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2012年7月13日 (金)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(9)

  ナレーターは、続けます。 

  生身のヘレンを目の当たりにした人々は、彼女の温かく愉快な人柄

を知ります。 

 

  ある記者は、彼女の印象を、こう語っています。
 

  「ヘレン・ケラーほど、私を魅了した女性はいない。 

彼女は、沈黙の牢獄に独り閉じ込められている。 

なのに、無数の表情が、彼女の顔に浮かぶ。 

  誰かが、そばを通りかかると、顔を上げ、笑顔を向ける。 

足音の”振動”を感じているのだ。 

  音楽が流れると、合わせて拍手をする。 

顔には、いつも笑顔ー。 

                              W ・クレッシー 」

 

   レイ・シルバーマン教授は、言います。 

  ヘレンは、私生活ではPhoto_3

瞑想にふけり、社会的に

は、奉仕活動に奔走しま

した。 

 常に、貧しい人や障

者のことを考え、

世間の認識を変えよ

うとしました。


  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは、とりわけ人道

的活動に熱心でした。 

   長年の経済的困窮の後、

1924年、自分の役割を見

出し、米国盲人協会に職

得ます。

 

  ヘレンの姪孫、ケラー・ジョンソン・シンプソン夫人の言葉です。 

  彼女は「使命」を持って生まれてきたと信じていました。 

その「使命」とは、世界に幸せを広めることでした。 

  彼女の”奉仕の精神”のゆえんです。 

彼女は、世界の幸せが、自分の幸せにつながると知っていました。


  ナレーターの言葉です。
 

  Photo_4
   ヘレンは、44年に

わたり、米国盲人

協会で働きながら、

スウェーデンボル

グの教えを広めます。

   ”奉仕の精神は、

人道の至高だ”と。 

  この世で極めて大

事な愛、それは、善

と叡知の結集であり、

善行を推進する。

 奉仕により「愛」は、

表面化するのだ。



  米国盲人協会代表のカール・アウグスト氏は、言います。
 

  ヘレンは、視覚障害者に、多くの貢献をしました。 

新しい法律の制定は、その一つです。 

  彼女は、持ち前のカリスマ性を発揮し、法律の制定を実現しました。 

1930年代当時は、4~5種類の点字コードが存在し、それを統一するよ

う働きかけたのです。 

  そして、忘れてはなりません。彼女がいなければ、録音図書は実現し

ませんでした。 

 私を含め、大勢の視覚障害者が、その恩恵を受けています。


  ナレーターの言葉です。
 

  協会の一員となり、ヘレンの奉仕活動の範囲は、今まで以上に広がり

ました。 

 米国盲人協会と米政府に代わり、世界中に招かれました。 

  アンも、障害者を助けるという使命を果たせました。 

二人は、障害者に対する無知や偏見を取り除こうと努めました。



  カール・アウグスト氏は、語ります。
 

  彼女の訪問国は、通算39ヶ国です。 

彼女は、障害者の社会参加を訴え、人々の認識を変えました。


  ナレーターの言葉です。

  日本訪問は、ヘレンとアンの共通の夢でした。

  1936年、健康が衰え始めたアンは、ヘレンに、日本訪問を強く勧めました。



  キム・ニールセン女史の言葉です。

  アンは、臨終の際、ヘレンに願いを託しました。

日本を訪れ、目の不自由な人々に光をもたらすようにと。


  ナレーターの言葉です。

  (アンの死後)ポリPhoto

ー ・ トンプソ夫人が、

通訳を引き継ぎ

ますが、ヘレンは、

アンの死に、心の

整理がつきません

でした。

  そんな折、

”アンの霊”が、

ヘレンを訪ねて

来たと言います。



   ヘレンは、言います。

  私は”自分の使命”

を思い出した。

  天界の「先生(=アン)」

から、励まされたような

気がしたのだ。

  前方と背後に”神の存在”を感じ”何も恐れる必要はない”という声が

聞こえた。


  ナレーターの言葉です。
 

Photo_6

Photo_8

 (*着物を着たヘレン〔左側〕 と 渋谷駅前の忠犬ハチ公を触るヘレン)



 1937年、日米戦争が迫る中、ヘレンは、悲しみをこらえ、使命感を持って 

訪日しました。彼女は、大歓迎を受けました。

 先述したカール・アウグスト氏は、言います。

  ヘレンは、訪問国の政策や慣行に、多くの影響を与えました。

その最たる例が、日本です。

  彼女は、日本を訪れ、こう訴えました。

障害者の機会の平等を尊重し、リハビリや教育の施設を整備すべきだと

述べたのです。

(*実は、この来日の際、ヘレンは、横浜港の客船待合室で、財布を

盗まれてしまいました。

  その事が新聞で報道されると、日本全国の多くの人々から彼女宛に

現金が寄せられ、その額は、ヘレンが盗まれた額の10倍以上に達した

といいます。 Wikipedia  参照)


  ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、恵まれない人々の代弁者として、40年もの間、世界中を旅し

続けました。

  特に、力を入れたのは、あらゆる障害者の擁護です。

人々に対して、ヘレンは訴えます。

  人生の困難や冒険に立ち向かう時、旗を掲げよう、追随者たちのために!


  ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、世界中

の人格者から、Photo_9

称賛と敬愛を

寄せられます。

 アラバマ州出身の、

目と耳が不自由な

少女は成長し、歴代

のアメリカ大統領と

対面しました。

  それは、クーリッジ

大統領からケネディ

大統領にまで及びま

した。(*右の写真は、

第30代クーリッジ大統領)

 【つづく】

                後年のヘレン・ケラーの言葉です。

                                十分な時間をかけて努力を続ければ、

               成し遂げられないことなどないのです。

                   〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

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