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2012年8月 2日 (木)

エッセイ「心のままに」(11)

 

  何も怖れること勿れ!



  この世には、何も怖れるほどのものはない。
 

いかなる苦難も病も、死さえも、怖れるほどのもの

ではない。

  では、「怖れ」は、一体、何から生じるのだろう?
 

  それは、一つに、過度の「所有欲」からなのではな

かろうか。


  しかし、われわれに、何も”所有できる”ものはない

と思う。 

 それらを所有していると思うところに、迷いが生じ、

不安が生まれ、”それらを失う”という怖れが生じるの

ではないだ

ろうか。Photo

  われらの

財産も私物

も、からだや

いのちさえも、

それらのす

べては、

「借り物」

なのだと感じる。

  われらは、

それらを失う

のではない。 

 むしろ、それらを、

”元の持ち主”に返すだけだと思うのだ。

 

  それゆえ、何も怖れること勿れ! 

唯、自らの驕りと欺瞞のみを怖れよ。 

 それらこそ、真に怖れるに足る“強敵”なのだから。






  汝、光なれば


  汝、光なれば、

いつ、どこにいても、必ず輝く。

  汝、光なれば、決して埋もれることはない。

  限られた人々だけが、

光なのではない。

  すべての人々が、実は”光”なのだ。

唯、私たちが、その真実を認識していないだけなのだ。


  天の声が、こう叫ぶのが聞こえる。

「汝、光なれば、この世の光たれ!」と。

Photo_6



    「偽物」と「本物」



  どんなに美辞麗句で言葉を飾り、

美服に身を包んでいても、

「偽物」のメッキは、いつかは剥げるもの。

  どこかの国の総理を見ればよい。

   Photo_3

 



















Photo_4  今の世は、

どこもかしこ

も、「偽物」

の花盛り。

 それは、

人も物も

同じこと。

 

(*上の写真は、

文春』誌発行の

小沢夫人の「告白」

偽物であること

立証する筆跡の違い。 

  下の写真は、上海万博での本物と偽物グッズ)


  でも、百に一つ、千に一つ、

いや万に一つの、どんなに得難いものであれ、

常に「本物」を求めよう。

 それは、必ず見つかるのだから。

  そして、私たち自身も「本物の人間」になろう。





   パッション(熱情)


  人を動かす力、それは、パッション(熱情)ではない

でしょうか。

 パッション無しには、如何なる行為も起こらないような

気がします。

  人が他者(ヒト)を愛するのは、自分が愛されたいから

ではありません。むしろ、自ら愛さずにはいられないの

です。

Photo_5
    (*写真は、ケニア・ナイロビ在住22年のフリー・

     ライター、早川千晶さん〔1966~〕。

     彼女は、献身的に、現地の子供たちのため

   に尽くしておられる。)




  ものを書くことでさえ、決して、人に誉められたくて書く

ではありません。

 むしろ、書かずにはいられないのです。


  すべての創造的な行為や愛の根源、それは、まさに

パッション(熱情)です。

 しかし、この至純な思いを、破壊ではなく、あくまで

「創造」に使いたいものです。

  われらの内なるパッションは、まるで“暴れ馬”のよう

なものです。

 その手綱をしっかりと握り締め、いい方向に導くのが、

人間の理性です。

 われわれ自ら、決してパッションの奴隷や下僕になら

ないよう、気を付けたいものです。   【つづく】

 

 

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