平和共存」に努めることの必要性を強調して

いる。 

  さらに湛山は「明日の経済学は、新たなる生活原理を究明するもので

なければならない」と説く。 

  そして、その締めくくりに、一天四海皆帰妙法」の教えを置き、このエコ

ロジー思想を経済学に結びつける。

 

  加えて、自然に帰って自然と調和するような生活原理こそ融和の経済で

あり、明日の経済学なのだと説く。 

Photo_5
   福岡氏の言を俟つ

までもなく、現在、

かけがえのない地

球環境の汚染や破

壊が進んでいる。

 

  確かに、湛山の言

う通り、こうした課題

を人類が解決してい

くためには、「エコロ

ジー」に帰っていか

なければならない。 

  そして、我々の経済をエコロジー化していく基本的な心構えが、湛山の

言う「一天四海皆帰妙法」の精神である。

 

  湛山は1959年の時点、つまり今から53年も前に、すでに今日の世界情

勢や地球環境を含めた我々の生活の在るべき姿を示唆していた。 

    だが、湛山は、この「一天四海皆帰妙法」を、当時、偶然に思い付いた

わけではない。 

 実は、その頃から、すでに47年前の明治45(1912)年に、彼は、「自然に

反(かえ)れ」という論文の中で、その萌芽とも言うべき考えを提示している。

 まさに、稀代の「予言者」としての湛山を見る思いだ。

  Photo_7
  湛山によれば、「自

然に反(かえ)れ」と

は、すなわち「本然

の性に戻れ」というこ

である。 

  換言すれば、普段

人間が求めているも

の、例えば金銭や財

物といった物への過

度の欲望を捨てて、

改めて根源的な「目

的」を確立しなけれ

ばならないということである。

 

  では、その目的とは、具体的に何かと言えば、それは、自然調和」に他

ならない。 

 それゆえ、湛山の考えを敷衍すると、自然を破壊するのではなく、むしろ、

「自然と調和する」という目的を確立して、それに沿ってライフスタイルを変え

ていかなければならない、ということになる。



  福岡氏の言にもあるように、人間は「エコロジー」を、自らの行動を律す

る“基準”として考えなければ、道を誤ってしまう。 

Photo_8
 それは、かつての足尾

銅山(*右の写真は、

田中正造:1841~1913)

や水俣、さらには今日の

福島原発などで実証され

ている。

  もし、今日、湛山が生

きていれば、明らかに

「反原発」や「脱原発」を、

様々な観点から、説得力

たくましく唱えたことだろう。



  彼は、このように、かなり

昔から「自然に反れ」と訴え

「一天四海皆帰妙法」と述べたわけだが、彼は、まさに、日本だけでなく、

世界の将来を予見した、卓越した「予言者」だったとも言えよう。

 

  私はそこに、彼の世界観や歴史観、それに人間観の”広大無辺さ”を感じ

るのである。  【つづく】
 

2012年8月21日 (火)

私の「石橋湛山論」(9 )

  「平和共存・平和競争」・・・・真の意味でのプラグマ

ティスト


  石橋内閣は、1956(昭和31)年12月23日に発足した。

(*右下の写真)

 この船出を、日本国民は、心から歓迎した。

  国民の期待に応えるべく、石橋湛山は、同年12月、首相として、

東京日比谷公会堂において、全国遊説の第一声をあげた。

 そこで彼は、次の

「五つの誓い」を表明した。

 つまり、Photo_2

1.国会運営の正常化

2.政界および官界の

  綱紀粛正   

3.雇用の増大      

4.福祉国家の建設 

5.世界平和の確立、

  である。

 

  実は、第5番目の

「世界平和の確立」こそが、

湛山の最大の課題であった。

Photo_4

  それを、裏から言えば”自主独立外交の推進”ということである。 

  Photo_3
 それは、既存の

「日米軍事同盟」

に左右されない

視座である。 

 当然、この視点は、

根っからの英米主

義者である吉田茂

には、まったく

見られない。

(*上の写真は、日比谷公会堂)

  “独立不羈の精神”こそ、吉田ではなく、湛山が堅持したものである。

 

  また、湛山の中国への愛情と関心は、政治家、ジャーナリストの誰より

も古く、かつ首尾一貫していた。 

Photo_5
  湛山は、中国人の

「ナショナリズム」を

じゅうぶん理解した

代表的日本人とい

っても、決して過言

ではない。

  中国問題に当たる

人として、彼以上の人

物は考えられなかった。

*右の写真は、1963年

10月1日に、毛沢東主席

を表敬訪問した石橋夫妻)

 

 もし、そんな彼に類する人を、敢えて挙げるならば、それは、吉野作造

博士( 1878~1933 *下の写真の人物であろう。

Photo_7
  湛山の言葉で言えば、

中国を取り込んだ「平和

共存・平和競争」でな

れば、もはや先進国の

経済も”持続可能な

発展”は保障されない。 

  この言葉は、今では、

陳腐に聞こえよう。 

 だが、彼のこの主張は、

日中復交に先立つこと

16年、今からすでに

56年も昔のことである。

 

  むしろ、日中問題が極めて厳しい今日、我々は改めて石橋湛山の視座

から、日中間の問題を冷静に見つめ直す必要があるのではないだろうか。 

  とはいえ、それは決して、中国に無条件に〝平伏する”ことではない。 

あくまで、言うべきことは言わねばならない。



  1961年に、湛山が平和憲法の精神を堅持して、「日中米ソ平和同盟」を

提唱したのも、地球破壊の可能性をはらむ核戦争を回避して、共存共栄

の世界の建設を求めたものだった。

 

  長幸男氏によれば、民主主義・自由主義・平和主義を標榜した湛山の

思想は、ひとまとめにすれば”個人主義”である。 

  ただし、個人主義といっても、今の日本にはびこっているエゴイズムや

ナルシズムではなく、徹底した”インディビデュアリズム”であり、かつ

「人類主義」でもある。

  つまり、あらゆる人間は、個人としての人格的尊厳と、それにふさわしい

人間としての“生きる権利”を持つべきだという考え方である。

 

  そういう意味では、湛山は、18世紀の啓蒙主義やフランス革命以来の

近代思想を受け継いでいる。 

  換言すれば、湛山の理論や政策は、その時々の問題に応じて”人間の

立場に立ったら、どういう解決方法がいいか”ということを基準にしている。 

  そして、彼にとってイデオロギーは、あくまで人間に奉仕するものである。 

決して、その反対ではない。



  「有髪の僧の宗教家たるの志」を捨てたことのない湛山は、その認識

方法においては、ジョン・デューイ(*右下の写真の人物:1859~1952

田中王堂の流れを汲む、真の意味でプラグマティストだった。

Photo_8
  とりわけ「言論の自由

こそ民主主義の要であり、

それは何物にも代えがた

ものである」ということ

こそ、湛山が命を賭けて

主張し続けてきたものだ

った。 

  この信念を彼は、生涯

を通して守り抜いたと言

える。

 この彼の不屈の「信念」

こそ、今日のアメリカ隷属政治を見慣れた我々が、石橋湛山から真に

学ぶべきものではないだろうか。 【つづく】

2012年8月20日 (月)

私の「石橋湛山論」( 8 )

   吉田茂の信仰心



  それでは、石橋湛山の法華経信仰に比して、吉田茂はいったい、いかな

信仰を持っていたのだろうか? 

  それについての考察は、彼の精神性の深浅を知る上で貴重な参考となろう。



  余り世間には知られていないことだと思うが、吉田茂は、カ トリック だった。
 

だが実は、彼は死後、カトリックの洗礼を受けた。 (*下の写真は、東京カテ

ドラル・関口教会)  Photo

 それは、先に天

に召された雪子

夫人を、彼が心底

愛していたがゆえ

行為かとも思う。 

 なぜなら、牧野伸

(のぶあき*下の

写真の人物:1861

~1949 )愛娘

(長女)であり、

大久保利通の孫娘

でもあった雪子夫人

は、敬虔なカトリック

信者だったからだ。 

  吉田は、信仰を同じくする者でないと、後の世(天国)で会い見(まみ)

えることは出来ないとでも思ったのかも知れない。  


  Photo_3
 生前、彼がカトリックの

洗礼を敢えて受けなかっ

たのは、「尊王の政治家」

としての彼のプライドが許

さなかったからだろう。 

  それに何より、彼には、

カトリックの政治指導者

(=首相)が、戦後間も

ない日本で認知される

思えなかったに違いない。

 そこには、吉田の冷徹

な計算あったと思われる。

 

  実は、あの麻生太郎氏が、カトリックとして日本の総理大臣となった、

唯一人の政治家である。 

 「フランシスコ」という洗礼名を持つ太郎氏の受洗(*多分、幼児洗礼だと

思われるが)こそは、まさに同氏祖母・吉田(旧姓牧野)雪子が、麻生家に

蒔いた信仰の種によるものであろう。


  だが、彼の祖父・吉田

茂の信仰は、Photo_4麻生太郎

氏のそれのような家庭内

の信仰に基づく“継承的

(あるいは、伝統的)”

なものではない。 

 また、心底、深い葛藤

の末に到達したものとも

思えない。 

  むしろ、吉田は、石橋

湛山のような真剣な信

仰とは対極的な“白けた”

パーソナリティの持主

だったように感じる。

 それを、人は、”ニヒル”

と感じるかも知れない。

 

 しかし、私には、それは、単なる”無感覚”としか思えない。無感覚で、

心に”神や仏がいなかった(=まことの信仰が無かった)”がゆえに、

吉田は、石橋湛山や鳩山一郎だけでなく、後世のわれわれ日本国民をも、

シレーッと裏切れたのと思うのだ。 

 正直、吉田には、信仰に伴う真摯さや真面目さが、私には、殆ど感じら

れない。

 

 もし、彼が深い洞察と改心の末にカトリックへの入信・受洗を願ったので

あれば、首相の座を去った後、大磯に隠棲していた時にでも、じゅうぶん

出来たはずだ。 

  だが、彼は、この人生の“実りの秋”に受洗したわけではない。むしろ、

臨終期の、まったく意識不明の状態の中で、受洗したと言われている。

 この臨終間際の受洗の司式を担当したのは、若き日の浜尾文郎司祭

(のちの枢機卿:1930~2007 )である。 

  Photo_5
 ところで、死の直前、

入信し洗礼を受ける

ことを、信徒(信者)間

では、よく冗談に、「天国

泥棒」と言う。 

  その意味で言えば、

吉田は、「天国大泥棒」

(?)ということになろう。

 明確な意識がある内に

受洗したわけではない

からだ。

   正直、「死後の受洗」

など、実に虫のいい話

だと思う。

 入信や改宗には、それなりの決断を要し、時には、多大の犠牲を伴う

ものだ。

  だが、このような一事に、私は、吉田茂の本質的な”いい加減さ”がある

と感じる。その点で、彼は、石橋湛山の宗教性や精神性に比べて、まさに

「月とスッポン」だと思うのだ。 

  Photo_6
 このような軽薄、かつ

思想性の浅い指導者を

珍重するところに、特に

日本人の絶ちがたい

”軽薄さ”があると思う。 

  かつての小泉純一郎

と日本国民の関係を

れば、一目瞭然では

いか。―


 実は、岸信介(*下の

写真の人物)も、吉田

と似たところがあった。

 かつての政治評論家

細川隆元の言によれば、

岸は、”安保条約が通るか通らないか”ということが、非常

に気になり、藤田小女姫(こととめ)に訊ねている。 

Photo_9
 この問いに対して、

藤田は答えた。 

「断固としておやん

なさい。通ります。

 その代わりに、通っ

た後、あなたの内閣

は、長くはもちません

よ」と。 

  それ以来、岸は、

藤田の信者となる。

 岸は、統一教会や

創価学会との関係が

密であったが、判断に

窮した時は、藤田小女

姫に頼ったのである。

 

  だが、藤田自身は後年、ホノルルで息子と共に、息子の友人によって射殺

され、部屋を燃やされた。 

 ちょうど、私が住んでいたコンドミニアムの最上階(ペントハウス)での惨劇

だった。


  信仰は、確かに、個人の自由である。吉田が、どんな形で受洗しようと、

岸が誰を信じ、かつ頼ろうと、それは、政治そのものとは、まったく関係ない、

と考える人も多いことだろう。

 だが、私は、この程度の精神性や宗教心である以上、真に“独立不羈の

政治指導”などできないと思う。

 

  吉田はかつて、白馬にまたがって、外務省に出仕したという。

彼は、「自意識過剰の男」だったと思える。

  だが、岸も中曽根も小泉も、まったく同じではないか。このような人々は、

真の謙遜さとは無縁である。そのような彼らに、真に国民の立場に立つ

政治など土台無理だと思うのだ。 むしろ、アメリカ隷従型の「売国政治」

こそが、彼らの本領だったと言えよう。

  因みに、吉田茂の愛読書は、岡本綺堂(1872~1939)の『半七捕物帳』

だった。

 この作品は、江戸情緒溢れる描写で、長く人気を得たと言われる。      

あるいは、池波正太郎(1923~1990)の世界に通じるものがあったのかも

知れない。

  だが、この事実は、「マンガが趣味」という彼の孫に通じる、ある種の

“軽さ”とは言えまいか。

 多分、吉田は、哲学や経済学、さらには政治学などを、真正面から真摯に

研究したことなどなかったであろう。

  その点では、彼は、ウィンストン・チャーチルはおろか、石橋湛山などと

本質的に違った「政治的人格」だったと言えよう。


 
  大久保利通  vs  西郷隆盛、吉田茂・岸信介 vs  石橋湛山。―

 ある意味で、前者は「勝者」である。

だが、彼らは後者に比べ、本質的に宗教とは無縁で、真に謙遜な信仰心を

持ちえず、万物への畏敬心のない「無明」の人々だったと思う。

 このような“精神性無き”人々を、戦後の日本人は心底信頼し、その結果、

彼らに、したたかに裏切られたのである。 【つづく】

2012年8月18日 (土)

私の「石橋湛山論」(7 )

   湛山と吉田茂

 

 
  湛山と吉田茂が初めて出会ったのは、昭和14年12月12日、清沢洌

(きよし:下の写真の人物:*ブログ『シニア・中高年の「元気が出る

ページ」』より転載:1890~1945)の紹介で、吉田邸においてだった。 

Photo
 だが、戦後、両者間に

共同戦線が組まれる

とはなかった。

 その政治信条や価値

観が、余りにも隔たって

いたからである。  

  湛山は、戦後第一回目

の総選挙(1946年)に、

東京から立候補して落選

する。 

 その際、湛山は、社会党

ではなく、鳩山一郎の

党を選択した。 

  「なぜ、社会党に入らないか?」と人から聞かれると、湛山は、「社会党

には、社会主義というイデオロギーがあって自由がない。自由党は、日本

の政党では、一番自由がある政党だから」と答えている。



   この総選挙で、自由党が第一党になり、鳩山は、念願の総理の座を手中

収めようとした。 

  だが、彼は占領軍により追放を受け、彼の身代わりに吉田が総裁、総理

となり、第一次吉田内閣が成立した。

 

  湛山は、落選者にも拘わらず、民間出身として大蔵大臣に起用され、腕を

振るうが、占領軍に反抗的とみなされて理不尽な理由で追放されてしまう。 

  この時の理由が、GHQ(占領軍総司令部:下の写真)に注がれる国家予

算の3分の1の「縮減策」を、当時の石橋大蔵大臣が大胆に提起したことが

挙げられる。 

  この時、吉田は湛山に対して、「犬に噛まれたと思って、諦めてくれ」と言っ

ている。

 

 何と薄情、かつ心ない言葉だろう。だが、どおってことはない。現実は、

その吉田が、GHQの諜報部(あるいは、直接マッカーサー)に、湛山の

ことを、不当に告げ口していたのだ。

Ghq 

  より具体的に言えば、増田弘氏の著『公職追放論』が、その重要な参考

文献となろう。同氏は、占領中の三大政治パージとして、鳩山一郎、石橋

湛山、それに平野力三(*下の写真の人物:1898~1981)の公職追放を

採り上げ、アメリカ側の資料を中心に、実証的研究を行なった。 

  Photo_2
  彼は、そこで、日米双方

の関係者の証言を集めて、

その実像に迫り、その

“吉田の果たした役割”

分析している。

 

  その中で、増田氏は、

「石橋湛山の公職追放は、

本来の公職追放の法的

規範外に位置した

きわめて不正常な

形態として生じた

ばかりでなく、追放の経緯、結果および影響いずれかの面でも無数の

追放事例の中で特筆すべきもの」であり、「湛山の追放は、概して公平

Photo_3に実施されたと思われ

る公職追放に悪しき足

跡を印し、ひいては

占領史上に汚点を残す

こととなった」と結論づけ

ている(*傍線、筆者)。

  だが、その本質は、

増田氏の言う、単なる

「汚点」などというもの

ではないと思う。

 今回、孫崎氏が、

ご高著『戦後史の正体』

の中で、明確に論じて

おられるように、まさに

確信犯的な「自主・独立派」潰しだと思うのだ。

  つまり、湛山と吉田との対立関係には、この公職追放という問題の中に、

「自主・独立派」に対する「隷米・従属派」による追い落としの策動があった。



  河上氏によれば、湛山の公職追放の時期に、彼の周辺にいた人々から

間接的に言説を聞きつつも、今ひとつ納得のいかない場合が多かったと

いう。

  彼は“もの凄く大きな存在”が、そこにあるという実感を持った。

思うに、それこそ、寡頭勢力や「アメリカ・影の政府」と言われるものの

存在だったに違いない。


  Photo_4 
 彼らにとって、湛山

は、“最も注意すべき

存在”だった。なぜな

ら、彼が、真の「愛国

者」だったからだ。

 彼らの“意志”を体し

て、吉田は、湛山を

排除することに尽力

したと言える。

  追放中、湛山は、

東洋経済新報社に立ち寄ることも許されず、別に事務所を持ち、

そこで不遇をかこっていたが、河上の知人、延島英一が話し相手を

勤めていた。

  Photo_5
 この石橋湛山追放

の期間は、ちょうど、

日米安保条約が発

効し、GHQが廃止

される二日間前ま

で続いた。

  寡頭勢力と吉田が、

いかに湛山を警戒し、

彼の言動を封じ込め

たかが、よく理解でき

よう。

  湛山の言動を封じる

上で、まさに、アメリカの忠実なポチだった吉田は、米国にとって、

最も好都合な人物だった。

  因みに、吉田は、大の「愛犬家」で有名だった。

だが、彼自身が、まさにアメリカ金融資本の忠実な”愛玩犬”だったので

ある(*上の写真は、1954年11月5日、マンハッタンにある高級ホテル、

ウォルドルフ=アストリアにて、Wikipedia 参照 )

 次に、吉田茂の「信仰心」について、論じたい。 

  【つづく】

 

2012年8月17日 (金)

私の「石橋湛山論」(6 )

  「大日本主義の幻想」



  事実、小島直記氏の記述によれば「中国における利権の拡大と

確保」。― 

 これが、日本参戦の目的であり、日英同盟の「よしみ」などでなかった

ことは明白である。

 

  周知のごとく、この青島陥落が「対華21ヶ条の要求」という、現在でも

日中関係に癒しがたい刻印を残している外交上の〝失策”へと発展した。 

Photo この誤った日本外交

に対して、湛山は、

「所謂対華21ヶ条 

要求の歴史と将来」

書いて、中国ナシ

ョナリズムの存在を

述べ、同国への愛情

と関心を世に示した。

(*写真は、この

「対華21ヶ条」を中国

に要求した当時の

総理大臣、大隈重信

:1838~1922 と、

外務大臣、加藤高明

:1860~1926:左下の人物)

Photo_2
  この湛山の視点や姿勢

こそ、今日の日本人が模

範とすべきものではな

だろうか。

 

 われわれは、この「対華

21ヶ条の要求」の認識なし

に、今後の「日中関係」

云々することは出来ない

と思うのだ。 

  われわれが、もし彼ら

の立場に立たされたら、

如何であろう? 

 湛山は、この時の中国人の屈辱感を、他の日本人の誰よりも強く、

かつ敏感に理解していた。 

  この時の湛山の中国人に対する同情・共感・関心が、戦後の「日中復交」 

への政治活動へと繋がる。

 

  誇り高い民族は、何も大和民族としての日本人だけではない。中国人を

始め、いかなる民族も、それぞれに誇り高いと言える。 

  この各民族の誇りと矜持を、充分に理解すべきである。湛山は、これを

充分理解していたと感じる。

 

  なぜなら、彼には、キリスト教と法華経に基づく深い精神性と「平等感

それに不変の人間愛があったからである。 

  彼の、この「小日本主義」が「大日本主義の幻想」へと発展する。それは、

次のような次第である。

 

  河上民雄氏によれば「大日本主義の幻想」は、「一切を棄つるの覚悟」

の主張を裏付けるために、朝鮮・台湾・関東州との貿易統計に基づき、

植民地支配は、思ったほどの利益が上がらず、他方で、支配地域の民心

を失うなど政治的損失も大きく、植民地を得るために軍備も必要となり、

要するにワリに合わぬ事業であることを論証している。

  加えて、アジア諸民族の自由を求める運動は、必ず目的を達成するま

で止むまいと適確に予測し、どうせやがて立ち上がるアジアの人々に

よって独立をもぎとられるなら、こちらから進んで植民地を棄て、彼らの

信頼をかち得た方がはるかに得ではないか、と呼びかけている。



  このように湛山の「植民地放棄論」は、イデオロギーからではなく、損得

―もちろん、きわめて高度な損得―を土台としたプラグマティズムを特徴

としている。

  大日本主義は小欲にとらわれたもので、最終的にはすべてを失うと予測し、

自らの植民地放棄論を大欲と称し、自信を示している。

  なお20世紀初頭、ほぼ同時代の帝国主義批判者、ジョン・A・ホブソンの

『帝国主義論』(1903年)と比べると、間尺に合わぬという点で、湛山は、

その系譜に属する。

Photo_4 だが、湛山の植民地

放棄の意志はより強烈

であり、レーニン(*右の

写真の人物:1870~

1924)の『帝国主義論』

(1917年)が最高段階

の資本主義は必然的

に帝国主義となり、

植民地の反乱帝国

主義打倒に導くと考え

たのに対して、湛山は、

結論が逆で、植民地を

棄てた方が繁栄する

なっている。



  長幸男氏によれば、この思想・提言を現代風に言い換えれば「サスティ

ナブル・ディベロップメント(持続可能な発展)」ということになる。

  例えば、先進国が自分の成長のために南の発展途上国をむやみに

収奪していったとする。

  一方、発展途上国の人口増加によって世界の人口は、どんどん膨れ

上がる。

 すると、発展途上国の資源が枯渇し、その乱開発の結果が、今度は、

世界的なコストとなって跳ね返ってくる。


  Photo_5
  だが、それらはすべ

て先進国が背負うしか

ない。つまり、環境破壊

は、相手の国を壊すだけ

にとどまらず、自分の国

も壊しつつあるということ

を、日本をはじめとする

先進国は自覚しなけれ

ばならない。

 これは、現代の中国

についても、言えること

である。

  また、発展途上国が貧しいままでおかれれば、先進国はどのように

世界貿易をやっていくのかという問題も出てくる。

  先進国と途上国の不均衡により生じるツケは、めぐりめぐって先進国に

回ってくるのである。善因善果、悪因悪果は、地球的規模でも言えよう。

Photo_6
 湛山は、領土を拡大し、

政治的に圧迫し、無理

やり相手国の住民を

貧困にし、土地でも何

でも奪い取るという

「大日本主義」は、

実際には採算に合って

いないということを盛ん

に言っている。

 彼にとってこれは、

何より人倫、加えて

「ものの理」に反する

ことなのである。

  けだし正論であり、地球環境を共有する世界の国々は、先進国も発展

途上国も、大国も小国も、これからは、均衡的に成長発展していくことが

求められる。

  次は、湛山と吉田茂について論じたい。 【つづく】

2012年8月16日 (木)

私の「石橋湛山論」(5 )

    湛山の「小日本主義」

 

  この彼の信念を政治的に発展させ、かつ徹底させたのが、彼の「小日本

主義」である。 

  大正デモクラシー期の湛山は、東洋経済新報社の論説責任者として、

「一切を棄つるの覚悟(大正10年7月23日号「社説」)と、それに続く

「大日本主義の幻想(同年7月30日、8月6日、13日号「社説」)の連載を

もって、社是であり、かつ湛山生涯の主要テーマとなった「小日本主義」

の立場を鮮明にした。

 

  彼は、これを体系化して、デモクラシー陣営の陣頭に立った。 

この「一切を棄つるの覚悟」の結びに湛山は、キリストが”思い煩うな!”

と厳しく教えるくだり(先述した「マタイによる福音書」第6章と「ルカによる

福音書」第12章)を引用して、自らの主張を際立たせた。


  河上氏によれば「一切を棄つるの覚悟」の論旨は、今日では多く知ら

れたところである。 

  つまり、それは、朝鮮・満州・台湾を棄てよ、支邦(中国)からも手を引け、

そのとき初めてアジアの人々の信頼をかちえ、また米英など西欧列強に

対しても堂々とものが言える、という当時としてはまことに大胆な主張で

あった。

 

  特に、この社説は、ワシントン会議(1921~22年:下の写真)に、日本が、

どう対応すべきかを論じたものである。

                        Photo_2
  事実、英米を中心とし

「寡頭精力(=「影の

アメリカ政府」)は、同

会議を契機に、日本へ

の締め付けを強化し

始めた。

 1902年以来の「日英

同盟」が解消されたのも、

その一環と言えよう。

 

  思うに、湛山は、この

ような“巨大パワー”の

存在を、直感的にも経験的にも十分、理解していたのではあるまいか。 

  私は、彼の洞察力、認識力の深さの源に、彼の”宗教性”を置きたい。 

彼を通して思い出す日本史上の存在が、まさに「日蓮」である。


  「そんなことで、どうして日本は生きて行けるか」という当然予想される

反論に答えて、「何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うなかれ、

汝らまず神の国とその義を求めよ、しからば、これらのものは皆、汝らに

加えらるべし」という、先述のイエス・キリストの説教の一節を持ち出して

いるのである。

 

  湛山は言う。 

  「以上の吾輩の説に対して、あるいは空想呼ばわりする人があるかも

知れぬ。

小欲に囚わること深き者には、必ずさようの疑念が起こるに相違ない。

  朝鮮・台湾・満州を棄てる、支邦から手を引く、樺太も、シベリアもいらない、

そんな事で、どうして日本は生きて行けるかと。

  キリスト曰く『何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うなかれ、汝ら

まず神の国とその義とを求めよ、しからばこれらのものは皆、汝らに加え

らるべし』と。

  しかし、かくいうだけでは納得し得ぬ人々のために、吾輩は更に次号に、

決して思い煩う必要なきことを、具体的に述ぶるであろう」と。

  この記述が、後の「大日本主義の幻想」へと繋がるわけである。

 だが、ここで一つ、付言したいことがある。

  Photo_3それは、上記の社説が

上梓される7年前に、湛山

が発表した社説「青島

断じて領有すべからず」

(大正3年11月15日号)に

ついてである。

  本論は、日本が第一次

世界大戦時、「日英同盟」

を拡大解釈し、対ドイツ

参戦して青島を領有

しようとした時に、当時   Photo_4

の政府の方針に明確に

反対の意を表明したも

のであった。

  湛山の考えは、当時

の日本政府の方針に

対してばかりか、日本

の領土拡大と、それに

伴う国威発揚を潜在的

に切望していた国民の

思いに、反省を促すも

のだった。

(*右の絵は、「日英同盟」

締結を祝したさし絵)

  だが、彼の主張は、国民には、なかなか理解されなかった。

  湛山は、1914(大正3)年11月15日の社説「青島は断じて領有すべから

ず」において、次のように主張した。

  「戦争中の今日こそ、仏人(フランス人)の中には、日本の青島割取を

正当なりと説くものあるを伝うといえども、這次(しゃじ・・「この度の」の

意味)の大戦もいよいよ終わりをつげ、平和を回復し、人心落着きて、

物を観得る暁に至れば、米国は申すまでもなく、我に好意を有する英仏人

といえども、必ずや愕然として畏るる所を知り、我が国を目して極東の平和

に対する最大の危険国となし、欧米の国民が互いに結合して、我が国の

支邦における位地の転覆に努むべきは、今より想像し得て余りあり、かくて

我が国の青島割取は実に不抜の怨恨を支邦人に結び、欧米列強には

危険視せられ、決して東洋の平和を増進する所以にあらずして、かえって

形勢を切迫に導くものにあらずや(*下の写真は、「東洋新報」時代の

湛山)

       Photo_6

  這回(しゃかい・・・「今回」の意味)の戦争において、ドイツが勝つに

負くるにせよ、我が国がドイツに開戦し、ドイツを山東より駆逐せるは、

我が外交第一着の失敗なり。もし我が国がドイツに代わって青島を領有せ

ば、これ更に重大なる失敗を重ねるものなり、その結果は、あにただ我が

国民に更に限りなき軍備拡張の負担を強めるのみならんや。青島の割取は

断じて不可なり」と。

  しかし、史実は、残念なことに、この湛山の勇気ある、正当な主張に

反して推移した。

 青島陥落後、日本政府は、中国政府との協定を無視して、山東鉄道を

奪い、その管理運営にあたったのである。 【つづく】

 

2012年8月14日 (火)

私の「石橋湛山論」(4 )

  石橋湛山の、生涯を通した「信念」


   湛山は生涯、日蓮宗徒であり、戦時中、軍閥の圧力が高まるに従って、

説話の中で、日蓮(*右の肖像画の人物)Photo_11

「我れ国家の大船と

ならん、柱石とならん、

眼目とならん」を、

しばしば語った。

  湛山がいかに日蓮を

愛し、彼を尊敬してい

かを示す証左であ

ろう。

  石橋湛山は晩年、

病に倒れ、惜しくも

二ヶ月で首相の座を

潔く去った後、利か

なくなった右手に代えて、

不慣れな左手で筆をとって書をしたためた。

  先述したごとく、その時、湛山が好んでしたためた言葉は「明日の事を

思いわずらうな  湛山」であった。

 Photo_12

  これは、『新約聖書』

の「マタイによる福音書」

第6章34節にあるイエス・

キリストの言葉である。

 イエスは言う。

  「あなた方のうちだれ

が、心配したからといっ

て、自分の命を少しでも

延ばすことができますか。

  なぜ着物のことで心配す

るのですか。野のユリ

がどうして育つのか、        Photo_13

よくわきまえなさい。

働きもせず、紡ぎも

しません。

  しかし、私はあなた

方に言います。栄華を

極めたソロモン(*下

は、ソロモン神殿)でさ

え、このような花の一つ

ほどにも着飾っては

いませんでした。

Photo_15 今日あっても、明日は

炉に投げ込まれる野の

草さえ、神はこれほどに

装ってくださるのだから、

ましてあなた方に、よく

してくださらないわけが

ありましょうか。信仰の

薄い人たち。

  そういうわけだから、

何を食べるか、何を飲

むか、何を着るか、などと

心配するのはやめなさい。

  こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、

天の父は、それがあなた方に必要であることを知っておられます。

  だから、神の国とその義(=正義)とを先ず第一に求めなさい。そうす

れば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

  それゆえ、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配 

します。労苦は、その日その日に十分有ります」と。

  河上氏は問う。湛山が病床の人となってから、この聖書の一句を好ん

で書にしたためたのは、何故であろうか?と。

  同氏によれば、湛山は、この句に格別の愛情を持っていたようだ。

あるいは、彼は、この一句に言論人としての生涯を凝縮させていたのかも

知れない。

  あるいはまた、日本や世界の将来を、この一句に託したのかも知れない。



  とりわけ湛山は、1921(大正10)年7月に、社説「一切を捨つるの覚悟」

発表した時、このキリストの言葉を引用して、自らの主張を際立たせた。

  この視点こそ、湛山が生涯を通して保持した信念であった。

この彼の信念を目にする時、私は、最澄(伝教大師)の言葉「道心の中に

衣食(えじき)有り、衣食の中に道心無し」という言葉を思い出す。

Photo_16
  先述した通り「道心」

というのは、仏の教えを

本気で求めて、菩薩に

ろう、人々のために

なろう、という気持ちで

ある。

  そういう気持ちであれ

ば、人間の生活は、

何とかなるものである。

 しかし反対に、人が

衣食や金、物だけの

ために働いても、仏心

や菩提心得ることは

出来ない、というものである。

  キリストも最澄も、そのような人間の“心の在り方”の大切を説いた。

石橋湛山も、彼らの真意を十全に理解していたと言えよう。 【つづく】

2012年8月13日 (月)

私の「石橋湛山論」(3 )

  石橋湛山の生い立ちと、不屈の在野精神

  ここでは、湛山の生い立ちと、彼の「不屈の在野精神」について論じたい。 

彼は、1884(明治17)年9月25日、最後には身延山久遠寺(*下の写真)

法主となった杉田湛誓   Photo_8

長男として、東京・

芝日本榎(都麻布区

・・・現、港区)に生ま

れた。 

  母の名は、「きん」と

いう。事情で母方の姓

を名乗り、父の転住に

際し、父の判断で、

信頼する友人、望月

日謙師(湛誓の弟弟子

・・・・当時、山梨在住)に預けられた。 

  河上民雄氏(元衆議院議員)によれば、湛山自身、この望月師による

訓育を受けたことを感謝している。

 

  「湛山」という名は、僧侶として得度してからの名前であり、それ以前は、

「省三(せいぞう)」といった。 

  望月日謙上人は、のちに身延山の最高位に達し、名力士双葉山が、

最盛期に傾倒した名僧でもあった。


  ところで、そのような環境に育った湛山がキリスト教に接したのは、山梨

県立第一中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)に学んだ時である。 

 彼は、素行不良で、一年落第した。だが、この落第が幸いして、湛山は、

新任の校長・大島正健(まさたけ:*下の写真の人物:1859~1938)

邂逅した。 

  Photo_4
 その大島が、かつて札幌

農学校で、「少年よ、大志

を抱け」の言葉を残し

ウィリアム・S・クラーク

博士の教えを受けた

キリスト教徒であった。 

  そのため、若き湛山は、

大島校長の感化を強く

受けた。大島は、内村鑑三

新渡戸稲造の親友でも

あった。

                        

  旧制中学校を出た湛山は、

早稲田大学で哲学を専攻、

明治40年に首席で卒業した。

 

  早稲田で、湛山は、終生の師ともいえる田中王堂(本名、喜一:*下の

写真の人物:1868~1932に出会う。 

Photo_5 王堂は、アメリカの

シカゴ大学で、ジョン・

デューイ教授に師事

して、「プラグマティズ

ム」を学び、帰国後、

この新しい哲学を、

日本人に紹介した

人物である。 

  湛山が大学で哲学

を学んだ頃は、哲学

界の主流は、イマヌ

エル・カントを代表

するドイツ観念哲学

であった。それに関心     Photo_17

を示さず、湛山が、

プラグマティズム

傾倒したことは興味深い。

  大学を卒業すると(*右の

写真は、卒業時の湛山)

彼は本来、宗門に入る

環境にある人となりであっ

が、彼は、ジャーナリスト

を志し、島村抱月(*左下

の写真の人物:1871

1918)紹介で、東京毎

新聞社に入社した。 

Photo_6
 しかし、半年ほどで退社

した彼は、1909(明治42)年

12月から一年間、東京麻布

歩兵第三連隊に入隊して

兵役を終えた。 

  湛山は、1911(明治44)年に、

東洋経済新報社に入社し、

主幹・社長を歴任した。 

  哲学を専攻した彼が経済

の知識を習得したのは、

まったくの独学による

ので、湛山は、経済

学の原典を読破して行った。



  東洋経済新報社では、戦後の昭和21年に、吉田内閣の大蔵大臣に就任

して、社長を辞任するまで30余年、幅広い評論活動を精力的に展開した。 

  その積極財政論(厳密には、ケインズ流の「完全雇用論」)、反戦反軍思想、 

小日本主義で、“野に石橋あり”の評価は、大いに高かった。 

  大正13(1924)年に同社主幹になった頃から、折悪しく政治情勢は軍国主

義化の勢いを強め、湛山は、時の軍閥政府との対決を強めて行った。

 

  河上氏によれば、湛山は、部下の高橋亀吉と共に、経済論壇の一翼を

担い、金解禁に当たっては、新平価での金本位復帰を主張した。 

  湛山は、旧平価での     Photo_10

復帰・財界整理を主張

した勝田貞次・堀江帰一

らや、大蔵大臣として

金解禁を旧平価で行っ

た井上準之(*右の

写真の人物)らに対し

て果敢に挑んだ。 

  欧米列強の巨大金融界

からの圧力で、たとえ、

その実現が困難だった

とはいえ、その後の日本

経済の疲弊を思うと、

湛山らの考えは、

まことに正当なものだった。

【つづく】


 

 

 

 

2012年8月11日 (土)

私の「石橋湛山論」(2 )

   “本物の“政治指導者、石橋湛山



  それゆえ、われわれは、よくよく、その“実”を把握しなければならない。
 

なぜなら、現代は「偽物の時代」だからである。真に本物の「政治」、

本物の「愛国(あるいは、祖国愛)」を吟味しなければならない。

 

  その点、湛山のそれは、まさに“本物の思想、本物の生き方”だった。 

われわれは、もっと深く彼の思想や生き方を学ぶべきだと思う。 

  私が”本物の政治指導者”だと思えたのは、かつてのジョン・F・ケネディ

とミハイル・S・ゴルバチョフ、それにマハトマ・ガンディーぐらいである。 

 そう思うゆえに、私は、彼らの「民主的」リーダーシップの起源にあるも

のが、いったい何かということを、自らの”研究対象”とした。


  日本で、本物の政治家と思える人は、本当に少ない。私にとって、そう

思えるのは、明治

時代の伊藤博文、Photo

大正期の原敬

(たかし(*右の

写真の人物:1856

~1921)それに

昭和の石橋湛山

ぐらいである。 

  とりわけ、湛山

の政治思想の

広大さと深遠さ、

それに経済思想

の的確さと普遍性

は、他を圧している。




  周知のごとく、戦後の

歴代総理の中で最も

在職期間が長かったのは、

Photo_2佐藤栄作(*左の写真

の人物:1901~1974)

7年8ヶ月(2798日)

である。

 次が、吉田茂の7年

2ヶ月(2616日)で後、

小泉純一郎、中曽根

康弘、池田勇人、

信介、橋本龍太郎、

田中角栄の順となる。

 

   


  だが、巨漢のパンツの紐

じゃあるまいし、長ければよいというものではない。 

その点、石橋湛山は63日と、2ヶ月ほどの短命政権でこそあったが、その

退き際の見事さと国民を思う“考えの深さ”では、まさに特筆すべきものが

ある。

 
  彼は、かつてジャーナリストの立場から、浜口雄幸首相が暴漢に狙撃さ

れた後、適宜に退陣すべきところ、長く在職したことが、当時の経済混乱

に拍車をかけたことを批判した。

  その浜口の悪例を冒すまいとして、彼は余力があり、かつ側近のたって

の忠告も無視して退陣したのである。

  つまり、彼には、自分より先に、まず公である「国民」があった。


  この彼の行動に表われているように、湛山の思想や生き方は、あくまで

「公」の観念に貫かれたものだった。

  幕末から近・現代にかけて、この公」の観念に生きた政治家や思想家

は、決して多くはない。

  ほとんどの政治家たちが結局、自分の地位や名誉のために政治を私

(わたくし)し、多くの富を蓄えた。まさに政治家と言うより政治業者、ある

いは「政治屋」である。

  古くは、山県有朋や井上馨(*右の写真の人物:1836~1915 )から、

今日では、かなりPhoto_4

多くの政治家が、

そのような傾向に

あると言える。

明治の初期、

西郷隆盛は、

井上馨に、こう

ねた。

  「おまさぁは、

三井の番頭で

ごわすか?」と。

 これには、あの

井上も返答に窮した。

 

 ただ、数少ない英傑たち、

例えば、吉田松陰、Photo_5

横井小楠(*左の

写真の人物:1809

~1869)西郷隆盛、

勝海舟、徳富蘇峰

(*下の写真の人物:

1863~1957)内村

鑑三といった人々

が、ひたすら「公」

ため、国民のために

生きたと言える。

 


 徳富や内村は、

決して政治家では

なかったけれど、

真に祖国日本を

愛し、人々のため                 Photo_6

に生き抜いたと言

えよう。

  そして、石橋湛山

も、まさにこの系譜

に連なる人だと思う。


  とりわけ、石橋湛

山の生き方こそは、

現代、そして未来に

求められるべ

日本人の「理想的な

生き方」なのでは

あるまいか。

  そろそろ、われわれは、無知や悪酔いから覚めるべきなのではないか

と思うのだ。

 

   次に、湛山の「生い立ち」などについて、論じたい。 【つづく】

 

2012年8月10日 (金)

私の「石橋湛山論」(1)

   【はじめに】 

 孫崎氏が強調されている通り、日本の戦後史の中で、石橋湛山氏の

存在は、限りなく大きい。

  もし、彼が健康に問題なく、思う存分、政権を担当できていたら、戦後の

日本政治は、今とは、全く違っていただろう。 

  これが、日本国民のために、どれほど有益なものであったか、想像に

難くない。


  Photo
   これからの日本

政治について語る

上で、石橋氏が最

理想的な政治指

者であることを、

私は、6年前に上梓

した『ケネディ vs  

二つの操り人形  

小泉純一郎と中曽根

康弘』中(第八章)

(*右の写真)で、

具体的に論じた。

 

 
  拙著を、すでに

ご購読下さった方々には、誠に恐縮だが、今回、それを、本ブログで、

改めて強く訴えたい。それは、具体的に、次のようなものである。



 
現代、そして未来に求められるべき「石橋湛山」

 

  昨年(2005年)9月11日の衆議院総選挙以来、政治(厳密には、選挙)

が面白くなったという雰囲気(あるいは、風潮)がある。 

 確かに、投票率の上昇や国民の政治への関心の高まりなど、プラスの

もあろう。

  だが、少し頭を冷やして考えれば、昨年からの政治状況は、単なる

”空騒ぎ”に過ぎないのではないか。

  Photo_2
 小泉総理はじめ

現代の日本人は、

いつから、あんなに

軽薄になったのだろ

うか?

 自らの”存在

軽さ”に、心底、

耐えていられるの

だろうか?

  「小泉チルドレン」

という言葉が、一世      Photo_3

を風靡した。

  しかし、彼らの”存

在”の何軽いことか!

  この言葉は「ケネディ

の子供たち」という語に

淵源を持つ。

 しかし、あれは本来、

1960年代のアメリカの

若者たちが「平和部隊」

の隊員として、貧困、

かつ不便な発展途上国

で尽力・活躍した労を

ねぎらって与えられた

言葉である。

  Photo_4
  この部隊は、

ケネディと彼の

義弟シュライバー

(*写真、左側

の人物は、晩年の

シュライバー氏。

 彼は、昨年の1月

18日に、95歳で

逝去)が、世界平和と

南北格差の是正を

目指して創設した

のである。

 自ずと、その言葉の成り立ちや重みに、まさに月とスッポンほどの

違いがある。

  昨年から見られる、あの”見せ掛けの明るさ”とは裏腹に、現代日本は、

Photo_5自死直前の芥川

龍之介(*右の

写真の人物:1892

~1927)予感し、

夭折した石川啄木

が実感したような

”閉塞感”が、重く

社会を覆っている。

  その危機的状況

は余りにも重く、

かつ暗い。

 確かに先回、自民

党の圧勝に終わった

総選挙は、そういった閉塞状況の”ガス抜き”の役割を果たしたとは

言えよう。


  しかし、それは単なる一時的なカタルシスに過ぎない。むしろ、さまざまな

不平や不満、あるいは「精神的飢餓感」が、今日の日本には、ますます

鬱積しているように思われる。

  だが今日、日本人が失っているもの(特に、精神的側面)のすべてを、

石橋湛山は持っていたような気がする。いや私には、彼の“知的遺産”

無尽蔵とさえ思える。


  私は、初代の伊藤博文以来、第87代の小泉純一郎に至る歴代総理の

中で、石橋湛山ほど深い精神性、並びに深遠な思想と該博な知識を持っ

ていた総理大臣を知らない。

  Photo_6
  彼は、まさにプラトン

(*左の人物:BC427

~BC347)が理想と

した「哲人政治家」

そのものだった。


  しかし、彼の偉大さ

は、単に「経済」に関

する豊富な知識だけ

に由るものではない。

 むしろ、彼が生涯、

「真理(あるいは、

真実)」と「正義」

愛し、いかなる迫害

や困難に対しても、

決してひるむことなく

果敢に挑戦した。

 その勇気と高邁さにあったと言えよう。 加えて、彼の無欲で恬淡と

した生きざま”だったのではあるまいか。

  湛山の生き方こそは、まさにイエス・キリストの言う「神の国とその義

(=正義)」求めたものであり、最澄(伝教大師)の説く「道心」に生きる

ものでもあった。

  ところで、湛山の生き方や思想は、決して「私心」に基づくものではなく、

あくまで「公」の観念に基づくものだった。

  今日の日本では、国民や「公」のためと言いつつ、結局、「私利・私欲」を

満足させるために政治活動を行う人が多い。また、自ら「愛国」と語りつつ、

それに酔い、結局、「売国」に堕する人もいる。

  その意味で、「愛国」と「売国」は、時に紙一重でさえある。【つづく】

 

 

 

2012年8月 9日 (木)

孫崎享氏『戦後史の正体』を語る(完)

  (*孫崎氏は、続けます。)

 日本の多くの人は、戦後の歴史の中で、日本の人々が、戦争の後、

飢え死にしなかったのは、米軍が助けてくれたお陰だと思っているん

ですけれども、事実は、それとは違ってね、あの厳しい折、日本人が

飢え死にするかと思われた時において、日本の国家予算の30%ぐら

いが、米軍の駐留経費に要っていたんですよ。

Photo_15
  それを、(当時、

大蔵大臣だった)

石橋湛山(*右の

写真は、蔵相に

成り立ての頃の

湛山)”軽

する”というこ

を、米国に通

する。

 これに対して

=これを理由に)、

石橋湛山は、大蔵

大臣を降ろされる。

  その時に、石橋

湛山が、こういうことを言うんです。

  「俺は、殺られてもいいんだ。

しかし、それに続く大蔵大臣が、また俺と同じように、米軍の経費縮小と

いうことを言えばいいんだ。(あるいは、)それも、殺られるかも知れない。

  しかし、そういうような事を、2年3年続ければ、アメリカも諦めて、日本の

言う事を聞くようになるだろう」 と。まあ、石橋湛山は、そう言うんですよね。


 じゃ、それに対して、日本の政治家が、どう対応したか?

石橋湛山が切られる前に、石橋グループが、30名ぐらい集まるんですよね。

そして、“この時代に、どう対応しようか”ということを協議する。

 しかしながら、石橋湛山が切られてしまうと、どうなるか?

集まってきた(石橋氏を)支持する代議士は、3名なんですよね。

  だから、この、米国に何かされた時に、しかし、それと同じ事を、もし繰り

返して行けば、結局は、米国も、日本側の言い分というのが有るというの

が分かって、”訂正”してくるんじゃないかと思います。


  しかし、残念ながら、この流れと同じ事が、「普天間問題」で起こったわけ

ですよね。

 Photo_16

  鳩山首相は、

「最低でも、県外」。

   ”沖縄県民が反対

している以上、これ

は実施できない”と

いうことで、「最低で

も、県外」と言った。

(*写真は、辺野古

海岸。同海岸は、”海洋

資源の宝庫”だと言われ

る。)

  しかし、結局、その(=米国の)圧力でもって、鳩山首相は辞めるんです

けどもね。

 じゃ、その後、日本の首相が、どのような対応をとったか?

  同じように、沖縄県民の意向で、実施できないと、鳩山首相と同じような

形を主張したか?  全く、そうじゃないんですよね。

Photo_17
 今度は、手のひらを

返したように、「対米

追随」をするというこ

とが、自分たちの

き残りであるという

ことで、菅首相、

それから典型的な

のは、今日の野田

首相、この方が、

「対米追随」路線を、

今までの、どの首相

よりも、強く打ち出して来ている。

(*写真は、2010年4月22日、米国のアーリントン墓地を訪問し、

献花した菅氏。だが、同氏は当時、国家戦略相ではあっても、

まだ総理ではなかった。そんな彼が、なぜ国賓待遇?・・・・

 写真は、「共同通信」)

  しかし、こう見て行きますとね、これは、単に、野田首相一人の「個性」の

問題じゃないと思うんです。


  長い歴史の中で、「対米追随」ということを主張する首相が、生き残れる。

そして、もしも、「自主」というものを強調しようとする人がいると、それは、

日本の組織全体が、一緒になって、これを潰していく。

  その「組織」というのは、メディアであり、検察であり、政治家であり、

財界であり、官界である、と。


 かし、もう、こういうようなものは、日本の行きべき

道筋ではないんだと、もう一回、われわれが、アメリカ

との関係を、どうすべきかということを考える「時期」に

来ているんだと思うんですよね。

  Photo_18
ちょうど、それ

は、今、”われ

われが正しい

と思ってい

「原発」という

ものを、もう

一度見直そう!”

という思いと連動

しています。

 *写真は、国会 

議事堂前に集結し 

た脱原発デモの 

人々


  それは、大手新聞社が言ったから、”そうしよう!”と

言うんじゃないんですよね。

 あるいは、官僚が、”そうしよう!”と言ったから、そう

するんじゃない。

 政治家が、”そうしよう!”と言ったから、そうするんじ

ゃない。

 

  むしろ、既存の勢力、財界を含めて、既存の勢力が、

”原発を推進する”と言ってもね、多くの国民は、

”そうではない!”と、やはり、違ったものの考え方が

あって、それに向かって行く時期に来ているんだと思っ

たと同じようにね、私たちが、この日米関係の在り方と

いうものを問い直して、本当に、従来、アメリカに追随

しているのが、日本の利益になるのか、多分、そうでは

ない、ということで、日本の歴史を見直して「自主」

動きというものを、打ち出す時期にきているんじゃない

かと、まあ、そのために、戦後の日米関係の歴史を扱

った今回の本が、皆様のお役に立つんじゃないかと

思っています。

  どうも、有難うございました。  【了】 

  (後記:次回は、私の「石橋湛山論」を、掲載いたします。)

 

 Photo_14

 

2012年8月 7日 (火)

孫崎享氏『戦後史の正体』を語る(2)

  この路線が、ずーっと、戦後、続くんですね。

  非常に残念なことに、もう一つ、日米関係の特色は、アメリカが、”この

人は、望ましくない”という人が出てくると、それを、日本側に伝える。

  それが日本側に伝わったら、それを、残念なことに、日本人が、

Photo_8“アメリカに望まし

くない”という人を

排除して行くとい

うプロセスが起こっ

ちゃうんですよね。



  それの典型的な、

幾つかの道具が

あるんですけれ

ども、一つは、「検察」なんですよね。

  (*写真は、最高検察庁。尚、この中央合同庁舎第6号館A棟には、

最高検察庁の他、東京高等検察庁、東京地方検察庁、東京区検察

庁などが併存している。)

  芦田均(ひとし:1887~1959)という”米軍の完全撤退”を要求するよう

な人、これに対しては、「昭電事件」というものを創って、芦田首相は、

Photo_9基本的には、何の罪も

無いんですけれども、

これを創る(=捏造す

る)とによって、検察

起訴する。

  ということ
で、芦田首

相を排除する。

 
  この流れというのは、

今、また同じように、

小沢事件で出て

いる。 

 それから、         Photo_10

田中角栄(*右の

写真)の時にも起

こっている。

これが、一つですね。



  それから、もう一つ

アメリカが日本人を

排除する時に、非常

に大きな役割を果た

すのは「新聞」だと

思いますね。

  新聞が、ターゲット

になる人の人格批判をする。

そして、その人間が排除されることが当然だという”空気”を創っていく。

  というようなことで、メディアも官界も政界も、一体となって、米国に追随

するプロセスを進んで行く、と。


  私は今回、1945年から今日まで、日本の政治家の中で、自主」を主張

した人、そして、その人たちが、どのような運命をたどったかを見たわけで

すけれども、意外なことに、非常にたくさん「自主」を唱える人がいる

(=いた)んですよね。

Photo_12  先ほど申しました重光葵、

それから石橋湛山、芦田均、

鳩山一郎(*左の写真の人

物)それから、ごくごく最近

になったら、その(鳩山一郎

の)孫である鳩山由起夫さん、

それから、真ん中に、田中角

栄という、色んな人たちがい

ますよね。

  こういう人たちが米国と違う

ことを言うと、米国の方は、

「これを外した方がいい」

言って、それを、日本の

人が、自分たちで自ら、

”これを切り捨てていく”と

いうプロセスがあるんですよね。

  これに対して、どうしたらいいのか?

「自主」をやった場合に、われわれとしては、それを通すことができない

のか?

Photo_13
 
 この時の一つの

解答は、石橋湛山

(*右側の写真の

人物)が排除され

る時の話が、非常

に参考なると思

うんですね。  

【つづく】

2012年8月 6日 (月)

孫崎享氏『戦後史の正体』を語る(1)


     皆様へ


 率爾ですが、日頃のエッセイから、少し離れまして、今、最も大事だ

と思えるテーマについて論じたいと思います。

 

  目下、日本国内では、Photo

様々な書物が出版

れています。

 そんな中、実に素晴

らしい著作である

『国家は「有罪」こう

して創る』(祥社)

(*右の写真)を除い

て、最も有益、かつ

センセーショナル

著書は、何と言って

も、孫崎享氏

『戦後の正体』

(創元社)*下の

写真)ではないでしょ

うか。これに、余り

論は無いと存じます。


Photo_3
 ところで、出版元の

「創元社」という名前

自体、余り耳慣れな

い名前だと思われる

かも知れません。

 しかし、私にとりまし

ては、たいへん懐かし

出版社名です。

 

 と申しますのは、

今から40年以上前、

同社は、エーリッヒ・

フロムの名著『自由からの逃走』を、日高六郎氏の訳で世に送り出した、

実に立派な出版社だからです。

  その創元社が今回、誠に素晴らしい快挙を成し遂げました。 

それこそ、この度の孫崎享氏の『戦後氏の正体』の出版です。

 これは、”日本出版業界の金メダル”と言っても、決して過言ではないで

しょう。


  実は、先日、ネット検索をしておりましたら、米田道三氏のご投稿に、

”12分間の動画「孫崎享『戦後史の正体』を語る」”というものがありま

した。

  Photo_4
 内容的に、とても

コンパクトにまとま

っていましたので、

思わず文章化し

みました。

 それは、次のよう

なものです。

  孫崎氏(*右の

写真の人物)が、

こう語り始めます。



  日本の社会は今、

大きく変化してきて

いると思うんですよね。

 「原発(の事故)」が起こりましてから、今まで、権威のある人たちが喋るこ

とは正しい、例えば、東大の先生が喋るとかね、大手の新聞が報道する

か、しかし、それは、どうもおかしいな?と、国民は、感じたわけですよね。


  その感じたことというのが、これは、原発だけに限らずに、外交関係も、

同じようなことが、実は起こっているんではないか、そして、それを見てみ

ますとね、鳩山さんが、「普天間の問題」で、多くの人に批判をされて、

「最低でも、県外」というのが、駄目になった。

  そして、どちらかというと「独立」を志向すると見られた小沢さんが、検察

問題でやられた。

  そして、その後、野田首相になって、どうしようもないぐらいに、アメリカ

追随を明確にしてきた。

                           
  まあ一番簡単なことは”オスプレイの配置”で、沖縄の県民が、ほぼ

全員、反対しているにも拘わらず”オスプレイの配置”について、「日本

側が、どうこう言う筋合いは無い」ということで、非常な対米追随の路線を

出してきた(*下の写真は、v-22  オスプレイ)

 

V22_2

 

  もう一回繰り返しますと、鳩山さん、小沢さんという「自主」は潰されて、

そして、その後に、「対米追随」を、より強くする野田さんというのが出て

きて、その政策を行っていると。

Photo_5
 しかし、この「構図」

というのは、実は、

日本が独立した後、

もう1945年9月2日に、

降伏文書にサインす

るわけですけれども、

(*写真は、文書に

サインする重光外相)

ここから「自主」

「独立」を求める

れと、「対米追随」で

行く路線というもの

が対立して行く

んですね。

  一番簡単な事から申しますと、9月2日に、日本は、降伏文書に署名し

た後、直ぐその後に、米国側は”三つの要求”をしてきたんですね。

  一つは、公用語を、英語にする。 

それから、紙幣をドルにする。 

裁判権は、米軍が持つ。

  これを覆した    Photo_6

のが、重光さん

(重光葵・まもる

:1887~1957:

右の写真の人物)

なんですね。

 だから、米国が

言っているものは、

”不自然である”

ということで、

これを覆した。

  しかし、その

重光さんは、

直ぐに切られて、

これに代わって出てくるのが、

Photo_7
吉田首相(1878~

1967) 。― 


 

  吉田首相

(*左の写真の

人物)は、”もう、

われわれは負け

たんだから、

まな板の上の鯉

のように、向こう

(=米国)の言う

通りにする”という

形になる。

 【つづく】

2012年8月 4日 (土)

エッセイ「心のままに」(13 )

 
 

  天の人

 

   天の人、それは、 

希望と愛に生き、愛と信仰に死ねる人。ー

  天の人、それは、
 

幼な子のように、無垢なる魂を持った人。―


  人目には愚かにさえ見える彼(あるいは、彼女)は、
 

神の目には、愛しき愛児(まなご)だ。 

  さりとて、彼は、神に〝選ばれる”ことを求めたりは

しない。ただ、神よりの無上の憐れみのみを求める。

   Photo
  天の人、それは、 

寛い心で、他者(ヒト)を許せる人。― 

  彼(あるいは、彼女)は、侮られても侮ることを知らず、 

憎まれても、憎むことを知らない。 

  恨みに対して恨みで返さず、 

むしろ、愛の心で報いる。


 
  天の人、それは、
 

感謝の心で、他者(ヒト)のために祈る人。― 

  常に”生かされている自分”を意識し、それを心から

感謝しつつひたすら他者(ヒト)の幸せを祈り続ける。




 
「道心」に生きる

 

  仏教は、実に素晴らしい宗教です。 

私自身、今、宗教を異にしていますが、 

幼い頃より親しんだ仏教について、 

年を経るにつれて、しみじみと、そう思います。


  仏教には「道心」という言葉があります。
 

これは、伝教大師(最澄)の言葉の中に見られます。 

                               Photo_2



   

  彼は、次のよう

に語っています。 

  「道心の中に

衣食(えじき)有り、

衣食の中に道心

なし」と。

 

  解説によると、

「道心」というの

”仏の教え

を求める心”です。 

 人が仏の教えを

本気で求めて、

菩薩になろう、

人々のためになろうという気持ちが有れば、人間の生活

は、なんとかなるというものです。

Photo_4
 確かに、「心」

有ってこその

人生だと思い

ます。 

 まさに「道心」

に生きることこそ

が、人間の真の

喜びであり、人生

の本質なのでは

ないでしょうか。





   天職

 

  この世に、真に幸せな人がいるとするなら、 

それは、自分の「天職」を見出し、 

生涯、それを全うできる人ではあるまいか。

 

  だが、多くの人々が、それについて、 

余り意識しないように思われる。

 

  しかし、中には、己の生涯をかけて、 

自らの「天職」を見出そうとする人がいる。 

  それを見出すことは、 

まさに、生涯の“一大事業”とさえ言える。

 
 自己の「天職」を            
Photo_9

見出した人は、

その仕事と

”一体化”し、

時には、“地の塩”

や”世の光”となる。

 中には、社会の

木鐸となる人さえ

あろう。

 

      Photo_10

  こうして、世のため、他者(ヒト)のために尽くすことが、 

その人の生き甲斐となり、終には、真の幸せへとつな

がるのである  【つづく】

 

 

 

 

2012年8月 3日 (金)

エッセイ「心のままに」(12)

   ”当たり前”の有難さ


  人間、齢(よわい)60を過ぎますと、体の至る所に、

何らかの問題や障害が出てきます。 

 私事ですが、遺伝的に血圧の高い私は、このところ、

度々の動悸(あるいは、頻脈)に悩まされます。

 

  普段、一分間に60~70回の脈拍が、時として2~

2.5倍の120~150回になります。 

  その状態も、大体5~10分で終わりますが、時には、

就寝前、2時間半ほど続いた時がありました。

  或る夜などは、余りにも動悸が続くものですから、

”もしかして、明朝は、死んでいるかも知れないな”と

いう思いで就寝したことが、今まで、2度ほどありました。

 

  動悸の不快さを知る者として私は、普通に呼吸ができ、

脈が安定していることを、しみじみ嬉しく感じます。

  「人間、呼吸などできて、当たり前!」と思われるかも知

れません。


 しかし、果たして、そうでしょうか?

私たちは歩い     Photo

たり、走ったり、

食べたり、飲ん

だり、読んだり、

書いたりします。

 そんな事、

”できて当たり前”

だと思います。

  でも、そのような

普通で健康な状態

が、決して当たり前

でない人々が、世の

中には、沢山おら

ます(*写真は、

病院の待合室)


  病者や障害者など、そういった人々を温かく見守れる

慈愛の目を持てたらと思います。

  そして、ごく“当たり前”と思えることに、心から感謝でき

る謙虚さも、日々備えたいものです。

  “当たり前”の有難さについて、私たちは、もっと思いを

馳せるべきなのではないでしょうか。





  「ありがとう」

 

  しあわせな人、それは、「ありがとう」 と素直な心で言

える人。―

 私たちの中には、この言葉が言えないばかりに、寂し

い思いでいる人が、意外に多いのではないだろうか。

  この言葉を思いつかない人、また、言う気も起こらな

い人、さらには、この言葉に反発さえ感じる人などは、

ふしあわせなのではないだろうか?

Photo_2
  (*写真は、「感謝の梅酒」-結婚式の披露宴で、 

     両家のご両親へプレゼントされました。)



 「ありがとう」と言うのは、ほんのちょっとの勇気と思い

切りがあるだけでいいんだよ。

 人をしあわせにする魔法の言葉、―「ありがとう」。

この世で最も美しい珠玉の言葉、―「ありがとう」。

  「ありがとう」は、いつでも光る“言葉の宝石

私たちが、終生、忘れてはいけない言葉、それこそ、

「ありがとう」。

  この言葉で、人生最後の日に瞑目できたら、その人

は、本当にしあわせな人生を送ったのだと思う。




  ころんだって、いいんだよ



  私たちは、よく子供たちに、

「ころぶな、怪我するな」と言うけれど、

ころんだって、いいんだよ。

時には、怪我したっていいんだよ。

  たとえ、ころんだって、怪我したって、

君たちには、回復する力があるんだから。


  人間だもの、ころんだり、怪我したりするのが、

当たり前じゃないか。

  ころびもしない、怪我もしない人生なんて、

何てつまらないものか。

  ころんだり、怪我したりしてこその人生だよ。

失敗のない人生なんて、本物の人生じゃないと思うんだ。

Photo_3 
(*写真は、

   楽しい川遊び・・・

 

  何か、入っている

  かな?

  


















  命、有る限り



  命ある限り、

自分の真心を大切にして、生きていきたい。

  この世では、様々、魅力的なものに、心動かされるこ

とがあろうけれど、自分の心を失うことなく、生きていき

たい。


  命、有る限り、

嘘をつかずに、生きていきたい。

  人間、嘘をつかずに生きれることこそ、真に幸せなこ

となのだ。

 全く嘘をつかずに生きることは無理かも知れないけれ

ど、なるべく嘘などつかずに、生きていきたい。



  命、有る限り、      Photo_4


「感謝」の心を忘

れずに、生きて

いきたい。

”父母や他者(ヒト)

の支え無しに、

自分の存在は

有り得ない”。

この思いを忘れる

ことなく、これから

も生きていきたい。


  命、有る限り、

自らの「信仰」に

生きていきたい。

Photo_6

  私にとって最も大切なもの、それは、やはり「信仰」だ。

  私などいなくても、「信仰」は有り得るけれど、

  信仰無しに、私は、有り得ない。

    命、有る限り、

 この“信念”を貫き通したい。  【つづく】

 

 

 

 

 
                           

  

 

 

 

 

 

2012年8月 2日 (木)

エッセイ「心のままに」(11)

 

  何も怖れること勿れ!



  この世には、何も怖れるほどのものはない。
 

いかなる苦難も病も、死さえも、怖れるほどのもの

ではない。

  では、「怖れ」は、一体、何から生じるのだろう?
 

  それは、一つに、過度の「所有欲」からなのではな

かろうか。


  しかし、われわれに、何も”所有できる”ものはない

と思う。 

 それらを所有していると思うところに、迷いが生じ、

不安が生まれ、”それらを失う”という怖れが生じるの

ではないだ

ろうか。Photo

  われらの

財産も私物

も、からだや

いのちさえも、

それらのす

べては、

「借り物」

なのだと感じる。

  われらは、

それらを失う

のではない。 

 むしろ、それらを、

”元の持ち主”に返すだけだと思うのだ。

 

  それゆえ、何も怖れること勿れ! 

唯、自らの驕りと欺瞞のみを怖れよ。 

 それらこそ、真に怖れるに足る“強敵”なのだから。






  汝、光なれば


  汝、光なれば、

いつ、どこにいても、必ず輝く。

  汝、光なれば、決して埋もれることはない。

  限られた人々だけが、

光なのではない。

  すべての人々が、実は”光”なのだ。

唯、私たちが、その真実を認識していないだけなのだ。


  天の声が、こう叫ぶのが聞こえる。

「汝、光なれば、この世の光たれ!」と。

Photo_6



    「偽物」と「本物」



  どんなに美辞麗句で言葉を飾り、

美服に身を包んでいても、

「偽物」のメッキは、いつかは剥げるもの。

  どこかの国の総理を見ればよい。

   Photo_3

 



















Photo_4  今の世は、

どこもかしこ

も、「偽物」

の花盛り。

 それは、

人も物も

同じこと。

 

(*上の写真は、

文春』誌発行の

小沢夫人の「告白」

偽物であること

立証する筆跡の違い。 

  下の写真は、上海万博での本物と偽物グッズ)


  でも、百に一つ、千に一つ、

いや万に一つの、どんなに得難いものであれ、

常に「本物」を求めよう。

 それは、必ず見つかるのだから。

  そして、私たち自身も「本物の人間」になろう。





   パッション(熱情)


  人を動かす力、それは、パッション(熱情)ではない

でしょうか。

 パッション無しには、如何なる行為も起こらないような

気がします。

  人が他者(ヒト)を愛するのは、自分が愛されたいから

ではありません。むしろ、自ら愛さずにはいられないの

です。

Photo_5
    (*写真は、ケニア・ナイロビ在住22年のフリー・

     ライター、早川千晶さん〔1966~〕。

     彼女は、献身的に、現地の子供たちのため

   に尽くしておられる。)




  ものを書くことでさえ、決して、人に誉められたくて書く

ではありません。

 むしろ、書かずにはいられないのです。


  すべての創造的な行為や愛の根源、それは、まさに

パッション(熱情)です。

 しかし、この至純な思いを、破壊ではなく、あくまで

「創造」に使いたいものです。

  われらの内なるパッションは、まるで“暴れ馬”のよう

なものです。

 その手綱をしっかりと握り締め、いい方向に導くのが、

人間の理性です。

 われわれ自ら、決してパッションの奴隷や下僕になら

ないよう、気を付けたいものです。   【つづく】

 

 

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